プロローグ  オラ、こんな村イヤだあ! その②


 そんな中、ただ感心するだけで終わらなかったのがラモンであった。

 当時のロベルト同様、村と自分双方の現状と将来というものに子供の時分から絶望感を抱いていたラモンは、ロベルトの手紙に底知れない刺激をうけたらしく、自身もヴェリスでの立身を夢見るようになった。

 以来、ラモンはヴェリス行きを家族に訴え続け、それを家族が叱責と冷笑まじりに諫めるという騒動が繰り返されていた。

 それでも手紙が送られてきた当時は、ラモンもまだ自分が子供という認識もあったのだろう。不承不承ながら家族の説得を受け入れて断念していたのだが、しかし半年前に十八歳になってからというもの、事あるごとに「俺の未来はヴェリスと共にある!」

とか、「少年よ、大志を抱け!」などと要領の得ないことを口走るようになり、そのたびに家族を呆れさせ、閉口させていたのである。

 それでも父ゴメスなどは「どうせ口だけで、そんな度胸はないだろう」と、息子の商都行き志願をそれほど深刻に考えていなかったのだが、兄オルソンの弟評は違った。

 たしかに根は小心で、とかく短慮で短絡的。深く考えることなく、物事の都合のいい一面だけを「真実」と思い込み、悪い一面には目もくれない「悪癖」があることは確かである。

 それゆえオルソンなどは、そんな性分の弟だからこそ「迷わず行けよ、行けばわかるさ(闘技場闘士グラディエーター・79歳没)」などと軽く考え、無謀なだけの商都行きを強行する日が必ず来ると考えていた。そして今日、その危惧していたことが現実になったというわけである。

 オルソンは居間の一角に視線を転じた。

 そこには風呂敷包みのような物が二つほど置かれてあったのだが、それが弟の「旅支度」であることを察するまで時間は必要としなかった。

 今まではただ商都行きを訴えるなど騒ぎ立てるだけで、そのために必要な旅装品の準備といった具体的な行動はなかった。

 しかし、今回は違う。あの風呂敷の中に何が包まれているのかは知らないが、おそらくは弟なりに商都へ向かうために必要と考えて集めた物品が入っているのだろう。

 ゆえに「こいつめ、今回は本気だな」とオルソンは悟ったのだ。

 常々から危惧していた弟の「悪癖」が、具体性と実行性をともなって発揮されたわけだが、だからといって自分の慧眼を誇る気にはなれなかった。

 今のオルソンに求められている役割は、無謀なだけの弟の商都行きを止めることにあるのだから……。

 父との取っ組み合いに疲れたのか、にわかにどかっと床に座り、腕を組んでふてくされたようにぷいと顔を横に背ける弟に、辟易とした声でオルソンが語りかける。

「いい加減にしろよ、ラモン。お前ももう子供じゃないんだから、少しは現実というものを考えたらどうなんだ。ヴェリスで商人になるだと? 夢を見るのも大概にしろよ」

 語尾に重なるように、横合いから姉のアデルが嫌味の一語を飛ばしてくる。

「まったくよ、あんたのような根っからの農民が商人になれるわけがないでしょうに。そういうのをね、希望と言うんじゃなくて無謀って言うのよ、ラモン」

 兄と姉から扱き下ろされて、ラモンは顔を真っ赤にしてわめきだした。

「なれるかなれないかなんて、やってみなけりゃわからないだろう! 実際、同じ農民出のロベルト兄ちゃんはヴェリスで商人をやっているんだぞ、こんな村にいたって夢も希望も見れないし、だったらヴェリスでわずかな可能性に賭けてみてもいいじゃないかよ!」


 わめき終えると同時に、せせら笑いが父親の口から漏れてきた。


「笑わせるな、お前なんぞが商人になれる可能性なんか、鼻毛の先ほどもないわ」


「勝手に決めつけるな、クソオヤジ!」


「黙れ、世間知らずの身のほど知らずが!」


 かくして再開される父と弟との罵り合いに取っ組み合い。

 オロオロする母と妻。

 横合いから嫌味を飛ばす妹。

 きょとんとした態で騒動を眺めている幼い息子。

 なぜか嬉しそうにキャンキャンと家の中を走り回る愛犬。

 もはや「カオス」としか表現できない一つ屋根の下の光景に、オルソンは深い溜息をついた後に声を発した。


「よし、わかった。そこまで言うのなら行ってこい、ラモン」


 その短く簡潔な一語が、父と弟の動きを一瞬にして停止させた。

 否、二人のみならず、他の家族たちも驚いたようにオルソンを見つめている。


「ほ、本当か、兄ちゃん!」


「オ、オルソン!?」


 目玉を剥き、口をあんぐりさせてオルソンを凝視する。

 父も弟も表面の態度こそ同じであったが、内心の感情においては当然ながら天と地ほどの差があった。

 オルソンは小さく頷くと、三本立てた指をラモンに突き向けた。


「ただし三年だ、ラモン。三年やっても商人として芽が出ないようだったらすっぱり諦めて村に戻り、俺たちと一緒に農民として生きるんだ。約束できるか?」


「うん、約束するよ、兄ちゃん!」


「本当だな? よし、じゃあ行ってこい、ラモン」


 オルソンに肩をぽんと叩かれたラモンは、嬉々として部屋の隅に置いてあった風呂敷包みをひょいと抱え上げると、そのまま脱兎の勢いで自分の部屋へと駆けていった。兄の気が変わらぬうちに、より本格的な旅支度を整えなければ、といったところであろう。


「やれやれ……」


 疲れたように椅子に腰を下ろしたオルソンに、未だ驚きと動揺を抑えられずにいるゴメスが声を向けた。


「お、おい、オルソン。本当にあいつをヴェリスに行かせる気なのか?」


「こうなったら仕方ないよ、父さん。もう何を言っても聞き入れそうにないし、それなら家出同然で行かせるよりも、条件付きで行かせたほうがマシだろう」


「し、しかしだな……」


「まあ、聞いてよ父さん」


 オルソンは薄く笑うと、自分の思うところを父に語りだした。


「考えてもみなよ。飽きっぽい性格の上に根性も度胸もなく、なにより教養のあいつが、天地がひっくり返ったってヴェリスで商人になれるわけがないだろう。違うかい?」


「それは、お前の言うとおりだとわしも思うが、それがわかっていてあいつをヴェリスに行かせようというのか?」


「そうさ。なにしろ家出同然で行かせたら最後、現地で失敗しようが挫折しようが、意固地になって帰ってこないだろうからな。反対に条件付きでも認めて行かせてやれば、挫折したところで変に意固地になることもなく、『俺には帰る家があるんだ』と素直に帰ってくるよ」


「ま、まあ、たしかにそうかもしれんが……」


「だろ。それに俺は三年という期限をつけたけど、三年どころか一年、いや半年くらいで商都の人間によってたかって食い物にされ、身ぐるみ剥がされたあげく泣いて村に逃げ帰ってくると思っているがね」


「うんうん、たしかにお前の言うとおりだ、オルソン」


 父親は得心して頷いた。長男の言葉には説得力というものがあったのだ。

 そのとき、自室で旅支度をしていたはずのラモンが、古びた大型の革カバンをぶら下げて再び居間に姿を見せてきた。


「兄ちゃん! 兄ちゃんから借りてたこの革カバン、貰っていい?」


「ああ、お前にやるよ。ただし、兄ちゃんとの約束は絶対に守れよ」


「わかっているって。でもな、俺はやるぜ、兄ちゃん。絶対に一角いっぱしの商人になって故郷に錦を飾ってやるからな。見ていてくれよ!」


 意味ありげにニヤリと笑ってみせると、ラモンは陽気な鼻歌をまじえながら自室へと戻っていった。「ほんと幸せな奴だよ」とでも言いたげな顔で溜息をつく父と兄をよそに……。

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