怪我
レオンが帰った後、普段と変わらない調子で話しながらテオと細い階段を上がり地上まで戻ってきた。急に明るい室内に目がチカチカする。
降霊術課の部屋に入って、改めてテオの姿を確認すると、すでに寝るところだったのか、服は、いつもの兵服じゃなくて、薄手の麻の寝間着姿をしている。ふと視線を下に向けると、テオの手の甲からは血が流れていた。
「そ、それって、さっき燭台飛んできたときの怪我」
「別に、大した怪我じゃねーよ」
そうは言っているが、テオは部屋に着くなりエルベルトお気に入りの革張りのソファーにぐったりと横になってしまう。心なし顔色が悪く見えた。
冗談のように甘えた声で言われたことが嬉しくて、深く気にしていなかったが、テオは、本当に倒れそうだったらしい。
ユーリは慌てて、部屋にある棚から救急箱を取り出して、寝ているテオのそばに膝をつく。エルベルトのように手際が良いとはいえないが、消毒をして包帯を巻いていった。
「もしかして、他にもどこか痛めたんじゃない? 顔色悪いし、お医者さん呼ぶ?」
「だから、平気だって。つか行ってもこれは治らない。昼に言っただろ、俺はレオン出すと疲れるんだよ。休んだら治る」
「え……そんなの、い、言ってくれれば」
「俺は、ちゃんと言った。けど。お前が無理やりレオン連れていったんだろうが」
ただのいつもの面倒くさがりで言ってるだけと思い、テオの言うことを本気に取っていなかった。ユーリは自分に都合よくテオの言葉を冗談として聞き流していた。それに気づいて落ち込んでしまう。
「ごめん、ごめんね、テオ」
「いいよ。レオンいなかったら、さっき危なかったんだろ? だったらいい」
ぶっきらぼうだけど、そのテオの声には心配と安堵がにじんでいて、胸がぎゅっと締め付けられた。子供の時なら、きっと抱きついていた。
「あのね、テオ」
「なんだよ」
テオは、目を閉じたまま額に腕を乗せて返事する。
「ありがとう……いつも僕を助けてくれて」
ユーリがそう、ぽつりと、お礼を口にしたら、閉じていたテオの目がパチリと開く。金色の目がユーリを捉え、にやりと笑みを浮かべる。
「な、なんだよ」
「じゃあ、お礼に頭撫でてよ」
「ばっ、何、小さい子みたいに!」
「兄弟子なんだろ? だったら弟弟子の面倒は見るべきじゃねーの? 先生だっていつも言ってたじゃん。お兄ちゃんは弟を守るものですって。頭いてぇんだよ。だから、頭撫でて。ほらここ!」
「ちょっ!」
テオはそう言ってユーリの手を掴んで無理やり自分の額に乗せる。
「ユーリ。おーねーがーい」
「し、仕方ないなぁ」
なんだか、頼られて甘えられて悪い気はしなかった。ユーリはテオの前髪をあげて、額の上に手を置く。手当てという言葉もあるので、もしかしたら撫でていると、本当に痛みが和らぐのかもしれないという気持ちも少しだけある。熱はないようだった。むしろ低いくらいで昔はもっと子供体温で熱かったのになと思った。
大の大人同士が、一体何をしてるんだろうと思いながらも、ユーリはテオの頭を撫でながら話を続けた。
「なぁ、お前さ。もしかして、あの性悪先生に、すげー危ないことさせられてるんじゃないのか?」
「テオって本当、先生のこと嫌いだよね」
「アイツのどこに好きになる要素があるんだよ」
「面白いし、優しい」
「お前にだけ、な。俺は面白くねー。――で、お前、いま何やってんの?」
「危ないことなんてない、けど」
「じゃあ、あの血文字は?」
「分かんないけど、ちょっと調べ物をしてて」
「だから何の調べ物? もう言えよ。俺も巻き込まれてるんだから」
迷っていたユーリの背中を押すように、テオの声は有無を言わさなかった。
昼間は周りに人がいて、王宮内に隣国のスパイが潜り込んでいる話については、言えなかった。でもテオだけになら話してもいい気がする。
エルベルトの元弟子だったのだし咎めたりしないだろう。
それに自分一人だけで、あの地下の血文字のことを抱えきれなかった。とっくにユーリの許容範囲を超えている。
「この王宮にリサーヌ国のスパイが紛れ込んでいるかも、しれない」
「それ十分危ないだろ。俺は前から、あの性悪先生は信用できないと思ってたんだよ」
テオは大きくため息をついて、呆れたように言った。
「先生は、僕が一人前の降霊術師として仕事が出来るようにって、ほら、多分ライオンの気持ちだったんだよ。いつまでも先生のこと頼りっぱなしだから」
「ほんと、脳みそお花畑だな。お前、そのライオンにさっき殺されるところだったんだぞ?」
「で、でもね、少なくても、あの霊は、僕を殺そうとはしてなかった、気がする」
「俺は怪我した」
「それは、テオが、突っ込んできたから」
「ぁ? 俺が悪いって?」
テオの眉間の皺が深くなって、声は不機嫌になる。
「ち、ちがう、感謝してるよ! 多分、テオが来なかったら、僕が、怪我してたし」
「レオンは、お前が危ないから来いって言ってた」
「それは、うん。僕……が、頼りない、から」
ユーリは悔しげに事実を口にした。
「分かってんじゃねーか」
「それは、そう、だけど。僕だって頑張ってて……」
「東と、黒い影に心当たりは?」
霊は助けて欲しいと懸命に叫んでいた。行動を縛って、口を封じられている。けれど、そんな霊を縛るような術を使える人間は多くない。
ロスーン国内に限れば、降霊術師はハーウェルの一族と弟子である自分たちだけだし、国の教会だって、霊をむやみやたらと害したりはしない。
「僕は、東って、あの裏にある塔かなって思ってる」
昼間、あの場所を見たとき嫌な予感がした。ただの気のせいだと思いたかったが、地下に残された文字を見て、その疑いが強くなった。
「あそこ今は使ってないだろ。裏は森だからって、そっちから入るような人間もいないし、うちも警備してない」
「……そっか」
「あぁ、だから、侵入者がいたとしても関係ないだろ」
やっぱりテオに相談して良かったと思った。
「……ただ」
テオは、一度言葉を切る。
「なに?」
「あの塔、古いから、いつ崩落するか分からないし、そう言う意味なら危ない。だからユーリは近寄るなよ」
「でも、万が一」
「とにかく、行くなよ」
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