Life of a Bystander

入月純

前篇

 猫は人間のことを大きな猫だと思っているとか言われるけど、おばあちゃんは人間だしあたしは猫だ。


 おばあちゃんはもう九十四年も生きていて、立派な年寄なんだけど、でも同居人はいないから、食事の用意もその他のことも全部自分でやる。


 ここは山奥で人里からもだいぶ離れていて、他の人間が気軽に立ち寄ることもないからおばあちゃんにはあたししか話し相手がいない。


 月に一回かニ回くらいのペースで誰かがおばあちゃんに食材とか日用品を届けてくれるけれど、その中にあたしのごはんもちゃんとあって、たまにデザートも出してくれるんだけど、山の中で木の実とかを適当に食べることもできるし、あんまり気を使わなくてもいいのになあと思うこともある。でもおばあちゃんは善意であたしにごはんをくれるし、あたしもそれを無碍むげにはしないで全部食べる。ちょっと量が多いんじゃない? と思うこともあるけどそれも気にしないで全部食べ切る。そうするとおばあちゃんは嬉しそうな顔をするからあたしもちょっと嬉しくなる。


 たまにおばあちゃんが食べてる物にも興味が湧いてちょっと拝借しようとするけど、「これを食べたら身体に良くないわ」とおばあちゃんはそれを遠ざけてしまい、また缶に入ったあたし専用のごはんをくれる。



 日中はウトウトしていることが多いあたしのお腹の辺りを撫でながら、おばあちゃんはよく昔話をする。


 初恋の話とか、戦争の話とか、ここに引っ越してきた頃の話とか、色んなことを一方的に話す。でももう思い出せないことも多いみたいで、それだけじゃなくて最近の出来事もすぐに忘れてしまうみたい。朝ご飯を食べたばかりなのにまたご飯をよそってたり、あたしにも一日五回くらいごはんをくれることもある。多分もう記憶力がないんだろうと思う。新しいことを覚えていられる能力がないんだ。でもおばあちゃんだからしょうがない。あたしだって年々身体の衰えは感じていて、今まで簡単にじ登ることが出来ていた壁や木なんかに登るのが億劫になり始めている。


 でもまあそれはそれで仕方がないから受け入れるしかない。これは人間だろうが猫だろうが、生きとし生けるもの全ての宿命なのだから。



 でもそうとも言っていられなくなってくる。おばあちゃんは目も悪くなってきて、「最近白い靄みたいなのがずっとあるんだよねえ」と言う。その上足腰も弱ってきていて、段差でつまずきそうになることも増えてきてしまう。特に夜は暗いからただでさえ見えない目が更に見えなくなって危ないので、夜目が効くから暗闇なんてものともしないからあたしは、おばあちゃんが夜中にトイレに行くときは足元に落ちているティッシュの箱とかなにかのケースみたいなのをシャッシャッと前足で跳ね除けて動線を確保することがいつしか日課になった。


 おばあちゃんはお酒は飲まないしタバコも吸わないので嫌な臭いがしないから隣にいても不快感はない。年寄り特有の臭いはあっても気にならない。なんというか、人工的な臭いが嫌いなのだあたしは。だからあたしは基本的におばあちゃんの傍にいる。



 あたしがおばあちゃんと一緒に暮らすようになった経緯はとても単純で、野良猫だったあたしにごはんをくれたことが切っ掛けでここに住み始めることになったのだ。


 おばあちゃんはその時から一人暮らしで、旦那さんは死んでしまい、娘は随分前に出ていってしまったらしいので、もう何十年も山奥で孤独な生活を送っていると言っていた。


 あたしは人がたくさんいるのが嫌いだからむしろありがたかったし、おばあちゃんも「話し相手が欲しかったのよ」とあたしを歓迎した。


 利害が一致したあたし達は時間を掛けずに今のような関係性を築くことになった。


 春になって夏が来て、秋になって冬が来ると、毎年、あたしがこの家を訪れた最初の日をおばあちゃんは「運命の日だった」と語る。


 でも、運命ってなんにでも言えるよねとあたしは思う。


 結局自分自身がどう捉えるかでしかなくて、例えばあたしがあそこにある木の下でどんぐりを拾うのも運命だし、おばあちゃんが毎年季節の変わり目に一回ずつ風邪を引くのも運命だし、そもそもこの世に生を受けた事自体が運命であって、じゃあ運命じゃない出会いとか必然みたいなことってあるのかなとか考えても答えなんて出るわけがないのですぐに思考を断ってあたしはカサカサと風に揺れる草木を眺めて一日の大半を過ごす。



 あたしがおばあちゃんと出会って十一年目の秋に、おばあちゃんは今までにはない酷い風邪を引いた。咳が止まらなくて、食事も喉を通らない。ほとんどお茶しか飲まなくて、涼しいから夏みたいにすぐ脱水症状にはならないのかもしれないけど、流石にお茶しか飲んでないから栄養なんて取れてないし、お腹だって空いてるだろう。でもあたしにできることはなにもなくて、結局ただ傍にいるだけだ。


 おばあちゃんは「風邪が伝染るといけないから」とあたしに部屋を出ていくように促すけど、あたしは言葉がわからない振りをしてそこに居座る。


 おばあちゃんもシンドいからすぐにあたしを追い出すのを諦めて、「せっかくだから一緒に寝ようか」と提案しながら掛け布団を少しだけ捲る。


 あたしはゆっくりと、でも迷うことなくおばあちゃんの胸ら辺から布団に潜り込んで、丸まる。


 風邪の時はお腹を温めるのが良いとおばあちゃんが前に言っていたので、あたしは少しだけ移動してお腹に触れるか触れないかくらいの位置で丸くなる。


 おばあちゃんの細くて骨張った手があたしの頭を優しく撫で「あったかいね」と言いながら眠りに落ちる。


 あたしのお陰というわけではもちろんないけど、翌朝おばあちゃんの風邪はすっかり良くなって、快気祝いとばかりにいつもよりも1.5倍くらいの量を盛ったクッキーみたいな猫用ごはんをあたしは全部平らげる。



 一週間経ってもう体調はすっかり回復したように思えたおばあちゃんは、でもやっぱり常に歩行も発言も不安定さがなくならなくて、今まで以上に同じ話を何度も繰り返すようになった。


「私の旦那さんね、耕平こうへいさんって言うんだけどね、若い時に死んじゃったの」


 この話を聞くのはもう今年に入ってからだけで五十回を超えていて、あたしは話の結末までを暗唱できるくらいには覚えてしまっているけど、でも最後まで同じ姿勢のまま聞く。


「耕平さんね、お酒飲むと喧嘩するの。でね、その日もね、知らない若い男の人と口喧嘩になっちゃってね、でね、殺されちゃったの」


 三十で死んだ旦那の耕平さんは子供がまだ五歳の時に逝ってしまったので、子供は父親をほとんど知らずに育ったことが可哀想だとこの話を締め括るのが常で、そろそろ散歩でもしてくるかとあたしは腰を上げようとするけど、「その男の人ね」と更に話が続くらしく、あたしはまた腰を落ち着ける。


「私、殺しちゃったの」


 あたしはピクンと片方の耳を動かし、おばあちゃんを見詰める。この展開は初めて聞いた。たしかにそのあと犯人の男がどうなったのかまでは語られることがなかったので、てっきり捕まったのか、それとも逃げおおせたのかとか、いや正直想像すらしていなかったけど、どうやらおばあちゃんは旦那を殺された敵を討ったらしい。


「後ろからね、ガン! って頭を叩いてね、一回じゃ死ななかったから、十回か、百回か、それくらい叩いたの。そしたら死んじゃった」


 事故死ではなく、明確な殺意を持って殺害したと、自慢げでもなく、かといって後悔している様子もなく、淡々と韜晦とうかいしていた罪を話すおばあちゃんは、この間寝込んだことによって昔の記憶が鮮明に蘇ってきたのかもしれない。


「ほら、ここから見えるあの大きな木があるでしょう? あそこの下に埋めたの」


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