第14話 第四部 完成前夜
1 インフルエンザ再び
昨日の作業で完成のめどが立ち、生徒たちは皆待ちかねた日を迎えた気になっていた。今日はついに完成する。ガンダムとザクが形になる。そんな思いを36人+1人が持ち、活動時間が始まるのだけを楽しみに午前中の授業を終えた。彼らにとっては学校生活の中で一番重要だったはずの給食時間さえも、早々に片付けを終えてしまった。保管場所から教室に運び出すのに20人も30人もの生徒が集まった。ほかの学級の生徒さえ混じっている。
午後の授業開始のチャイムが鳴り、待ちかねた今日の作業が始まった。教室の机をすべて廊下に出して大きな空間をつくった。その中に36人の生徒と、ガンダムとザクと、その他の部品や頭などを入れると、大賑わいのパーティー会場のようになった。もう上着を着ている生徒はいなくなった。昼休みのうちにジャージに着替えた生徒や、ワイシャツ姿で腕まくりをした生徒達ばかりだ。その上今日は来客が大勢いた。他学級の生徒たちは自分の活動を精一杯やっている。来客のほとんどは先生たちだ。
「いやーこれ作りたかったな、おれ……」
「Nikon」の文字が自慢げに並ぶ太いストラップで、首からぶら下げた一眼レフカメラを構えながらそう言ったのは、4組担任の杉本先生だ。彼はまさにガンダム世代のはず。
「杉本せんせー。4組は2年連続でステージ発表あたったじゃないですか。うちのクラスで一番嫌われてますよ。」
プレゼンで悔しい思いをしたプロジェクトリーダーの山口がうっぷん晴らしをしている。
「いや、俺はステージじゃなくてもよかったんだよね。うちのプロジェクトがさ、去年のステージがうまくいかなかったからもう一回やりたいって言っててさ……」
「先生こんなところでサボってないで、ちゃんと劇仕上げてくださいよ」
関口真由美が嬉しそうに言った。彼女は今回の企画に大満足のようだ。
「杉本先生、写真撮るなら全部完成してから来てくださいよ。みんなで記念写真撮るんですから。カメラマンやってくださいよ。」
中島美南がホットボンドのガンを持ち上げて笑っていた。テスト明けすぐの土曜日には彼女を含めて何人もの生徒が部品作りにやって来ていた。
「楽しみは、みんなで一緒に作業すること」
とにかく何であっても、みんなでそろって活動することが楽しいと感じられる生徒たちだった。
残り少ない中学校生活の中で、みんなでできる何かを常に求めている。それが面倒なことであればあるほど、時間のかかることであればあるほど、彼女たちのような生徒は幸せを感じることができる。そういう生き方は本当にうらやましい限りだ。大人になっても、こんな風にみんなで何かに向かって過ごせる時間を作ってほしいものだ。でも実際に社会人になってしまうと、なかなかそうはいかないことは重々わかっている。それをあきらめながら生きることが、大人になるということなのだと、みんな自分を納得させていくのだ。でも、何とかそうではない今のような生き方をしてほしいと思っている。そう思うことは、「いろいろな煩わしいことに追いまくられる実生活から離れたところに生きている」と、世間から思われている教師という職業である故なのだろうか。
いずれにしても彼女たちの今の生活は充実していた。学校祭の一か月後には合唱コンクールが待っている。そこでも彼女たちを中心に、夢中になって歌にのめりこむことになるのだろう。私には、今から彼女たちが歌う姿が見え、声も聞こえてきていた。それだけでも、もう十分教師としての喜びを享受できたと感じていた。
「先生、これちょっとすごいですね。どうやって飾るんですか。」
保健室の渡辺美佳先生は、いつもの柔らかな声とは違った鋭い早口でそう言った。
「いやー、立派なものになったねー。夏休みに作ってたのが、こんなのになったんだ」
夏休み中にはずいぶんと冷やかしの言葉をかけてくれた菅原先生が、立派な自分のおなかを更に強調させるように体をのけぞらせている。大きなものに対する驚きの声は大人でも同じだった。
「段ボールで丸み作れるんだねー。大変だったでしょ、ここらへんなんてねー」
ザクの頭の丸みを手でなぞっているのは、栄養教諭の水野先生。彼女もガンダム世代だということで「シャーが、シャーが……」と私にはよくわからない話をしてくれた。
「これさ、二つとも台の上に乗せたほうがいいぞ。机の上に乗せてさ、下から見上げたほうが迫力増すだろ。」
日頃からシブさ満点のファッションが特徴な、大先輩の山崎先生からのアドバイスもあった。そう言われれば確かにそうだ。見せ方や展示の仕方まではよく考えていなかった。出来上がるかどうかの作業の計算ばかりだった。せっかくここまで頑張って、立派なものになりそうなのだから、見せ方もそれにふさわしいものにしなければならない。夢中になって取り組んでいるときには気づかなかったことが、こうして人の目を借りるといろんなことが見えてくるものなのだ。こういう活動はいつも、生徒だけじゃなくて自分にとっても大切な勉強だった。
今日も本当に一生懸命に作業をして生徒たちが帰っていった。午後六時には真っ暗になった九月も末の空。教室の窓を暗闇が覆っていた。保管場所に置かれたガンダムとザクは今日完成した。今は上下二つの部分に分けて置かれ、その二つを組み合わせ、腕に棒を通して胴体と接合すればすぐに展示できるところまできた。今ここには、部品を切り取られた後の段ボールの残りや失敗作となった胴体部分の立方体や、逆さに作ってしまった脚の部分までも保管されている。どれ一つとっても捨てるにはもったいない。いやそれ以上に、今までの作業の中でそのどれにも何らかの思い入れがあった。
校地内を通り抜ける唯一の車道に面した窓が、闇に乗っ取られたような漆黒に塗りこめられ、外の風景からこの教室内を隔離してしまった。今はもう主役のいなくなった、そんな教室を見回してみた。展示の仕方を工夫しなければならない。窓を背に机に乗せた二体の作品は、机に乗せることによって床からの高さは3メートル余りにもなるだろう。そこに立てかけられたライフルと盾。そして二体の両脇には、あえて制作の見本にしてきた60センチのペーパークラフトを置く。廊下側に置いた机の上には巨大なガンダムとザクの頭。子供用にした小さなガンダムヘルメットはその横に並べてみよう。
さらに失敗作の脚の部分と、歪んでしまった胴体の立方体を説明付きで黒板のあたりに展示してみようか。黒板も説明書きに使えるだろう。窓には部品を切り抜いた後の段ボールをそのままぶら下げよう。きっと、日中は切り取った穴になった部分から陽光がもれてくるに違いない。私たちのガンダムとザクはその逆光を浴びながら、入り口に向かって立つことになる。両コーナーには今まで撮りためてきたスナップをふんだんに入れた制作記を掲示しよう。写真は原図の段階からのものをたくさん残してある。
「お疲れ様でーす!」
明日の展示のイメージを広げようと一人教室で腕組みをしていた。そこに、後ろから急に声をかけられ、無意識に丸まった背中を一気に伸ばすように反応していた。
「すいません。ビックリしました?」
振り返ると副担任の谷元先生が入り口に立っていた。入り口のドアの半分くらいしかないんじゃないかと思える小柄な先生だ。
「なんか……、映画のシーンみたいですよ先生。すごく、シブいですよ! 感慨にふけっているみたいで」
「いや、ちょっと考え事してた」
合唱部顧問の彼女は学級活動のたびに夢中になって生徒と一緒に活動している。童顔なこともあり、生徒の中にまぎれていても全く違和感がない。朝や帰りの会の時などに、ふと気づくとなぜか教室の中にいることが何度もあった。私が少しでも時間に遅れていったりすると、しっかり教卓の前で担任役をこなしていたりする。
「いろいろ勉強させてください」
という言葉とともに、道徳の時間も学活の時間も教室で参観している。そして、生徒の後ろからバインダーに挟んだレポート用紙に何かにつけて熱心にメモを取っている。
新卒3年目の彼女は、この生徒達が入学するときに「先生」と呼ばれる立場になった。だからこの3年生達は彼女と同期入学の仲間と言ってもいい。彼女はきっと私たち以上に思い入れがあるに違いない。担任を持ちたい気持ちであふれかえっているのだが、音楽の先生が二人しかいない本校では、授業時間数の関係で担任は持たせられないのだ。彼女は週に24コマの授業を担当している。週に5日間しかないのだからほとんど空き時間なんかないのだ。彼女が休める時間は、道徳や学級活動の時間、そして総合学習の時間だけとも言えるのだが、その時間を彼女は「勉強させてください」と言って、私の教室に参観に入るのだ。
「もう、今日ので完成しましたね!」
「うん。やっとというか、ついにというか……、とにかく出来上がったねぇ……」
「それにしても、みんな……、よく頑張りましたよね。去年とは全然やる気が違ってましたね!」
彼女自身が満足そうだ。
「谷元さんが作ったのはどこだった?」
「ザクの巨大頭です。あれ、ちょっと難しかったですよ! 頭のてっぺんのあたり、なかなかきれいな曲線が出せないんですよね。関口の真弓ちゃんとか、やっぱ、起用だし、上手で、きれいに作ってたと思いますよ。あの人達の動き見てたら、私なんかもう感動しちゃって……」
埼玉出身だという彼女は、生徒の名前を話題に上げるときに名字と名前の間に「の」を入れて呼ぶことが多かった。「それって、埼玉方式なの?」と言われてから直そうとしたらしいのだが、二年たっても変わらなかった。埼玉方式ではなく、彼女のおばあちゃんがよくそうやって言うらしいのだ。それを何の疑問も持たずに今までいたらしい。素直な子どもだったのだろうし、その素直さは今でも変わらないようだ。
「……で、谷元の紘子さんは、合唱部の準備の方は万全なんですか?」
「子どもたちは大丈夫ですけど、私の指揮が、相変わらずヘタで……」
「去年のさ、『手紙』の指揮なんて良かったでしょ!」
「いやー、もう言わないでください。もう、何度も何度も言われたんですよ。生徒達にもしょっちゅう言われてますから」
去年、アンジェラアキの『手紙』にまつわるエピソードがテレビを中心に広がり、NHK音楽コンクールの課題曲だった『手紙』が話題になった。我が校の合唱部も「Nコン」に出場するために熱心に練習をしていたのだが、本番前に学校で合わせの練習をするたびに、指揮をしている谷元先生は涙ぐんで声を詰まらせたという。この曲に対する思い入れが強くあったらしいのだ。
本番の「Nコン」札幌地区大会では「緊張しすぎて涙を出す余裕もなかった」と言っていた彼女が、学校祭でこの歌を披露したときに、指揮をしながら声を詰まらせて泣き出してしまったのだ。観客である我々は背中しか見えていないので顔は見えなかったのだが、明らかにハーモニー以外の彼女の「嗚咽」をマイクが拾っていた。合唱部員達は泣き顔の彼女を見て、これまた毎日の練習のことを思い出してしまったらしく、みんなで泣きながら歌うという、なかなか見ることの出来ない合唱部の発表になったのだ。それ以来彼女の泣き虫という評判が生徒達にも先生達にも定着してしまった。
「いやいや、なかなかあんな学校祭は経験できないからねえ!みんなすごく印象的だったと思うよ。三月の卒業式だって……」
校内放送がかかった。
全教職員を呼び出している。
残っていた生徒たちを帰宅させ、全員が職員室に集まった。
まさかと思っていたが、またしてもインフルエンザの流行にやられてしまった。明後日開催予定の学校祭が三週間延期されることになってしまった。同日開催を予定していた近隣の学校の多くが延期することにしたという。罹患率はそんなに高くないものの、大勢が集まることによるデメリットを考えるとあきらめざるを得なくなった。
春の新型インフルエンザ流行による結果を考えるまでもなく、開催を強行することで被害を拡大させてしまう危険性があることは明らかだった。年間の行事予定との関わりや、授業時間の確保や、開催曜日の設定、給食実施回数から、PTAとの連携や……。予定を変更するためには多くの事柄が絡まってしまう。変更はその様々な要素をうまく組み合わせなければならない難しい決断だった。管理職を中心とした委員会で決定されたものだが、その時点では最善の方法と考えられた。仕方のないことだった。
午後6時を過ぎているため、すでに帰宅している先生方や、全校生徒にこの決定の連絡をすることになった。めったに使うことのない職員間の連絡網も、学級の生徒の連絡網もしっかりと機能して、明日は準備活動をいったん整理することにし、明後日から通常の授業が始まることになった。
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