ホラー好きの述懐

星見守灯也

ホラー好きの述懐

「それにね。私、血が流れて死体が映ると心がおだやかになるの」

 そう、彼女は言った。




 久しぶりに会った友人と家でホラー映画を見た。あるアパートで人が次々と死んでいく。呪われた部屋、禁じられた動作、決められた言葉……。その何かの力は家に近づく者から通りかかった人にも及び、そのうち噂をしただけで影響を受けるようになった。霊媒師に見てもらっても「問題はない」と言うのだ。住人のひとりが首元を何かが通った気がして振り返るが何もない。ほっとしたところでカーテンが動いた気がして……。


 知覚できない何かが潜んでいて、誰かを殺そうとしている恐怖はなかなか迫ってくるものがあった。何かがいるのが分かるのに何も分からない。対応できない。大家と住人の人間関係も壊れ、人は疲れ果て逃げることもせず、いつかおとずれる死を待ち続ける。そして――。


「やっぱり、正体は出さないほうがよかったよね」

「あいまいな不安は見えないままのほうが怖かったかも」


 ちょっと陳腐な終わりだったことは否めない。主人公たちが生き残るのか死かといったホラーは、相手が見えて対処できるようになるとサスペンスになってしまう。あるいはアクション。それもそれで面白いが、尻尾の先までのホラーを食べたい胃袋だったのだ。


「でも、最初女の子が死んでいくとこよかったね。だんだん日常が変わっていくところとか」

「うん。良かったと思う。適度なスプラッタだし、死んだ住人がいるように振る舞うのがグロテスクだった」


 私はからんからんと空になったコーラの缶を鳴らしながら聞く。いつもの部屋、いつもの風景のなかに、黒くなったテレビ画面が鎮座していた。背後にあった扇風機をつける。そろそろ古くなってきて音がうるさいから、集中したい時はつけられない。もわっとした生暖かい風が吹いてくる。


「そういや、ホラーのどこが好きなの?」


 それは他愛ないおしゃべりのはずだった。


「うーん。誰だって、この日常が破壊されて欲しいって思うこと、あるでしょ?」

「あるねえ」

「そう、誰も彼も皆そろって破滅してしまえばいい。それを理不尽と思うのは幸せな人だけ」


 なんてね、と茶化すように彼女は言い淀んで笑った。私はその横で借りてきたディスクをケースにしまった。ホラーは娯楽だ。我々は他人の恐怖を同じように体感できるようで、映像だとわかっていても恐ろしい。そんな恐怖とは、自分が安全である限りは快感でもある。脳がばちばち興奮してまだおさまらない。


「それがホラーを好きな理由?」

「だって現実のほうが理不尽じゃない。理解できないとんでもないことが起こってくれたほうが面白いわ」

「なるほど。いろいろぶっ壊したいのね? ストレスでもある?」

「そうね。どうしようもない何かにぶっ壊して欲しいという欲求というか。……崇高サブライム?」


 サブライム……昔、美術でやったかも。巨大なもの、恐ろしいもの、よくわからないものなどを見た時の感情……人間を圧倒する畏敬の念、危機感からくる高揚感、それを呼び起こす絵のこと。


「化け物や怪物って、なんかすごい理解できないものでしょ? それって実際、神と変わらなくない?」

「あー、そうかも。人間にはどうしようもないもんね」


 思わずたてた笑い声が空虚に消えた。彼女は笑っていなかった。ふと、彼女は声を潜めた。


「それにね。私、血が流れて死体が映ると心がおだやかになるの」

「おだやかに?」


 それは私には分からない感覚だった。ホラーはぞくぞくして楽しむもので、おだやかという言葉とはかけ離れて聞こえた。


「『生きてる』って実感できる。あの画面のなかで私は殺されて、そしてまた生まれ直せるから」


 彼女はテレビのチャンネルを変え、深夜のバラエティにする。嘘くさい芸人たちの笑い声の中、その言葉は妙に耳に突き刺さた。私は、その言葉にとんでもない取り返しのつかなさとどうしようもなさを覚える。


「だからホラーが好きなの、きっと」


 彼女がこちらを向く。それは奇妙にゆっくりと、ぎこちなく見えた。こちらを見ないでくれと祈るような気持ちに反して、歪んだ時間はコマ送りのように彼女の動きを映し出した。私の目には、細部まで鮮やかに、はっきりと部屋から切り取られたように見えた。


 その笑みはぞっとする美しさだった。部屋の生贄に捧げられた少女の死体のように。


 私は思わず一瞬目を背けた。理解できないというのはホラーだ。そしてそっと横目で見てしまった。見たくないけど見てしまう。知りたくはないのに知らないでいることに耐えられない。そんなことはないと見て安心したかったのだ。


 そう都合よくはならないというのを、ホラー映画で学んでいたはずだったのに。

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ホラー好きの述懐 星見守灯也 @hoshimi_motoya

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