プロローグ オラ、こんな村イヤだあ! その①
……初秋の陽射しが、天からやわらかく降り注いでいる。絵に描いたようなさわやかな昼下がりだ。
その光が降り注ぐ地上の一角では、大勢の男たちが各々手にする鍬やスコップを振り上げて地面に打ち込み、起こし、さらに打ち込むなどして畑を耕している姿がある。
皆、全身はまるで真夏の陽光をうけたかのように熱を帯び、浅黒く灼け、滝のように汗が流れだしている。
オルソンは額に流れる汗を一度、腰に吊したタオルで拭ってから再び鍬の柄を握り直した。そして地面に向かって力一杯降りおろす。鍬の刃が土中にくいこむ感触が伝わってくる。
さらに振りあげ地面に打ち下ろす。これを陽の出間もない時分から繰り返し、昼過ぎの時分になってようやく畑の半分が掘り返されていた。
ふと耕す手を止めると、オルソンは周囲を見まわした。
彼の他にも二十人ほどの同世代とおぼしき若い男たちが、それぞれ自分の持ち場で同じ耕畑作業に従事しているのだが、オルソンとは異なり彼らの動きは総じて鈍く緩慢で、作業に対する熱はさらに低いように見えた。
それも当然で、オルソンが鍬を三回振り下ろす間に、彼らは一度しか打っていなかったのだ。
「腰に力を入れろ! しっかり耕すんだ。深く土を掘り起こしてやらないと、とりわけ冬向けの作物の根はうまく根付いてくれないぞ」
そう叱咤の声を飛ばしてから再びオルソンは鍬を振るったのだが、しかし、やはり周囲の男たちの動きは緩慢であった。
その理由が疲労などの体力的なものであることはもちろんあったが、それ以上に自分たちの「現状」への絶望に起因した「精神的」なものであることを知っていたオルソンは、それ以上何も言わず一人黙然と畑を耕し続けた。
今年は異常な冷夏にくわえて雨も多かったので、ここギランの村では収穫された作物はあまり出来がよくなかった。
当然のことながら収穫量も少なく、現状の量では、この冬を越すのは厳しいだろうと村では危機感が広がっていた。
そのため収穫は例年よりも早めに行い、今は冬に向けて寒さに強い種の野菜や穀物を植えようと、村を挙げて畑を起こし直しているところだった。先の収穫から引き続いての農耕労働ではあるが、飢えずに冬を越すためには仕方がなかった。
土を掘り起こし直し、新たに肥料をまき、種を植える。冬を迎えるまでにやらねばならないことは山積みで時間もない。
だからこそ村に住む青年たちのリーダー的存在であるオルソンなどは、危機感から必死に畑を耕し、叱咤の声を飛ばして奮起を促しているのだが、危機感を抱いているのはまるで彼一人であるかのようだった。
他の男たちの動きはあいかわらず鈍く重く、なにより覇気がない。
「しっかり耕せ。さもないと良い作物なんか育たないぞ」
さすがに見かねてオルソンは男たちに檄を飛ばしたのだが、ややあって近くにいた男の一人が、オルソンを虚無感漂う目で見返してきた。
「たとえ作物がよく育って収穫できたとしても、どうせ年貢で取り上げられるだけじゃないですか。いったい何のために俺たちは作物を育てるんですか、オルソンさん?」
男は消え入りそうな声でポツリと言うと、再び力感のない動きで鍬を振り始めた。
その声に熱はなく、けっして非難調ではなかったが、オルソンは返答に窮して何も言い返せなかった。無気力の態で鍬を振る男の背中が、無言で自分を責めたてているかのようだった。
実際、彼の言うとおりなのだ。
いくら良い作物が育ち、大量に収穫できようとも、できたらできたで、その大半をこの地を統治する貴族に年貢として持っていかれてしまうのだ。
それが農民の宿命とはいえ、彼らの作業に力が入らないのも当然と言えば当然だった。
「それでも働くしかないんだ。みんな、頑張ろう」
オルソンはそんな絶望を心の底に押し込んで、男たちに激励の言葉を放った。
何人かは力なく頷いたが、それ以外の者はもはや相づちすら打たない。オルソンは自分の非力さを感じながらも、畑を掘り起こす作業を再開した。
そのとき、遠くから彼の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
オルソンが顔を上げて遠景に視線を投げると、一人の子供が畑のあぜ道から声を張りあげている姿があった。
それが五歳になる自分の息子マルセルであること知るまで時間は必要としなかった。
「パパ、大変だよ!」
「どうした、マルセル?」
「お家でラモンお兄ちゃんがね……」
「なに、ラモンがどう……?」
言いさしてオルソンは口を閉ざし、直後、「またか!」とでも言いたげな、否、明らかにすべての事情を察した表情がその面上に浮かんだ。
事実、息子との端的なやりとりからオルソンは、実家内で現在起きている「騒動」を正確に把握していたのである。
「まったく、この忙しいときにラモンの奴……」
小さく吐き捨てるとオルソンは手にする鍬を地面に置き、幼い息子を抱きかかえてそのまま自宅に向かって駆けだしていった。
†
オルソンの住むギラン村は、深い針葉樹の森と水田と野菜畑が村土の大半を占める、人口三百人ほどの小さな村だ。
主要な産業はやはり農業で、村に住む人間のほぼすべてが農民である。
その村の中心部からやや東に寄った、周囲をくぬぎ林と雑草が生え茂る手つかずの耕地に囲まれた場所にオルソンの自宅はあった。
両親と二人の妹弟、そして自身の家族とが同居していることもあって、敷地と建物はともに村の中では比較的大きく、そして広い。
その自宅に幼い息子と共に駆け入ったとき、家の居間ではオルソンが想像していたとおりの光景が広がっていた。
そこには数人の老若男女がいた。
オルソンの父ゴメスと母ハンナ。妻のエレナと四歳年下の妹アデル。そして八歳年下の弟ラモンの五人が、何やら取っ組み合い混じりの言い争いをしていたのだ。
正確には父ゴメスと弟ラモンの二人が、である。
「離せぇぇーっ、俺はヴェリスに行くんだぁぁーっ!」
「バカなこと言うんじゃない、ラモン!」
想像していたものと一字一句変わらない言葉の応酬と、それに伴う取っ組み合いをする父と弟の姿を、今年に入ってからオルソンは何度目にしたか数える気にもならない。「いい加減にしてくれよなぁ」とぼやいた回数も然りである。
そんなオルソンに、夢中で取っ組み合いを演じていた父と弟もようやく気づき、
「オルソン、お前からもこいつに言ってやってくれ!」
「兄ちゃんが何と言おうが俺は絶対に行くからな!」
「…………」
これまた変わり映えのない二人の反応に、オルソンはもはや言葉も返す気にならない。ただ溜息をつくばかりである。
それでも不毛な親子の諍いに胸を痛め、悲しげにただオロオロするばかりの母親の姿を見ては、オルソンとしても溜息をついてばかりもいられない。
ひとつ小さく息を吐き出すと、あいかわらず悪罵混じりの取っ組み合いを続けている父と弟を諫めるべく、オルソンは二人のもとに足早に近寄っていった……。
すべての発端は三年ほど前に遡る。
同じギランの村にロベルトという青年がいて、彼が出稼ぎ先である王国最大の商業都市ヴェリスから、自身の家族宛てに送ってきた手紙がきっかけであった。
同い歳のオルソンとは子供の頃からの友人で、弟のラモンとも付き合いの深かったロベルトは、大半の村人がそうであるように、村の現状と将来、なにより農民として生きる自分の未来に悲観的であった。
そこでロベルトは村を出て商都ヴェリスに移り住み、そこで商人として身を立てることを考えた。
それは家族のみならず、オルソンら友人知人からも猛反対されたが、それらの声を押し切ってロベルトは、何のつてもないままヴェリスへと旅立っていった。三年前のことである。
それから一年余り経った一日。それまで音信不通だったロベルトから、突然手紙が家族宛に送られてきた。
そこにはヴェリスで商人としての道を歩み出したこと、充実した日々を過ごしているといった内容が書かれてあり、数枚の銀貨が「仕送り」として手紙に同封されていた。
手紙の内容と送られてきた銀貨に、ロベルトが予想外にもヴェリスで商人になれたことを知り、村の人々は「あいつもたいしたもんだな」と一様に感心したものである。
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