プロローグ 王国警吏隊国都本庁(スットコランド・ヤード) その②
もはやかける言葉もなく僕が黙していると、部屋の外から姉さんの苛立った声が鼓膜に響いてきた。
「ちょっと、コロンダ。何をグズグスしているの。おいていくわよ!」
その声に僕が慌てて詰所から出ていくと、「おいていくわよ!」とか言っている割には廊下でしっかりと待っている姉さんがいた。
食事くらい一人で勝手に行けばよさそうなものだが、姉さんはどういうわけか一人で食事をする(孤食というらしい)のを嫌うのである。
外で食事をするときはなおさらで、誰か「お伴」がいないと喉が通らない性格なのである。勝ち気に見えてけっこう繊細なのだ。
「ごめん、姉さん。で、今日はどこで食べるの?」
僕がそう聞いたのは、姉さんが外に食事に行くことを知っていたからである。
本庁内にももちろん隊員用の食堂はあるのだが、姉さんは「味付けはまあまあだけどオシャレじゃないから」という理由で利用したことは入隊以来一度もない。必ずと言っていいほど外食なのである。
まあ、王家の居城たるドッキンガム宮殿にもほど近い、国都の中心部に建つ警吏隊本庁の周辺は、国一番の商業エリアが広がっていることもあって、千を超える数の料理店が軒を並べているので、毎日通っても飽きるということはない。
「そうね。今日はなんだかお肉が食べたいわね」
というわけで、本庁からほど近い場所にある一件のレストランに僕たちは入った。この界隈では有名なステーキのお店で、くわえて昼時ということもあって店内はかなり混んでいたが、運良く空いている席があったのでそこに座ることにした。
メニュー表を見ながら姉さんが僕に訊いてきた。
「さてと、コロンダ、お前は何を食べるの?」
「僕は軽めの料理でいいよ。サラダとかパスタとかでいい」
「あら、身体の調子でも悪いの?」
僕は首を振り、
「そうじゃなくてもったいないからだよ。せっかくご馳走がでるのにお腹いっぱいで食べられないっていうんじゃね。夜に備えて胃を空けておくことにするよ」
「なによ、ご馳走って?」
「ほら、例のシャイロック商会の警護のことだよ。今夜、ナントカ記念のパーティーがあるとかで、ブルーク分隊長から挨拶がてら出席してこいと言われたからさ」
すると姉さんは、メニュー表から僕の顔に視線を転じ、
「あら、お前、あんなくだらない仕事をやるつもりなの?」
と、なんとも底光りするような目つきで僕を睨んできた。
同僚の警吏たちから「猛禽類の目」と称されている、不機嫌なときの目つきである。これがじつに怖い!
「だ、だって姉さんが行かないのなら、せめて僕くらい行かなきゃ分隊長の立場がないじゃないか。今回の一件は総監直々の依頼だって言うし、とにかく挨拶がてら先方の話くらいは聞いてくるよ」
「ふん、上官思いでけっこうだわねえ」
と、薄笑いまじりに皮肉ると、ふたたびメニュー表に視線を戻した。
僕が上官思いというよりも、姉さんが「上官軽視」すぎるのだと思うが、あえて口には出さなかった。ある思惑をこめて口に出したのは別のことである。
「それに、貴族たちと接するいい機会だしね」
その瞬間、姉さんの整った眉がぴくりと反応したのを僕は見逃さなかった。
ふたたびメニュー表から僕の顔に視線を転じ、探るような口調で訊いてきた。
「……貴族?」
「うん。なにしろ先方は王族や貴族を相手にしている大商人だからね。さすがに王族は来ないとしても、パーティーにはきっと付き合いのある貴族が大勢来るだろうし、彼らと接する機会なんてそうそうないからさ。この機会に顔と名前を売りこんでこようかなと思ってさ。ハハハ」
「ふーん……」
端的に応じると、姉さんは近くを歩いていた店員の娘に料理を注文したのだが、肉を食べたいとか言ってたわりには、なぜか注文した料理が僕と同じサラダがメインの軽いものだったことに「あれ?」と不思議に思ったのだが、そんな僕に姉さんはお冷を口にしながら独語めいた声を向けてきた。
「まあ、たしかに分隊長の立場ってのもあるからね。筋が通らないことが嫌いな私としてははなはだ不本意ではあるし、名誉ある王国警吏として正直気乗りはしないのだけれど、総監直々の命令とあってはさすがの私も折れざるを得ないし、いったん引き受けてしまったものを反故にして、警吏隊への世間のイメージが悪くなるのも無視できないし、くわえて上司の顔を立てなくてはならないしで、ま、しょうがないといったところかしらね」
「……ようするに、警護の仕事を引き受けるってこと?」
「そうよ」
「…………」
これまでの悪態を含めた言動をさらりと無かったことにして、かくも平然と答えられるのがわが姉上の真骨頂であろう。
まったく調子がいいんだから、ここの気分屋は、と皮肉の一つも言いたいところではあるが、せっかく引き受ける気になった姉さんのやる気に水を差す必要もなかったので、口に出してはこう応じた。
「よかった。きっとブルーク分隊長も喜ぶと思うよ」
「まったく、次の賞与の際はちゃんと考慮してもらわないとね」
分隊長の方こそ「胃薬代」という特別手当を上層部に請求したいだろうにと僕は思ったが、あえて黙っていた。
「あっ、いけない!」
突然、姉さんが椅子を飛ばして立ち上がった。
「どうしたの、姉さん?」
「ワインを注文しちゃったわ。パーティーではもっと上等なのが出るでしょうから、今呑んだらもったいないじゃない。キャンセルしてくるわ!」
そう言うなり慌てて駆けだしていった。まったく、なにをか言わんやである。
ま、ちょうどいい。姉さんが戻ってくるのと、注文した料理が運ばれてくるまで時間があるので、そろそろ自己紹介をしておきたいと思う。
僕の名前はコロンダという。
年齢はこの年で十八歳であり、この国――ダイエイ王国の警吏隊で警吏を務めている。
僕が生まれたこのダイエイ王国は、大陸から見て北西の海に浮かぶ島国である。島国といっても大陸とは帆船で片道一日から二日くらいの距離なので、絶海の孤島というわけではない。
むしろ大陸諸国やそこに住む人々との交流は活発で、実際、僕が住んでいるこの国都グレーター・デンドンには数多の異国人が暮らしているほどだ。
そのダイエイ王国の警吏である僕だが、まあ、とりたてて言うほどのことはない。
この年十八歳であり――これはもう言ったっけ? ともかくこの春に王立学院を卒業して、
わがダイエイ王国において、僕のように騎士階級の家に生まれた人間の学院卒業後の進路は、大きく分けると三つしかない。騎士団に入って騎兵となるか、警吏隊に入って警吏になるか、もしくは仕官できずに浪士(ようするに無職)になるかのいずれかである。
むろん、望んで浪士になりたい人間などいるわけないのだが、騎士団と警吏隊双方にも「採用枠」というものがあるから、志望したからといって必ず入れるものではないのだ。
幸いにも僕は第一志望であった警吏隊に、しかも実家のある国都の本庁に入ることができたが、学院の僕の同窓には騎士団と警吏隊のどちらにも入れず、かといって浪士は家名と世間体が許さないからと、泣く泣く歩兵として国軍に入っている者が幾人もいる。
仮にも騎士の家に生まれた者が、平民出の兵士と同じ歩兵として働くのはさぞや屈辱だろうなあと僕などは思うのだが、それでも「浪士よりはマシだ!」と彼らは口をそろえて言う。
これが貴族なら、上は宮廷勤めの侍従官や書記官、下は地方の役所の代官や事務官、もしくは領主を継いで私領地を治めたりと働き口は広く、よほどのボンクラでないかぎり「無職」になることはない。
また数は少ないが学院には平民階級の学生もいて、彼らのほとんどは大銀行や大商会といった豪商のお坊ちゃん&お嬢ちゃんなので、これまた卒業後の進路に困ることはまず無い。これを考えると、騎士階級というのは実に中途半端なポジションなのである。
貴族のように治める領地があるわけでも、幅広く仕事先に恵まれているわけでもなく、平民のように継げる家業をもっているわけでもない。「枠」にあぶれてしまった者は、浪士が嫌ならとりあえず歩兵として国軍に入り、仕官できる日を待つしかないのだから。
騎士階級を指して「悲哀の
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