第4話 施しの禅寺
時間は少しさかのぼって、青山が病院に来たのは、午後の診察からだったが、そこから、約半日さかのぼるくらいになるのか、時間的には、夜が明けるくらいの時間だっただろうか、
「この時期の夜明けだから、6時半をすぎてちょっとしてくらいのことだったのではないか?」
と、坊主は、感じていた。
朝起きてのルーティン通りに、坊主は、朝食の準備、寺の掃除、さらには、墓地の掃除と、それぞれの役割をこなしていた。住職も当然起きていて、いろいろと仕事をこなしていた時間だった。
一人の若い坊主が、墓地を掃除している時のことだった。その坊主は、他の坊主ほど、さといタイプということではない。どちらかというと、いつも、
「ボーっとしている」
という方で、時々住職から、叱咤されていたくらいだった。
だからといって、不真面目なわけではなく、その分、真面目さは、引き立つほどで、
「マイナスを補って余りある」
といってもいいくらいの真面目さを持っていたのだ。
それが、その坊主のいいところで、本来ならボーっとしているように見えている時であっても、
「絶えず何かを考えている」
という男だったのだ。
そのことを本人は、自覚していないようだった。
むしろ、
「俺くらいの状態が、本当なら皆同じようになっているはずなのに、自分だけが、集中していないと言われるのは、それだけ、まだまだ修行が足りないからだろう」
というように、考え方は、基本的に、
「謙虚なところがある」
ということであった。
そのせいもあってか、謙虚すぎて、まわりに、追い付けないのを、
「すべて、自分のせいだ」
と思い込んでしまっていたのだ。
しかし、それは逆で、
「俺ほど、日ごろから何かを考えているやつがいないほどなので、これが俺の長所なのだろうな」
と思えるほど、性格的にふてぶてしいくらいであれば、それこそ、住職は、
「こいつなら、寺を任せられる」
と感じているに違いない。
しかし、
「この坊主が優しすぎるのか?」
それとも、
「考えすぎる」
ということが、却ってマイナス面に働くということなのか、それ以上を考えるというのは、難しいことであった。
その日も、この坊主は、ボーっとしながら、掃除をしていたことで、そこにある何かを見た時、想像を働かせた。
「動物がいるのかな?」
と思い、猫かと思ったが、そのわりに、大きさがあまりにも大きすぎる、
「犬や猫の比ではない」
と思うと、少しずつ近づいてみた。
まさか死体だとは思っていないし、
「生物だ」
という思いを最初にもってしまったことで、それ以外の発想は、頭の中になかった。
彼は、一度、何かを思い込んでしまうと、それ以降は、その考えを覆すなどというと、結構大変だったりするのだ。
そばに近づいていくうちに、ひそかに逃げられるように、体重は後ろに掛かっていた。
近づくうちに、その物体が、まったく動かないのを見て、安心はしたのだが、しかし、それが却って不気味さを誘い、しかも、動かないということの方が、本来であれば、もっと気持ち悪いことだということが分かったのだ。
その物体をよく見ると、大きさから考えても、発見してから、少しずつ近づいていくことで、
「その物体が死体ではないか?」
と感じてから、それが確証に変わるくらいまでには、それほどの時間が経っているわけではないと感じるのであった。
そして、実際に、
「それが死体だ」
と分かった時、
「死体発見などの場面に遭遇すると、どんな慌てふためき方をするんだろうな?」
と今までに何度か想像したことがあった。
「そこから、必死で逃げようとして、そのまま腰を抜かすかも知れない」
と考えたり、
「金縛りに遭って、それこそ、声など立てられず、必死になって声を立てようとするが、そんなことできるわけはない」
と考えたりしていた。
実際には。その両方を、
「足して2で割る」
という感じであろうか。
「一刻も早くその場から立ち去ろうとして、のけぞった後、今度は金縛りに遭ってしまって、動くことができない」
という、一種の、
「2段階」
という行動に、あれだけ悲鳴を上げるだろうと思っていた自分の喉が、カラカラに乾いてしまい、
「悲鳴など、上げられるわけもない」
ということを感じていたのだった。
そこから、どうなって、警察がきたのか、自分でも意識の中になかった。
つまりは、
「死体を発見してから、警察が来て、事情聴取を受けるまで、自分は寝ていたのではないか?」
と感じるほどで、その間に、睡眠が入っていたと思うと、
「夢を見ていたのではないか?」
という、
「自分が第一発見者である」
ということが分からずに、そのまま、気が付けば、
「どこかに逃げ出したくて仕方がない自分はいる」
と思うと、
「やはり、自分が発見したのは、死体だったんだ」
と感じた。
それは、
「発見した」
ということが大前提であり、決して。
「死体を8消した夢を見たわけではない」
と、自覚できている証拠だったのであろう。
それを思うと、
「私が、どうして、この状態で、これから、警察に事情を聴かれるのか?」
と思うと、本当であれば、逃げ出したいという気持ちになってしかるべきなのだろうが、住職がやってきて、
「しっかりするんじゃぞ」
と声を掛けられたことで、覚悟のようなものができたのだ。
「この状況から、犯人だと疑われるということはありえない」
というのは分かっていたので、堂々としていればいいだけだ。
だが、この坊主は、まだ高校生で、普段は、学校に通っている、普通の高校生のはずなのだが、この寺に預けられ、3年ほどが経った。
そもそも、中学時代には、
「窃盗癖」
のようなものがあり、何度か、警察に捕まっていた。
本人は、意識がないのだが、数回も、そういうことがあると、親も真剣にいろいろ考えると、
「ちょうど、親戚に、寺の住職がいる」
ということで、その寺に相談すると、住職が、
「分かりました。私が引き受けましょう」
といって、彼は、坊主として預けられることになった。
坊主になってからは、
「彼は優等生だ」
と言われるほど誠実で、しばらくすると、真面目な性格が徐々に表に出るようになって、本当であれば、
「もう家に帰っていいぞ」
と、住職は言ったのだが、坊主本人が、
「このまま、ここにいてはいけませんか?」
というではないか。
住職は少しびっくりしたが、断る理由もない、
親に相談すれば、今度は、
「息子をよろしくお願いします」
ということで、もう、反対する理由も何もなかった。
むしろ、住職の方も、
「いてくれるのなら、それに越したことはない」
ということで、継続して預かることになったのだ。
この寺には、あと2人ほどの、坊主がいる。
一人は、同じように、
「預かっている」
という坊主であったが、もう一人は、この家の長男で、つまりは、
「住職の息子」
ということで、
「次の住職」
としての、修行の場である。
ということであった。
まだまだ、若いということもあって、あとの2人は中学生くらいであった。
そういう意味でも、
「坊主の中心」
ということで君臨していた彼の存在は、住職にはありがたかった。
しかし、だからといって、彼もまだ高校生である。
完璧なわけもなく、
「ボーっとしているというのも、仕方がないことだ」
と住職は感じていた。
だから、彼が、うまくいっていたのも、
「これくらいの欠点があっても、それは人間らしいという意味でも、無理もないことではないか」
といえるのだろう。
ただ、住職も最近は、
「彼が絶えず何かを考えているということであり、決して悪いことではない」
ということであった。
それよりも、余計に、
「彼がしっかりしている」
ということではないだろうか。
それを考えると住職も、
「これ以上は、あまり何もいえない」
と思うのだった。
ただ、今回は、
「さすがに死体を発見した第一発見者だ」
ということに変わりはないので、
「叱咤」
というには、そこまで厳しいわけではないが、
「激励」
というのは、この場では、
「あまりにもおかしなことだ」
ということになるので、住職としても、
「何もできない」
ということになった。
そもそも、住職も、この状況に、少し慌てていた。
「まさか、寺で死体が見つかるなんて」
と考えたが、住職ともなれば、若い連中と違って、冷静に考えられることであろう。
しかも、普通の大人ではない、
「お寺の住職」
というだけで、世間からは、一目置かれる存在だということで、余計なことを言えないに違いなかったのだ。
ちなみに、今回の、
「余計なこととは、何になるのか?」
要するに、
「目で見たこと以外は、勝手な憶測に違いない」
という、
「当たり前のこと」
であり、それ以外を、住職として、
「口にすることはご法度だ」
ということであろう。
とりあえず、坊主が、
「いかに警察と応対できるか?」
ということであるが、もちろん、警察というのは、
「犯罪捜査のプロ」
である。
「この坊主が、第一発見者である」
ということは分かっていて、しかも、まだ年端のいかない高校生ということも考慮してくれるだろうから、少なくとも、
「恫喝したような態度」
というものを取るということはありえない。
それを住職は分かっているので、
「安心して、事情聴取に応じなさい」
としか言えないが、結局、
「それ以上でもそれ以下でもない」
ということになることは、二人ともに分かっていることであっただろう。
警察に通報したのは、もちろん、住職だった。
しばらくして、警察が、朝の喧騒とした雰囲気の中、やってきたのだが、すでに警察の方では、表情を見る限り、緊張がみなぎっていた。
何しろ、
「死体を発見した」
という情報なので、110番から、所轄に、
「県警本部より入電」
ということで、連絡が入った時は、刑事課では、緊張が走ったことであろう。
ただ、それが、
「死体発見」
ということで、
「殺人事件」
と言い切れない状態だったことで、
「とにかく、出動して、現場を見ないことには始まらない」
ということであった。
警察は、その状況を把握したうえで、出動した。
やってきたのは、2人の刑事と、鑑識が数名。まずは、初動捜査だということになるのであろう。
捜査は厳かに、そして、規則正しく刻んでいる時間をそのままに、行われた。
それは、まるで、形式的に見えるのだが、形式的だというだけではなく、その状況は、いかにも、
「執行されている」
という、何かの罰を感じさせるほどであった。
それは、刑事の捜査を見ていて、第一発見者の坊主が感じたことであり、住職の方は、
「さすがに警察、手際がいいわい」
というくらいに感じていたことだろう。
住職は、日ごろから、自分の仕事であったり、坊主たちを相手にしている時間というものを、
「行動とともに、刻んでいる時間の正確さを感じている」
と思っていた。
それは、住職が、
「大人として」
という思いと、
「住職として、御仏に仕える」
という意味との2つを考えると、
「わしの役割というのは、大きなものだ」
として、
「普段から、自分のことを、戒めたり、厳格に見えるかのようにふるまっていなければならない」
と感じるようになったのだった。
この寺は、元々、戦国時代からある寺で、
「禅宗の流れを汲み寺」
ということであった。
「厳しい修行」
というのが、禅宗というとどうしても付きまとってくるが、こお寺はそこまで厳しいものではないという、
だから、ある意味、最近の、
「コンプライアンス問題」
というものに、敏感に反応しているといってもいいだろう。
ただ、この寺のウワサハ、さほど出回っていないということで、ここが、
「禅宗としては、寛容だ」
ということを知っている人は少ないだろう。
ただ、それも、
「宗教団体として、他の宗教団体から、いかに言われる?」
ということになれば、話は変わってくる。
ただ、この寺が寛容になったのは、
「先々代の住職くらいだった」
という話である。
かの戦争が終わり、国民が、激貧で、さらに、物資の不足が致命的だった時期を考えれば、今の人間には、その状態が想像もつかないことだろう。
そんな時代に、いくら修行とはいえ、全国民が苦しんでいる時に、手を差し伸べないというのは、
「宗教団体としては、恥ずべきこと」
ということで、
「自分たちよりも、苦しんでいる人がいれば、少しでも手を差し伸べる」
というのをモットーとしたものだ、
中には、
「お寺だったら、何とか食えるかも?」
という思いで、
「こちらの世話になります」
といって、いくら時代が時代だといっても、
「邪な気持ち」
で、入門した人は、少しあてが外れたかも知れない。
世間のお寺にも、確かに、
「庶民のために」
というところもあったようだが、いかんせん、目立たなかったり、庶民が、
「お寺は、別世界だ」
という考えを持っていたこともあってか、なかなか浸透してもいなかった。
だが、その当時の住職の力は、結構強かったようで、
「このお寺の近くでは、比較的、栄養失調などで亡くなる人は少なかった」
ということを、戦後というものではなくなった時代の調査で、白書として、市から発表されたりもしていた。
そういう意味で、この寺では、
「経済が困窮した時など、助けを求めてやってくる人に対して、ひどい扱いをするようなことはなかった」
当然、
「門前払い」
などはなかったし、それだけ、市民からも慕われていたという。
だから、世の中の景気が良い時は、
「あの寺にお布施をしておけば、いざとなった時、助けてくれる」
という話が持ち上がり、相当なお布施があったようだが、
「寺としては、必要以上のお布施をいただくわけにはいかない」
ということで、余分と思った分は、
「丁重にお返していた」
というものであった。
だから、高度成長時期には、順調にお寺も潤っていき、元々は、本当に小さな寺だったが、それなりの規模になってきた。
それでも、地道な努力を続けていたことで、
「バブル崩壊」
というものの影響もほとんどなく、逆に、
「お布施をいただいたことのある人」
だけでなく、周辺の自治体であったり、施設などに、惜しみなく、寄付をしていたりしたのだ。
もちろん、困った人を受け入れるということもあったが、いくら寺が少し大きくなったとはいえ、全員を救えるわけではなく、
「あくまでも、できる範囲で」
ということから、
「助けを求めてきた人には、平等に施しを与えていた」
ということであった。
だからといって、
「本当に金がなくなるまでできるわけでもない」
要するに、
「共存共栄」
を、できる範囲で実現していく。
ということが、大きな目的だったのだ。
しかも、彼らの宗派は、宗派の垣根を越えていた。
もし他の宗教団体で困っていれば、
「助けを求めてくれば、それを放っておくようなことはしない」
という考えだった。
助けを求めてもいない者にまで施してしまえば、本当に助けを求めている人に対して、「助けてあげられない」
ということは必至であった。
そんなこのお寺にて、
「まさか、殺人事件があるなんて」
ということで、さすがに普段は落ち着いている住職も、内心では、ソワソワしていたようだ。
さすが住職としては、そんな素振りを、表に見せていなかった。
「微塵もない」
といってしまうと、語弊があるが、
「み仏のおあす寺にて、このような殺生があるなんて、これは、住職であるわしの、付録の致すところ」
ということなのだろうが、ここの住職は、
「そんな当たり前のようなセリフを言わせるという気持ちは、持ち合わせてはいない」
ということで、何も言わなかった。しかし、さすがに、立ち合いくらいはしないとまずいということで、二人で警察が来るのを待っていたのだった。そこから先は前述のように、刑事二人と、鑑識が来たということであった。
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