プロローグ  王国警吏隊国都本庁(スットコランド・ヤード) その①



「バカバカしいわっ!」


 ……本来、ファンタジー小説というものは、むろん人によっていろいろな考えや解釈はあるだろうが、ともかく個人的には幻想的で魅惑ある世界観を表現し、冒頭から読む者の心を躍らせるような書き出しになって然るべきと僕は考える。


 しかしながら、物語の舞台が【王国警吏隊国都本庁スットコランド・ヤード第一捜査分隊詰所】という、およそファンタジー系の作品ではあまり聞き慣れない名称の、どこか物々しい印象すら感じさせる特異な場所からのスタートになると、この場の長たるブルーク第一捜査分隊長はもちろんのこと、本作品の主人公たる僕ですら差し置いて、まずはわが実姉たるこの女性――ミランダ主任警吏が出てこないわけにはいかないのである。


「ほんと、バカバカしい話ですわ!」


 まさに「傲然」としか表現できない口調でさらに吐き捨てると、姉さんは近くにあった牛革造りのソファーにでんと腰を降ろし、足を組んでふんぞり返った。


 その姿がまた絵に描いたような「ふてぶてしい」もので、そんな姉さんを僕は、その後背から内心ハラハラしながら眺めていたのだが、そうはいっても弟として生まれて十何年もの付き合いとなると、「また始まったよ」と苦笑して済ませるだけの心の余裕が僕にはある。


 しかし、そんな僕と違ってまだ三、四年ほどの付き合いしかない、吐き捨てられた相手のブルーク分隊長はというと、苦笑で済ませるのはどうやら不可能だったようで、怒りと屈辱で顔面神経痛でも患ったかのように目もと口もとをヒクヒクさせていた。


「バ、バカバカしいだってぇ……!?」


 上官である自分の命令をはねつけられて、ブルーク分隊長は声をわななかせながら語をつないだ。


「お、おい、ミランダ君。これは上官命令なのだぞ。わかっとるのかね?」


「光輝ある王国警吏隊国都本庁スットコランド・ヤードも落ちたものですわね、分隊長殿」


 毒を含んだ物言いとは、まさにこの言い草であろう。


 鼻であしらうとしか表現不可能なその口調に、ますます目もと口もとをひくつかせるブルーク隊長に姉が冷笑まじりにさらに言い放つ。


「特別な任務というから何事かと思ったら、なんと、どこぞの平民のバカ娘の警護をしろというのだから呆れてものも言えませんわ。警吏隊の、いえ、王国騎士としての誇りはどこへいったのでしょうか?」


「バ、バカ娘だと……?」


 ブルーク分隊長はますますひくつく口もとをなんとか制御しながら、

「おい、いいかねミランダ君。シャイロック家は平民とはいえ、わが国で五指に数えられる豪商で、しかも王家の御用達商人にも選ばれている家柄なのだぞ」


「ゴヨウタシだかオヒタシだか知りませんけどね、分隊長殿。身の危険を感じているというのなら民間の護衛商あたりにでも依頼して、警護の人間を雇えば済む話ではありませんか? 警吏隊に、それも事件捜査が任務の私たち第一分隊に依頼してくること自体、筋違いというものではありませんか?」


 嘲るような物言いから一転、な正論を吐かれてさすがのブルーク分隊長も反論に窮したらしい。「ううっ」と小さくうめいたきり言葉が続かない。


 ちなみに姉さんが口にした「護衛商」とは、その名のとおり依頼者の護衛や屋敷の警備などの業務を専門とする商会のことである。


 もともとは浪士――仕官できずにいる騎士のこと――が、任官するまでの間の食い扶持を稼ぐための副業みたいなものであったのだが、腕に覚えのある武芸者を数人集めるだけで手軽に起業できることにくわえ、貴族や豪商などからの警備や護衛の依頼といった根強い需要もあることから、今では一大産業にまで発展して、国内には千を越す商会があると言われている。


 たしかにシャイロック商会ほどの大店であれば、護衛の百人や二百人くらい雇い入れることなど造作もないことだろうし、姉さんの嫌味の前にブルーク分隊長が完黙してしまったのも、おそらく分隊長自身もそう思っているからだろう。


 にもかかわらず護衛の命令を下してきたのには、何か理由があるのだろうか……?


 反論に窮し、口をモゴモゴさせるブルーク分隊長に、薄笑いまじりに姉さんが嫌みと皮肉の追い打ちをかける。


「そもそも分隊長。われわれ警吏隊の任務は、すでに起こった事件を調べ、犯人を突き止めて解決することにあります。むろん、そんな子供にでもわかる道理がわからない分隊長殿ではないとは思い……」


 そのとき、姉さんの嫌みを遮るかのように、正午を知らせる鐘の音が分隊の詰所の中だけではなく本庁内に響いた。


「あら、もうお昼ね。では分隊長、昼休みの間にそこのところよーく考慮してくださいね。じゃあコロンダ、ランチを食べにいくわよ」


 そう言うなり姉さんはスタスタと部屋から出ていった。


 その姿が消えると、ブルーク隊長は心底から疲弊しきったように、ぐったりと自分の椅子に腰を沈めた。そして胃薬だかなんだか知らないが、机の抽斗から白い粉末を取りだして、それをヤケッパチ気味に口の中に流しこんでゴホゴホと咳きこむ始末。まったく、慌てて服用するからである。


「あの、分隊長。大丈夫ですか?」


 さすがに見かねて僕がそう声をかけると、ブルーク分隊長はひきつった笑みを浮かべ、


「な、なあに、もう慣れっこだよ。ワッハッハ!」


 と、ことさら明るく振る舞おうとしているあたりが、どこかいじらしかった。


「それにしても分隊長。分隊長はシャイロック家の人とは親しいので?」


 そう僕が訊ねたのは、奇妙と思える今度の護衛の依頼の裏に、何か事情があるのではないかと感じたからだ。


 実際、そのとおりで、裏側の事情を分隊長は語りだした。


「いや、じつは今度の件は警吏総監からの直々の依頼なのだ。なんでも亡くなった先代の会長とは親しい付き合いがあったとかでな。で、商会側から相談を受けた総監から『君のところから人をだしてもらえんかね』という話が私のもとに来たのだ」


 なるほど、そういうことね。分隊長の説明に僕はすこぶる納得した。


 いや、こう言っちゃなんだけど、シャイロック商会ほどの大豪商が、分隊長クラスの「中堅官吏」にわざわざ話を持ちかけてくるはずがないのだ。


 実際、うちの隊長はそんな大物じゃないし、というか絵に書いたような「小物」だし、まして王家御用達商人なんかとの間に人脈もあるはずない。内心でそう思いつつも、声にだしたのはむろん別のことである。


「それにしても総監直々の依頼となりますと、さすがに断れませんよね」


 するとブルーク分隊長は「我が意を得たり!」とでも言いたげな顔つきで、突然ガバッと椅子から立ち上がり、


「そ、そうなんだ! いや、私としても本心ではなぜ名誉ある王国警吏隊が、そんな用心棒みたいな下世話な仕事をやらなければいかんのかと忸怩たる思いがあるのだが、なにぶん総監直々の依頼であるし、なにより私の出世にも影響が出るだろうし……」


 本音丸出しの語尾に深いため息が重なった。


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