6
さて、答え合わせの時間だ。
研究室で李川と散々議論したはいいが、結局彼女が何故悩んでいたのかー何故あんなことを言ったのかについての理由は依然として不明のまま。彼としたことは、結局予測の域を出ないことなのだ。
あの後李川と別れて、最寄りのやたら大きい駅内をプラプラと散歩して、美味しそうなクッキーを買って帰ってきた。販売員の上手い宣伝に釣られてしまった結果だ。まぁ企業にとってはこれ以上なくいい客であっただろうし、良しとしよう。
あの子はチョコが好きだから、チョコチップとダークココア。ついでにプレーンといちごも二枚ずつ買った。喜んでくれるかは分からない。朝の別れ方がアレだったし。
ただいま、と呟いて靴を乱暴に脱いだ。家の中は真っ暗で、まだあの子は帰ってきていないことが分かる。ちょうど良かった。少しだけでも、こころの準備ができる。
リビングのテーブルにクッキーの箱を置いたとき、朝の食器が水に浸けられたままだったのが目に入った。ちょうどいいからついでに洗ってしまおう、と思う。お風呂場で手を洗って、そのまま部屋着に着替えてエプロンをつけた。
じゃっ、と勢いよく流れた水がシンクを跳ねて床を汚す。あーあ、と思って、雑巾で拭き取った。…ツイてない。
二人分の食器をスポンジで擦りながらぼんやりと考え事をする。
あの子は、苦しかったのだろうか。
李川と話した帰り道、私も少しだけ考えた。LGBT。多様性。そんなものが叫ばれるようになった、世の中。あの子は苦しかったのだろうか。痛かったのだろうか。苛まれていたのだろうかー社会から。
ぼう、と流れていく泡を眺めていたら、玄関の方から扉の開く音がした。
帰ってきた。
「…、あ、」
「……」
ガチャ、と廊下からリビングに続く扉が開けられて、バッチリ目が合う。目が合った。にも関わらず、そのままふいと視線を逸らされて、部屋に戻っていってしまう。
そうして向けられた背にあったのは紛れもない拒絶で、私はそれを見つめて硬直するしかなかった。
「……は、」
フリーズする。脳味噌が働かない。思考がまとまらない。まるで、エラーを吐き出したコンピュータのように。
洗い終わった食器をラックにひっかけて、手についた泡を落とすところだった。そこからピクリとも動けない。何が起きた?
「……は」
しばしの間呆然として、湧き上がってきたのは微かな怒り。それなのに、私は固まって動けないままだ。定まらない焦点で鉛色のシンクを眺めながら、その感情を持てあます。
その状態を壊したのは、再び聞こえた扉の開閉音だった。いきなり響いたそれが私の身体をビクリと揺らす。反射的な動きだった。
彼女はとことこと歩いてきて、リビングの椅子に座る。
「…朝のことだけど」
ぼそ、と小さく呟かれたそれ。気まずそうな顔。
「気にしないでいいから。空が私のこと好きなのは、ちゃんと知ってるから」
だから忘れて欲しい。そこまで言って、少しの沈黙が降りた。「なに、これ」と、彼女が手持ち無沙汰にクッキーの箱をいじるのをぼうっと眺める。
「…は?」
彼女がその箱を開けて中身を確認したあたりでようやく、声がでた。それに反応して彼女がこちらを向く。視線が交わる。
「だから。朝のことは、ーちょっと疲れが溜まってて言っただけだから、気にしないでって言ってるんだけど」
「…うん」
「うん、じゃあこの話終わり。分かった?」
いや、分かるわけないやろがい。
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