第2話

 その後もロボットは挨拶を続けていった。始めは一体だけだった挨拶運動が、気付いた時には全てのロボットに広まっていた。挨拶されたロボットが、自身でも挨拶を行うようになり、さらに別のロボットに挨拶する。まるで挨拶という生き物がロボットを宿主として伝播しているような、薄気味悪い現象だった。

 もちろん、俺たちはその様子を何もせず見ていたわけではない。ロボットの制御システムにアンチウイルスソフトを走らせたのだ。しかし、それらしいものは検出されなかった。施設内のネットワークは完全に外界とは隔離されている。インターネット経由での感染はありえない。

 エラーログを確認したところ全て正常に稼働中らしい。少なくともシステム側は異常がないと認識している。

「でもジャックの言う通り。ほんとに挨拶だけなんだ。不気味だよ、まったく」

 デイビスはそう言うと疲れた顔で椅子に沈み込んだ。

「通常の業務は問題なくこなせているようだし。ウイルスじゃないなら賭けは俺の勝ちだな」

「あーあ。焼肉食べたかったなぁ」

 ロボットたちが挨拶を始めた翌日、俺たちは気ままな日常を取り戻していた。

 ぼんやりコーヒーを啜りながらモニターを眺める。映っているのは倉庫だろうか。薄暗い室内に段ボールがいくつも積んである。ちょうど清掃ロボットが集めた埃を近くのダストシュートに入れるところだった。隣にある充電ポートに接続しないということは、まだバッテリーは十分にあるらしい。

 不意に、警備室にビデオ通話のコール音が鳴り響いた。

 この施設には通信室が点在している。機密保持のために外界の電波を遮断しているため、業務連絡には専用の無線か、この通信室から呼びかける必要があるのだ。仕事はほとんどロボットがしてくれる。つまり、セキュリティ関係で余程の緊急事態が起きた時しか、警備室に連絡など入らない。

「おい通話だ! ヤバいぞ一体なんだっていうんだよ!」

「どどどどうする! ていうか、早く出た方がよくない!?」

「あ、ああそうか。そうだな」

 俺は嫌な予感に冷や汗を滲ませつつ、震える手で通話ボタンを押した。

 直後、白衣を来た長髪の女性がモニターに映し出された。どうやら連絡を寄越したのはこいつらしい。

「あれ。繋がったの? もしもーし。こんにちはー」

 マイペースな声がスピーカーから聞こえてくる。緊急事態とは思えないゆったりとした声で。反対に、俺は表情を引き締めた。

 久しぶりに仕事らしいことをするのだ。心してかかるべし。

「あ。はい! こんにちは。どうされました?」

「アレみたよー。おもしろいことするじゃない」

「はい?」

 俺はデイビスに視線を投げた。おい。『アレ』ってなんのことだ。

 言葉にせずとも意図は伝わったらしい。デイビスは首を横に振って困惑の表情を見せる。

 どうやらデイビスも知らないらしい。

「すみません。『アレ』とは一体なんのことでしょう」

「えー。決まってるでしょ。ロボットたちよ」

「んん?」

 ロボットだと? まさか。やっぱりロボットはウイルスに感染していて、なにか致命的な事件でも起こしたのだろうか。

 素早く監視カメラの映像に目を走らせるが、特に異常は見つからない。

 しかし、いつのまにかデイビスがビデオ通話の死角に移動していることに気が付いた。

 彼が恐る恐る手を伸ばす先には、ガラスカバーに覆われた赤いボタン。それはロボットの非常停止ボタンに他ならない。

 バカヤロウ。それだけはダメだ。

 俺は素早くデイビスの腕を掴むと、通話相手に気取られないように話を続ける。

「何を見たのか知りませんが、こちらでエラーは発見できませんので、何かを見間違えたんでしょう。俺たちは忙しいのでこれで」

 俺は無理やり話を終わらせようとまくし立てた。しかし、今度は通話相手が慌てた声を出す。

「あ、待って待って。エラーじゃないの。アップデートよ。ロボットにしたんでしょ? 挨拶機能の追加」

「え、今なんて?」

「だから、挨拶よ挨拶。私が廊下を歩いてたら、ロボットたちが手を振り合っていたのよ。とっても可愛いかったから、思わず連絡しちゃった。あなたたちがやったんでしょ?」

「いや、俺たちはなにも……」

 つい口から零れた言葉を聞いて、通話相手が怪訝な顔になった。

「……え? じゃあ、アップデートは誰が……」

 そうか。アップデートの可能性を見逃していた。ウイルスでもエラーでもなければ、誰かがアップデートしたのかもしれないじゃないか。

 俺は淡い期待を胸に、端末のキーボードに指を走らせた。

 しかし、その結果に背筋が寒くなる。

 もう誤魔化すのは無理だ。正直に言おう。

「アップデートは、ここ数ヶ月行われていません」

 警備室に重い沈黙が広がった。

「……嘘でしょ。まさか機械が勝手に挨拶を始めたとでも?」

 もはや敬語を使う気力も無かった。

 俺は掴んでいたデイビスの腕を離した。バレちまったら仕方がない。強制停止でもなんでもすればいい。いっそひと思いにやってくれ。

 ああ。これからはロボットの代わりに労働地獄。それともコンクリートに埋められて海底に沈められるのだろうか。

 しかし、いつまでたってもデイビスはボタンを押さなかった。代わりに項垂れた俺の肩にそっと手を載せてくる。

「諦めるのはまだ速いって。大丈夫。僕たちで解決すればいいんだよ」

「デイビスお前ってやつは」

 俺たちが二人で見つめ合っていると、スピーカーから困惑成分100%の声が飛んできた。

「あのー盛り上がってるところ悪いんだけど。結局どういうこと?」

「どうもこうも、ロボットが異常な行動を始めたけど、仕事したくなくてもみ消そうとしたら他の人に見つかった。ってところかな」

「おいデイビス言い方! 語弊がありすぎる! ウイルスチェックしたし、ロボットも普通に仕事してたから問題ないって満場一致で決めたろ」

「冗談だって。ちゃんとわかってるから」

 本当か? 俺に責任をなすり付けようとしてないか?

 ケラケラと笑うデイビスを睨んでいると、通話相手が頷きながら言った。

「あー。えっと警備員さん。事情は何となく分かったわ。私にはロボットについて上に報告する義務なんて無いし、する気もないから。でも――」そこで言葉を区切ると、いきなりカメラに顔を近づけた。モニターにアップで映し出された顔が不敵に笑う。

「――なぜロボットが挨拶を始めたのか。真相を突き止めてよ」

「はぁ? それができるならとっくに――!」

「ええそうでしょうとも。だから手伝ってあげる。私にかかればこんな問題、一日あればお釣りがくるわ」

 得意げに言い放たれたその言葉に、俺はモニターの前で後退った。

 自己肯定感たけえな。

 デイビスも横で苦笑いを浮かべながら口を開く。

「なにか解決のアテがあるの?」

「いや全然。だから情報を頂戴。私とあなたたちで推理しようじゃないの。この不可思議な現象の真実を!」

「別に断る理由はないな。デイビスはどう思う?」

 このテンションの高さは不安だが、人手が増えるのは心強い。元は自分たちだけで解決するつもりだったのだ。まさに渡りに船だろう。

「僕も賛成。どうせ僕らだけじゃ解決できないだろうし」

 俺とデイビスが合意すると、通話相手は満足げに頷いて言った。

「ようし。話は決まりね。おっと。まだ自己紹介してなかった。私はミリー。研究員よ」

 研究員と会話するのはこれが初めてだった。モニター越しに見たことはあるが、普段は関わることがない。

「俺は警備員のジャック」

「同じく警備員のデイビスだよ。よろしく」

 ミリーは俯きつつ口を開く。

「ふむふむ。ジャックにデイビスね。よろしく頼むわ。挨拶を最初に見たのはいつ?」

「昨日の、確かあれは……午前中だったか?」

「うん。そこからじわじわと広まっていったんだよね」

「広まった? 挨拶が?」

「まるでウイルスみたいにな。ロボットからロボットに、一体ずつ挨拶に感染したんだ」

 改めて考えてもおかしな現象だった。俺はモニターに映る数々のロボットを眺める。

 決められた挙動をするだけの彼らが、どういうわけかヒトの真似をしている。それも感染というにふさわしい経路で拡大しているのだ。

 学習機能にしては不自然すぎるし、コンピュータウイルスはあり得ない。そんなものが入り込めるほど、この施設は甘くないだろう。しかし実際に現象が起きている以上、何かがあるのは間違いない。機械でできたロボットの中に『何か』がいる。

 背筋が凍る思いの俺をよそに、デイビスが穏やかな口調でいった。

「いやー道徳的だねぇ。これが人間ならむしろ喜ばしいのにさー」

 まるで散歩中の晴れを喜ぶような物言いだった。

「洗脳で世界平和でも成し遂げるつもりかしら。まるで悪魔ね。……まずは、最初に感染した個体を探さないと。なぜ挨拶を始めるようになったのか。原因があるはずよ」

「それならちょうどいいものがあるぞ」

 俺はキーボードを操作して録画映像を表示した。自動的に画面がミリーにも共有される。

「へえ。録画とってあるんだ。それはまだ調べてなかったの?」

「すまん。忘れてた」

 今の今まで録画機能のことを忘れていたのだ。なにせ初めての事案なのだから。勘弁してほしい。

「問題はどうやって現場を特定するかだけど……」

「地道にやるしかなさそうね。一昨日の夜から昨日の午後までの記録を手分けして確認してみましょう」

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