第5話 行方不明

 警察がそそくさとやってきて、静寂の中で、鑑識作業が始まると、最初のうちは刑事ふたりとも、鑑識の様子を見ていた。

 そこで、何かが発見されたりすれば、それを踏まえたうえで、

「第一発見者や証人がいれば、その人に聞いた方がいい」

 ということになるだろう。

 それを感じたのか、最初は、刑事や鑑識の様子を眺めていたが、住職が、一人の刑事に耳打ちするように話しかけると、刑事は、それに頷いて、一言声をかけた。

 その声も、忍び声で、実に静かなものだった。

 すると、住職が、第一発見者である坊主に向かって、

「刑事さんの許しが出たから、いつものお勤めに戻りなさい」

 と、住職は、ニコニコしながら言った。

 このニコニコ顔が、この住職の、

「いつもの顔」

 であり、さっきからの様子を垣間見ていた皆は、住職の表情が、彼らから見て、いつもと違っていたので、

「心配で皆、陰から垣間見ていた」

 ということであった。

 刑事たちから見れば、

「住職は、落ち着いていて、さすがはご住職だ」

 ということであっただろう。

 しかし、他の坊主たちから見れば、

「あんな住職の顔を見たことがない」

 ということであろう。

 というのも、その表情は、完全にこわばっていて、顔色もまるで、坊主たちから見れば、変わっていて、

「まるで土色のようだ」

 と感じていたことだろう。

「そう、車やバスが、黄色い点灯のトンネルの中で、助手席から運転席の人の顔を見た時など、顔色はまったくないように見えて、もしニコニコしていたとしても、その顔には、恐怖が宿っているようにしか見えない」

 というようなものである。

 確かに住職の表情は、

「怖い」

 としか見えなかったであろう坊主たちであったが、それは、さすがに、

「寺の中で死体が発見された」

 ということであるので、それが何を意味するかということを、子供の彼らに分かるはずもない。

 住職とはいえ、

「今までに一度も起こったことのない、前代未聞のできごとがいきなり起こったのだから、顔が青ざめるということも、あって当然」

 ということになるだろう。

 坊主たちは、警察の尋問というのがどういうものなのか、テレビドラマくらいでしか知らないので、

「さぞや、冷淡で、事務的なものなのだろう」

 としか思っていない。

 実際に、そうでなければ、冷静な判断力で、事件に立ち向かうなどできっこないということである、

 坊主も、住職も知らないことであったが、

「刑事として、捜査に向かうには、いろいろ厳しいことがある」

 という、

 刑事としての権利があるとした場合に、

「自分の何親等か以内に、過去に犯罪者がいない」

 ということが前提だという。

 そもそも、警察官として雇う場合には、そういうところま調べ上げて、

「もし、そういう人が身内にいれば、警察官として雇うことはできない」

 ということになるだろう。

 だから、逆に、警察官の身内が、何かの犯罪を犯したとすれば、その警察官も、警察を辞めなければならず、

「退職願」

 を提出するということになるのだろう。

 もちろん、警察の場合が、一番重たいのかも知れないが、

「公務員」

 というのは、そのあたりの規律は、非常に厳しい。

 彼ら公務員は、普通の一般会社員が、何かの罪を犯したとしても、よほど大きなことでもなければ、ニュースで実名が乗ることは、それほどないだろう。

 しかし、

「犯罪に貴賤というものはないのかも知れないが、罪状の大きさからからいうと、飲酒院展でも、公務員が行えば、必ずといっていいほど、ニュースなどで、報道されることだろう」

 しかし、一般市民であれば、

「よほどの酷さでもなければ、実名報道は控える場合が多い」

 という、

 それも、いい悪いは別にして、

「プライバシー保護」

 という観点が働いているといってもいいだろう、

 警察官というものは、さらに厳しいものである。

 特に、

「捜査本部」

 というものが開かれたら、そこには、現場の刑事を中心に、管理官であったり、本部長がいたりする、

 そして、捜査が進んでいって、証拠や証言などから、本部長がいろいろ他の幹部に相談しながら、容疑者を絞っていく。その間に、

「捜査方針」

 というものが、大体決定し、その方針に沿って、捜査が行われることになるというものだ。

 いったん、その捜査方針が決まってしまうと、それに逆らうことは、管理官であっても、許されなかったりする、

 もし、捜査方針に管理官が従わなければ、その管理官は、

「捜査本部から排除される」

 ということになるだろう、

 もっとも、

「序列よりも、捜査方針」

 というのは、理屈から言えば、当たり前のことであり、

「それをいえるのは、部下であっても、できることであった」

 それだけ、警察の規律は厳しいものだといえるだろう。

 また、警察というものが、世間と比べて、

「古臭い」

 だとか、

「まるで、チンピラの集団じゃないか」

 と言われているのは、やはり、

「管轄」

 というものがあり、それが、

「縄張り意識」

 ということで、刑事ドラマなどでよく見る。

「管轄違いの警察に、仁義を通す」

 などという人のいるくらいで、

「これが警察なのか?」

 と思わせたりするだろう、

 だから、刑事ドラマで、

「県警や警視庁を、本店と呼び、各所轄を、支店と呼んでいる」

 ということであった、

 それをよくテレビで放映し始めたのは、ちょうど、今から30年くらい前の、

「トレンディドラマ」

 というものが流行っていた時代であり。その時代では、

「コミカルであるが、警察の内情をしっかりと描き、現場の刑事と、キャリアとして、のし上がっていこうとする人の友情があったりした」

 というものだった。

 キャリアとしてのし上がっていこうという人は、

「自分が警察でやりたいことをしたければ、えらくなるしかない」

 と言われたということで、

「自分が指揮をとれるくらいまで上り詰めればいいのだ」

 と信じていたのだ。

 しかし、実際には、

「上にいけばいくほど、その闇は深く、さらに、政治家や財界などと結びつくことで、警察といえども、何もできなくなってしまう」

 ということになり、

「雁字搦め」

 ということになってしまう。

 というのが、警察組織。

「いや、公務員というもの」

「いやいや、社会の大きな構造だ」

 といってもいいのではないだろうか。

 そういうドラマを見て育った人は、正直、警察に協力的ではないだろう。

「こっちが、協力しようとしても、そうせあいつらは、上から目線で、ちょっとでも、怪しいと思えば、高圧的な態度で、恫喝してくる」

 というものであった。

 それは、すでに、

「公然の秘密」

 であって、そのことを、警察の、

「お偉いさん」

 は、まったく悪いという感覚はないのだろう。

 これこそ、

「今の警察幹部の人たちは、何がしたくて、警察に入ったというのだろう?」

 と考えてしまう。

 普通の子供が警察官にあこがれるのは、

「まるで、水戸黄門や、遠山の金さんのような、勧善懲悪の気持ちをもって、自分も悪に立ち向かう」

 という気持ちからではないだろうか?

 だが、実際に、そんな、

「悪に立ち向かう」

 という気持ちがどこでどうなってしまったのか。特に、

「キャリア組」

 と呼ばれる人たちは、警察に入る前に、競争に打ち勝ってきて、

「国家公務員試験」

 に合格して、官僚候補として入ってきたのだ。

 その時に、

「今の立場を最初から分かっていたのか?」

 それとも、

「警察に入ってきてから、警察というのが、どういうところなのかということを、そのいい頭で考えて、どうふるまえばいいのか?」

 ということまで、計算してふるまっているということではないだろうか?

 そこまでくれば、

「勧善懲悪」

 などという言葉は、忘れてしまったといってもいい、

 警察というところは、部下の刑事たち、つまりは、

「ノンキャリアの連中には分からない厳しさがなければいけない」

 ということが、

「警察組織のモットーである」

 ということが考えられるということで、

「上下の温度差の違いというのは、実際の現場での感覚をも凌駕する感覚」

 ということで、

「交わることのない平行線」

 というものを描いているといえるのではないだろうか?

 そんな警察組織は、管轄においても、結構酷かったりする、

「だから、テレビドラマになりやすい」

 ということであろう。

 さらに、政府や、ゼネコンなどどの癒着などというテーマが、昔の、

「社会派ミステリー」

 と呼ばれた時代を彷彿させる。

 当時の、

「高度成長時代」

 というものの、

「裏側をえぐる」

 というものであるが、一番大きな問題として、

「貧富の差」

 というものが、考えられる。

 というのは、当時の時代背景として、ドラマ化されたもので、印象に残っているものとしては、

「小さな町工場での、殺人事件」

 というものであったり、

「ゼネコンを巻き込む形の、ダム建設における、立ち退き問題などにおいて、ダムができた後のダム湖に沈んだ村が影響しての殺人事件」

 などというものが、今の時代では、想像がつかない動機だったり、切羽詰まった感覚であったりするのだろう。

 それを考えれば、

「警察や、公務員、官僚や、ゼネコン」

 などというのが、これがさらに政治家を巻き込んだりすると、世の中の裏の部分が見え隠れして、今の時代の

「刑事ドラマ」

 になってきているのではないだろうか?

 ただ、これは、

「テレビ番組として、盛りすぎている」

 ということは、最初から分かっていることなので、実際に、そこまで考えて、

「今目の前に来ている刑事と対応しよう」

 とまでは思っていない。

 ただ、警察というのを、甘く見るのはまずいということを、肝に銘じるくらいはしておいてもいいだろう。

 というくらいのことは考えていた。

「刑事というものを泣けて掛かってはいけない」

 というだけのことであった。

 ただ、そのために、材料となる部分は、テレビでかなり盛られたということで、その分は、差し引いて考えなければいけないということであろう。

 鑑識が、いろいろと探っているのを、2人のうちに1人の刑事が、あれこれと指示している。

 これも、

「刑事としての職務」

 ということで、ここの、命令系統は、正当なものということであろう。

 別に、

「上下関係によるパワハラ」

 などということはない、

 一見、厳しそうに見えるが、この場を管轄するのは、刑事であり、鑑識は、

「普段自分たちが、マニュアルに沿ってやっている捜査以外で、必要な部分は、

「刑事が指示しなければいけない」

 ということであろう。

 それこそ、鑑識が勝手にやれば、刑事の立場というものはないであろうし、だから、鑑識も、

「刑事の指示を待っている」

 といってもいいだろう。

 勝手にできないというのは、当たり前のことで、せめて、刑事に対して、

「捜査の進言くらい」

 は行ってもいいだろう。

 しかし、これも難しいところで、刑事の中には。

「鑑識から言われただけで、いら立つ人もいる」

 というわけだ。

「刑事の方が偉い」

 とでも思っているのか、

「鑑識ごとき」

 などと口には出さないが、そう思っている人も若干はいるのではないだろうか?

 実際に、口に出す人もいるだろうが、そこは、さすがに鑑識も

「腹が立っても、文句を言えない」

 という、昔からの、

「悪しき風習」

 というものがあるのか、

「刑事には逆らえない」

 という感覚でいる鑑識官もいることだろう。

 そうなると、鑑識も、

「余計なことを言わない方がいい」

 と思うに違いない。

 下手に、進言して、間違っていたり、まったく無駄なことだったりすれば、今度は刑事に恨まれて、

「もう二度と、鑑識は、口出すな」

 と言われて、それで終わり。

 ということになってしまうことだろう。

 そんなことになってしまえば、

「刑事と一緒に仕事をするのが嫌だ」

 ということになり、

「鑑識の仕事は嫌ではないが、刑事との軋轢がたまらない」

 ということで、中には辞めていく人も多いだろう。

 それが、人間関係というもので、特に警察という組織は、

「人間関係」

 ということには、シビアなのかも知れない。

 鑑識の方も一段落したのか、今度は、刑事の一人がこちらにやってきた。

 鑑識の様子を見ていると、

「現状でも分かることがある」

 ということでの、驚きのようなものが、数個あったような気がする。

 それを、事情聴取の時に、言ってくれるのかどうかまでは分からないが、その内容に少なからずの、

「予期していなかった」

 ということが含まれているような気がして仕方がないのだった。

 死体がうつ伏せだったことで、顔もハッキリと分からないので、男か女かもわからない。

 しかし、雰囲気としては、

「女ではないか?」

 と思えたのだ。

 それは、身長から見ても、小さいのが分かった。そして、からdあのくびれなどから、男性にしては、華奢に見えるが、

「出るところはちゃんと出ている」

 と住職にも分かったのだ。

 住職といっても、別に本人も、

「聖人君子だ」

 とも思っていない。

 普通に酒も飲むし、女も抱く。

 ただ、職業が

「寺の住職だ」

 というだけのことであった。

 しかも、この住職は、本を読むのが好きで、昔の探偵小説などが好きだった。

 正直、今回の事件が寺で勃発したというのは、住職としては、

「これ以上の侮辱というのもない」

 といってもいいかも知れないが、

 だからといって、

「私は、別に俗世間から、離れているとは思っていない」

 と感じていることから、逆に、

「この犯人、この私が暴いてやろう」

 というくらいに考えていたりした。

 だからといって。

「警察の捜査の邪魔」

 をするというわけにはいかない。

「自分でできる範囲でやってみて、それでだめなら、それだけのことである」

 と考えれば、気も楽というもので、何といっても、

「寺で人が死んでいる」

 というシチュエーションは、

「住職のプライド」

 というものをかなぐり捨てて、自分の立場を考えることなく、

「他人事だ」

 と考えることさえできれば、

「面白い目で。事件を見ることができる」

 と感じるのであった。

 警察が、第一発見者を呼び出した時、

「私が保護者のようなものですから」

 といって、刑事に名乗り出て、、住職は、

「自分も一緒に話を聞きます」

 といって、そこで同席することにした。

 刑事は、

「そうですね、まだ、彼は未成年ですから、ご住職にそばにいてもらうと、こちらも助かります」

 といって、同席を許されたのだ。

 これは、どこの警察でも、同じような対応であろうが、面と向かった今回の刑事は、想像していたよりも、温和な感じで、

「テレビドラマに出てくる。堅物刑事」

 という感じではない。

「それでは、よろしくお願いします」

 ということで、お互いに、顔合わせというところであった。

 刑事と面と向かって、二人は挨拶をした。お寺側の方は、

 住職を、

「朕然和尚」

 といい、房洲を、

「了然」

 と言った。

 警察側は、上司の方が、桜井刑事で、もう一人が高田刑事という。

 まず、桜井刑事が、最初に質問した内容は、お寺側からすれば、意外なものだった。

「了然さんが、死体を発見された時、あの様子に変わりはなかったですか?」

 と聞くので、坊主は少しびっくりして、

「え、ええ、そうですか?」

 と答えた。

 今の質問は、完全に、

「死体を動かしませんでしたか?」

 といっているようなもので、それが何を意味するのかも分からなかった。

 了然とすれば、

「うつむせになっていたので、顔を確認することもできなかったので、動かせるくらいなら、動かして、確認していますよ」

 と言いたかったくらいだったが、さすがに、相手が何を考えているか分からないだけに、とりあえず、

「ここは、和尚に任せるしかない」

 ということで、和尚が、何を言い出すかということを考えると、黙って見ているしかなかった。

 それを察した、和尚は、

「桜井刑事、今のご質問ですが、それはうちの坊主が、死体を動かした形跡があるということでしょうか?」

 というので、

「ああ、いやいや、実際に、うつ伏せだったのかどうかということが、正直鑑識の話によると、違ったかのように言われているので、それを確認したいと思いましてね」

 と桜井刑事が言った。

 それを聞いて和尚は、

「ということは、被害者が、本当はあおむけだったということが言いたいんでしょうか?」

  と聞くと、桜井刑事は、少し戸惑いながらも、正直に、

「まあ、そういうことですね」

 というと、今度は和尚が少し考えて、

「ということは、鑑識の見解としては、あおむけになっていたという見解だということは、背中に土がついているとか、それとも、死後硬直の具合が、違っているということでしょうか?」

 と尋ねると、今度は桜井刑事が、恐れ入ったというような驚きの表情を見せて。

「詳しいことは、解剖の結果を見ないといけませんが、背中の土の付き具合から、背中を下に向けていたのではないかという考えもあったみたいですからね」

 と桜井刑事がいうと、それに構うことなく、和尚の方は、

「動かしたかどうか、死体に、うちの坊主の指紋がついているかどうかで、分かるというものですよね?」

 というと、またしても、桜井刑事は恐れ入り、

「まさしくその通りですね」

 と言った。

 きっと、この坊主は頭がいい坊主で、死体を発見すれば、触ってはいけないということを瞬時に理解できたということなのだろう。

 だからこそ、さっきからの証言で、

「被害者の顔を確認していない」

 といっているのも、辻褄が合っている。

 先ほど、少し制服警官が、

「あなたは、被害者に見覚えは?」

 と聞かれた時、

「ありません。しかも、うつぶせになっていて顔が確認できないのですから、余計に分かるわけがあるません」

 というのだった。

 これが、

「死体を動かしていない」

 という証明にもなるというものだった。

 それを聞いた桜井刑事は、

「この和尚、なかなかやるな」

 と思った。

 だからなのか、本来では絶対に言わないような情報をわざと流したのだ。

「実はですね、この被害者なんですが、どうやら、身体から、身元を示すようなものを抜かれているようなんですよ」

 というと、それを聞いて、本気でそう思ったのか分からないが、和尚の方から、

「えっ、そうなんですか? じゃあ、行きずりの犯行ということもあるということでしょうか?」

 と聞いてきた。

 この状況から考えて、

「行きずりの犯行」

 であることは考えにくい、もし、行きずりであっても、死体の発見が、ここだというのは、

「あまりにもおかしい」

 といえるのではないだろうか?

 明らかに、

「刑事がカモを掛けてきた」

 ということであろうが、だからといって、

「身体から、身元が分かるものを抜かれていた」

 ということは、まんざら嘘ではないだろう。

 それを思えば、

「警察も、体裁ばかり構ってはいられない」

 ということであろうか。

 ただ、もう一つ、警察は、何かを気にしていた。

 それが何かを考えていると、桜井刑事は、こちらの様子を伺いながら、いろいろ考えているようだった。

「いいたくて仕方がないという感じであろうか?」

 と、和尚は感じていた。

 これは犯人にとってなのか、被害者にとってなのか、刑事が何を言いたいのかということを考えていると、最初に思った状況を考えて見ると、和尚が考えたことというのは、

「犯行現場はここではないな」

 ということであった。

 これは、鑑識が見れば一目瞭然であろう、

 なぜなら、人が殺されているにも関わらず、まわりがほとんど荒れていない。

 これが、

「刺殺」

 であるにしても、

「絞殺」

 だとしても、暴れるはずだろうから、まわりが荒らされているのも分かるというものだ。

 といっても、この寺の墓地は、思ったよりも、まわりが殺風景なところであった。

 そういう意味では、犯行が行われたとしても、ここであるかどうか、最初から分かりにくいところであった、

「まさか、犯人がそれを狙って、考えてのことではないだろうか?」

 と、和尚は考えた。

 そして、和尚は、

「自分にもわかるくらいだから、当然プロである、桜井刑事にも、高田刑事にも分かるというものである」

 と感じた。

 それなのに、何かこちらの探りを入れてくるということは、一番考えられるのは、

「こちらが犯人だ」

 ということを決めてかかって、こちらのボロが出るのを待っているのではないだろうか?

 そんなことを考えているとすれば、

「どこまでが、こちらを探っているのか?」

 ということが分からなければ、お互いに、

「腹の探り合い」

 でしかないということになるだろう。

 相手も同じことを思っていて、敢えて、仕掛けてきているのかも知れない。

「ハッキリと分かっていることは、被害者が、絞殺されたということなんですね。だから、あの場に血が流れていなかったですよね?」

 と、高田刑事に言われたが、和尚も、坊主も、正直死体を見たわけではないので、それに関しては何とも言えなかった。

 これは、あくまでも、何かの迷信なのかも知れないが、実は、ここの宗派であるところの宗教団体は、

「死体を直接見てはいけない」

 ということを言われているようだった。

 死体を見るとしても、キチンときれいになった状態で、これから供養をするということで、

「自分たちの出番がある」

 ということになるのだ。

 そのことがあるので、二人とも、死体を直接見ることができないので、だからこそ、すぐに警察に連絡したのだ。

 もちろん、

「死体を直接見てはいけない」

 といっても、不可抗力の場合は仕方がない。

 交通事故などのような突発的なことであったり、しょうがない場合は、見たとしても、それは、問題にされることはないが、そもそも、

「お寺の敷地内」

 というところで、

「供養もされていない死体が、横たわっているなど、想像もしていないだけに、その思いは、とにかく、驚きでしかなかった」

 ということである。

 そんな状態において、いくつかの、

「行方不明」

 というものが、この場に存在している。

 まずは、

「被害者の身元を示すものである」

 この場所が、

「犯人とも、被害者ともに、まったく関係のある場所なのか?」

 それとも、

「関係のない場所なのか?」

 ということを考えると、そもそも、お寺の坊主も、和尚も、殺害された人間の顔を見ることはないのだから、そういう意味でいけば、最初の疑問である、

「元々、死体が仰向けだったのではないか?」

 ということであれば、死体を触るなどできるはずがない。

 この宗派は、当然ながら、供養していない死体を触ることも許されない。

「顔を確認することすらできないのに、触るなど、もってのほかだ」

 といえるのではないだろうか?

 もっとも、刑事は、そんな、

「宗派の掟」

 のようなことを知るはずもない。

 そういう意味では、ここに死体を置いておくというのは、犯人が何かをたくらんでいるとすれば、その目的は、

「死体をお寺に放置する」

 というだけのことで、成り立つというものではないだろうか?

 そんなことを考えてみると、この場における。

「行方不明」

 となっているものがいくつあるのか?

 ということである。

 そういう意味で、お寺側の状況から考えると、

「死体は、他で殺されて、運ばれてきた」

 ということは間違いないだろう。

 誰も悲鳴も何も聞いていないのだから、それも騒然だ、

「お寺の朝が早い」

 ということで、

「深夜はここに持ってきて置いても、誰に見つかることもない」

 ということである。

「行方不明の隠し場所」

 ということではいいかも知れないが、結局死体を隠すという意志はないのだ。

 そういう意味でいけば、

「何が行方不明というのか?」

 ということなのであった。


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