後篇
死体遺棄場所はあろうことか自宅の目と鼻の先だった。隠すならもっと遠くに埋めればいいのにと思わなくもないけど、でも多分、おばあちゃんは見つかったら見つかったでいいやとか適当に考えていたのかもしれない。
「多分ね、
絵美ちゃんとはおばあちゃんの娘で、十八歳の誕生日の前日になにも言わず姿を消したらしい。もしもおばあちゃんの推測が当たっているなら、当時五歳くらいで父親が殺され、直後に母親がその相手を殺し、更に自宅近くに死体を埋める様を目撃していたのなら、ショックどころの話ではないだろう。しかし絵美ちゃんはそのことをおばあちゃんには言わず、十八になるまでの十三年間その時の感情をひた隠したまま母と子を演じていて、満を持して十八歳の前日に家を飛び出したのだろう。
会ったこともない人が何を考えていたのかなんてわかるわけがないけど、でも一般論として、その十数年間はとても辛い期間だったんだろうなということは想像に難くない。
猫同士でも喧嘩から殺し合いに発展することはあっても、人間ほど乱暴でもなければ、人間ほど本気で相手を殺そうとは思わないあたし達からすると、口論の末に相手を殺害してしまうだなんて野蛮極まりない気がしてならないけれど、でもおばあちゃんは必死に家族を守ろうとしたんだろうし、旦那の敵討ちとして一心不乱に棒を相手の頭に振り下ろし続けたんだろうと思うとそれも少し切ない。
おばあちゃんの
あたしはその上からまた柔らかい土を被せて周りの葉っぱとかを上に乗せてその場を離れる。
あたしは泥に汚れた四本の足を
人生色々あるんだろうけど、おばあちゃんが元気に生きててくれていればあたしはそれだけで満足だ。
それからピッタリ四週間後にあたしは自分の死期を悟る。
人間でいうととっくに還暦を超えているらしいあたしは紛れもなく高齢者の仲間入りをしていて、たしかにここのところ、少しずつ身体の不調が増えてきていた気もする。
おばあちゃんはそれに気付いていないみたいで、いつも通りグルーミングしているあたしの隣に座って、あたしの頭を撫でながら「女二人の生活も悪くないねえ」と言う。
あたしは粗方終えていた毛繕いを中断して、おばあちゃんのおしりら辺とあたしを撫でていた左手に額を擦り付ける。
おばあちゃんは嬉しそうに笑うし、あたしもそれが嬉しい。
それから二日後にあたしはいよいよ生命が限界に来ていることを実感し、おばあちゃんに挨拶の一つもなく
死に際を見せないのは別に美学でも拘りでもなく、本能なのだ。
十一月の寒い日にあたしは死ぬ。
あたしは死んで、他の動物に食べられたり昆虫に持っていかれたりしながら土に還る。
死という概念なんてよくわからなくて、おばあちゃんがよく口にしていた輪廻転生とかも更によく判らないけど、でもなぜかあたしはまだ存在している。透明な身体であたしは土の上をふわふわと歩くことができる。そして根矢家に行く。
あたしがいなくなったあとのおばあちゃんはとにかくたくさん
それからおばあちゃんはお水を飲むくらいしか食事を摂らなくなる。
ボーっと縁側から外を眺めては、思い出したように布団に戻って寝る。で、また起きたと思ったらボーっと外を見てるの繰り返しを延々と続けていた。
それが三日くらい続いて、いよいよ起き上がることもできなくなってしまう。
トイレに行くこともできないし、排泄物は全部垂れ流しているので布団の中は糞尿まみれになっているけどおばあちゃんは気にする様子もなく「帰っておいで」と
その言葉が誰に
九十四年の長い人生を終えたおばあちゃんは、漸く長い長い眠りについた。
あたしはニャアと鳴くこともなく、人間みたいに泣くこともなく、ただ黙っておばあちゃんが死んでいくのを見届ける。
おばあちゃんもあたしみたいに透明になって出てくるのかと思って待っているのに全くそんな気配はなくて、風で揺れる草木の音が虚しく聞こえるだけだった。
おばあちゃん。ごめんね。最後の最後で寂しい思いをさせてしまって。
あたしは死ぬまでおばあちゃんと一緒にいられたけど、おばあちゃんは死ぬ時一人ぼっちになってしまったんだよね。
ごめんね。
最後の言葉は、あたしに対してだったのか、それとも絵美ちゃんに対してだったのかあたしにはわからないけど、でもどっちでも構わないとも思う。
おばあちゃん。おつかれさま。頑張ったね。ずっとひとりで――ううん、最後の方はあたしと二人だったけど、それまで何十年も、ずっとずっとひとりで生きてきたんだもんね。
おばあちゃんの死に顔は苦しい表情ではなかったし、安らかな最期と言ってもいいのかな。それだけがあたしはせめてもの救いだと感じた。
おばあちゃんの遺体は、食材とかを配送していたおじさんが発見した。腐敗が多少進んでいたけれど、他殺の様子はなくて、心不全として処理されて、根矢家は住人を失う。
唯一の肉親である絵美ちゃんに遺体や遺品について警察が色々相談したみたいだけど、彼女は「その人とはもう関わりたくないので全部燃やしてください」とだけ言った。
遺族の意向通りに全部焼却処分されて、燃やせないものもちゃんとゴミとして捨てられる。
根矢家にはお墓がなかったので、耕平さん同様、おばあちゃんも無縁仏として埋葬され、お墓参りは当然誰も来ない。
しばらくしておばあちゃんが住んでいた家も取り壊されることになり、あたしはあの白骨死体がバレないかとヒヤヒヤしながら工事を見守る。
でも、今更発覚しても何の問題もないのではとすぐに思い直してその場を去る。
少し歩いたところで、透明な身体のあたしは更に透度を増して、いよいよほとんど目に見えなくなる。あたしの目に見えなくなるだけで、元々他の人には見えていないのだから何も問題ないのだけれど、あたしは少しだけ寂しくも感じてしまう。
ニ回死ぬみたいなのが寂しいんじゃなくて、おばあちゃんにちゃんとさよならを言えなかったことが寂しかったんだと気付く頃にはもう意識すらほとんど消滅しかけている。
おばあちゃんはよく言っていた。
「人と人との出会いには必ず意味があるんだよ。同じ
あたしの僅か十二年の命とおばあちゃんの九十四年の命が等価だとは思わないけれど、偶然出会った二人が時を同じくして天寿を全うするなんて、なんだかほんとに奇跡みたいだなあと、どこか他人事みたいに思いながらあたしは消える。
Life of a Bystander 入月純 @sindri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます