プロローグ  オラ、こんな村イヤだあ! その③



 あれから二日が経ち、ラモンがヴェリスに旅立つ日がきた。

 ヴェリスに赴くための、本人曰く「完璧な旅支度」を整えたラモンの手荷物は、使い古された兄譲りの革カバンがひとつ、風呂敷包みが二つあるだけである。たんに革カバンがひとつ増えただけであった。

 家には旅に出るための余分な馬車などなく、むろん馬やロバもない。一番近い港町まで徒歩で向かい、そこから船に乗ってヴェリスまで向かうのだ。ギランの村からは、片道ざっと一週間ほどの道程だ。

 まだ完全に朝陽が昇りきらない時分、見送りに出てきた両親に姉、そして兄夫婦に向かってラモンが弾むような声を向けた。


「じゃあみんな。行ってくるよ」


「いいか、ラモン。何度も言うけれど、兄ちゃんとの約束は忘れるなよ」


「わかってるよ、兄ちゃん。俺は約束を守る男だぜ。三年経っても商人になれなかったら、必ず家に帰ってくるよ」


 オルソンは頷いた。弟の言葉に安心した様子であった。


「じゃあ気をつけてな。それと向こうでロベルトに会ったら、あいつに伝えてくれるか。『たまには村に帰ってきて家族を安心させてやれ』と、オルソンが言っていたとな」


「うん、わかった。必ず伝えるよ」 


 そう言ってオルソンと握手を交わすラモンに、傍らから母と姉が声をかけてくる。


「身体に気をつけるのよ、ラモン」


「うん、母さんもね」


「いい、ラモン。美味しそうだからって、道に落ちてる物を拾って食べたりしちゃ駄目よ」


「俺は野良犬か!」


 そんなやりとりの後に静かに近寄ってきた父親は何も言わず、ただ手を差し出しただけである。ラモンも無言でその手を握りしめた。

 ほどなくして、ようやく朝陽がその姿を見せ始めてきた村道を、ラモンは一人歩き出していった。

 徐々に小さくなる末息子の姿をそれまで黙して眺めていたゴメスであったが、ふいにぽつりとした声を漏らした。


「本当に大丈夫だろうか。身ぐるみ剥がされるだけで済めばいいんだが……」


「……傷の浅いうちに逃げ帰ってくるのを祈るばかりだな」


 長男の一語に父は小さく頷いたが、ふとあることに心づき、


「ところでオルソン。ロベルトの奴はヴェリスで何の商人をやっているんだ? 商売にも色々あるが」


 するとオルソンは驚いたように父に向き直り、


「いや、俺は知らないよ。父さんは知っていたんじゃないの?」


「わしも知らんぞ。あいつの父親から『息子がヴェリスで商人をやっている』と聞いただけで、具体的なことはな」


「俺もそうだよ。あいつからの手紙を読んだけど、詳しい商売の内容は書かれてなかったからね。その手紙にしたってあの一度きりだし……」


 そこでオルソンはいったん言葉を切り、あらためて語を継いだ。


「まあ、おそらくは農作物なんかを扱っている商人だと思うよ。農民出身のあいつがそれ以外の分野で働けるとも思えないし」


「まあ、そうだな」


 そんなやりとりを終えると、ゴメスとオルソンはそろって正面の遠景に視線を投げた。朝陽に照らされた村道を、弾むような歩調で足早に進む末っ子の姿がそこにある。 

 事実、今のラモンは服を着た高揚感と期待感の塊であった。

 目指すヴェリスは王国最大の商都。そこには必ず自分に掴むことができる希望と叶えられる夢があるはずだと、唯一ラモンだけは信じて疑っていなかった。

 このとき、ラモン十八歳。ギランの村各所に生え茂る木々がうっすらと赤く色つきはじめた、ある初秋の日のことであった。


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