第一章  ヴェリスの金融商人 その②


 あの怪物は何だろうと、カイルと名乗った青年に聞こうとしたとき、そのカイルが前方を指さしながら声を発した。


「さあ、見えてきたぞ。あの赤レンガの建物がシャイロック商会だよ」


「えっ、もう?」


 ラモンが驚くのも無理はない。相乗りさせてもらった場所からここまで半刻も走っていないのだから。はからずも自分が目的地の近くに辿り着いていたことをラモンは知った。

 ややあってカイルは、建物の前で荷馬車を停止させた。


「着いたよ、ラモン君。ここがシャイロック商会だ」


「ここですか……」


 馭者台から降りたラモンは、目の前に建つ赤レンガ材造りの建物を見上げた。

 五階建てのシャイロック商会の建物は市街地北部の、ヴェリス市内において第三市街区と呼ばれる場所にあった。

 そこは表の大通りから奧に一つ入った、いわゆる「裏通り」にあったのだが、そこに建ち並ぶ建物はどれも荘厳の一語に尽き、表通り沿いに建つ建物群となんら遜色なかった。むろん足下の街路も見事に整備されている。


「じゃあ、ここで待っていてもらえるかな。裏手にある車庫にこの荷馬車を置いてくるから、それから一緒に行こうか」


「えっ、カイルさんも来るんですか?」 


「もちろんさ。なにしろ私は商会ここの人間だからね」


「ええっ、そうなんですか!」


「おや、言ってなかったかな」


 目を丸くさせるラモンにカイルは悪戯っぽい笑みを向けると、車庫に向かうべく馬を走らせようとしたのだが、建物の玄関から出てきた一人の初老の男性がその動きを停止させた。


「ちょうどいい。彼に頼むとしよう」


 そう独語したカイルに、初老の男が声を向けてきた。


「おや、お帰りなさい、カイルさん。早かったですね」


「ええ、思ったより早く契約がまとまりましたので。ところでデルコさん、申し訳ないけど荷馬車を車庫に入れておいてもらえますか」


「ええ、いいですよ」


 デルコと呼ばれた初老の男は真正面から馬を抱き留める形になって、制止の合図を馬に出した。

 呼応するように馬がブルルンと鼻を鳴らす。


「それとロイス支店長はいますか?」


 いますよ、という返事をもらうとカイルはラモンに向き直り、


「じゃあ、ラモン君。行こうか」


 オーク材造りの玄関の扉を開けて、カイルとラモンは建物の中に入っていった。そして最上階の五階に向かって階段を上がっていったのだが、その途中、ラモンはふと心づいた疑問をカイルに向けた。


「ところでカイルさん。聞くのを忘れていましたけど、シャイロック商会ってどんな商品ものを扱っているお店なんですか?」


「金だよ。他にも銀や銅、それに鉄も扱っているけどね」


「へえ、金や銀ですか」


 カイルの説明に、ラモンは内心で意外に思った。

 同じ農民出のロベルトが働いているというから、てっきり農作物か、もしくはその苗や種なんかを取り扱っている「農業系」の商会だと思っていたからだ。それが聞けば金や銀といった「金属系」の商会というではないか、と。

 まあ、商人になれればこの際「金属商人」でもいいかと、ラモンは軽く考えていたのだが、これがとんでもない勘違いであったことを、この直後、ラモンは知ることとなった。

 後背を歩くラモンを見やりながら、カイルがなにやら意味ありげに微笑する。


「どうやら誤解しているようだからはっきり言うけど、うちは金、銀、銅などの金属を取り扱っている鉱物商ではなく、金貨・・銀貨・・銅貨・・鉄貨・・のお金を取り扱っている金融商だよ、ラモン君。それも高利貸しのね」


 次の瞬間、階段を上がるラモンの足がピタリと止まった。

 そして顔を上げ、視線の先のカイルの顔をまじまじと見やる。


「あ、あの、高利貸しというのは……?」


「おや、知らない? 高い金利でお金を貸し付けては、厳しい催促と容赦の無い取り立てをすることで有名な高利貸し商だよ」


「…………」


 呆気の態で自分を凝視するラモンを見やり、カイルが薄く笑った。


「どうやら知らなかったようだね。まあ、そうなんじゃないかなと思ってはいたけどさ」


 声もなく凝固したようにその場に立ちつくすラモンをよそに、カイルは愉快そうに笑いながら階段を上がっていった。

 一方、一人段上に残されたラモンは、このまま階段を駆け下り、そのまま逃げてしまおうかという考えが頭をよぎったが、ロベルトの近況がどうしても知りたい、もっと言えば再会したいという思いが勝り、ひとつ息を吐き出した後にとぼとぼとした歩調で階段を上っていった。「金融商人かねかしなんて聞いてないよぉ、ロベルト兄ちゃん……」と、胸の中でぼやきながら……。


      †


「そうか。ロベルトと同郷なのか……」


 なにやら感慨深そうにそう独語すると、黒革張りのオットマンチェアーに座るその男は、机の上のカップを手に取り中のコーヒーをすすった。

 ぎょろりとした三白眼の所有者で、背はそれほど高くないが全身の肉付きが厚く、身体の五分の一を占めている大きな顔は精悍で脂ぎっており、豊かな毛量の金髪もあいまってある種の肉食獣を想起させた。

 名をロイスといい、ここシャイロック商会ヴェリス支店において支店長の地位にある人物だ。

 ここは支店最上階にある、そのロイスの執務室である。そこには今、部屋の主人たるロイスの他、カイルとラモンの姿があった。


「はい。ロベルト兄ちゃ……ロベルトさんのように商人として身を立てたくて、このヴェリスにやってきました」


 それなのに金融商人かねかしなんて、ガッカリ感ハンパないわと、ラモンは胸の内で毒づいた。

 そんなラモンの内なる本音を察したわけではなかろうが、ロイスは何やら驚いたように三白眼を軽く見開き、


「ロベルトのように……?」


 そう独語すると今度はカイルに視線を転じ、


「おい、カイル。ロベルトのこと、この子に伝えていないのか?」


「一年ほど前に商会うちを辞めたことは伝えました。後はラモン君の身が落ち着いてからのほうがいいと思いまして」


「……そうか。いや、たしかにそのほうがいいな」


 二人のやりとりに不審なものを感じ取ったラモンが、訝しげに声を挟んだ。


「あの、ロベルトさんって今、どこで何をしているんですか? 出来ればすぐにでも会いたいのですが」


 会って文句の一つでも言わなきゃ気が済まない。ラモンは胸の中で付け加えた。

 金融商人なら金融商人と言ってくれなきゃ困るじゃないか。頼りにしてわざわざヴェリスにまで来たこっちの立場も考えてくれよ。おまけに支店長の部屋まで来ちまって、どうやってこの場から逃げりゃいいんだよと、この場にいない同郷人への不満が泉の如く湧いてくる。

 ラモンに応じたのはカイルである。


「今はもう商会の人間ではないから、どこで何をやっているかまではわからないけれど、ただラモン君が望むなら人づてに探してあげるから、しばらく待ってくれるかな」


「あ、はい。わかりました。よろしくお願いします」


 語尾に重なるようにロイスが黒檀造りの机を軽くひと叩きし、


「よし。ロベルトのことはひとまず置いておいて、さあ、ラモン君。君のこれからのことを話し合おうか」


 コーヒーを一口すすり、ロイスは語を継いだ。


「この業界は慢性的に人手不足で、わがシャイロック商会も例外ではない。取引先も増えているし、働き手は喉から手が出るほど欲しい。とりわけ君のように若い人材ならなおさらで、望むならうちの商会で是非とも働いてもらいたい」


「は、はあ、それはどうも……」


 歯切れが悪く、見るからに乗り気ではないラモンの態であったが、ロイスはまったく意に介することなく話を続けた。


「しかしながら、うちは高利貸し商だ。世間からは疎まれ、嫌われ、忌避されている悲しい商売だ。そういった世間の冷たい視線にさらされることもさることながら、時には客相手にさえ対応を取らざるをえないこともあるが、その点は大丈夫かな?」


「えぐい……?」


 耳慣れない語彙に困惑するラモンを見やり、カイルが薄く笑った。


「支店長、言葉で説明しても無理ですよ。ラモン君にはこのヴェリスの街を含め、あらゆるものが未知の世界の話なんですから。言葉で言ったところで想像すらできないかと」


「それもそうだな。いや、これは失礼した」


 そう言って豪快に笑う。豪放磊落ごうほうらいらくという表現がぴたりとはまる態である。


「まあいい。しばらくは店内で雑用をこなしながら商会の仕事を少しずつ学んでいけばいいだろう。たしか十八歳だったな。まだまだ若いんだし、焦る必要は全くない」


「そのことなんですが……」


 カイルが再び声をはさんできた。


「支店長の許可がいただけるのなら、当面の間、私がラモン君の教育係を努めたいと思っているのですが」


「なに、お前がか?」


 目をみはるロイスにカイルが頷く。


「はい。助手として仕事先に同行させたいと考えています」


「いや、それはかまわんが、しかし、どういう風の吹きまわしだ? 今まで新入りの教育係を頼んでも、すべて断ってきたお前が」


「さて、どういうことですかね」


 と、意味ありげな微笑をカイルは面上にたたえ、


「いずれにせよ、店内で雑巾がけをしていても金融商に必要な知識と、なにより経験は得られません。この仕事はなによりも場数を踏むことが大事かと」


「そいつは真理だな。百聞は一見にしかずだ」


「それに高利貸し商というものがどういう仕事なのか、ラモン君にも早めに知ってもらったほうがいいかと思います。彼自身のためにも……」


「そうだな……」


 そう言葉を交わす二人の表情と語調トーンが、それまでのものとは異なる微妙な変化を見せたが、そのことにラモンは気づかなかった。




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