第十章 揺れる心 信じる気持ち

第28話

「待たせたね、オリバー」


 オリバーの邸の庭。その花壇には転移の紋章が刻まれている。

 庭のベンチに腰かけていたオリバーの前に、ルークがようやく姿を現した。

 だがその姿は、見慣れた姿ではなかった。

 白い布で全身を覆い、左肩から右脇腹にかけては、目の覚めるような鮮やかな赤い布が掛けられている。

 赤の色は、アズール王家の色。

 赤い布には更に、金糸でアズール王家の印の刺繍が施されている。

 金の色は、アズール王国の色。

 アズール王家の色、アズール王国の色を纏ったルークのその姿はまるで――


「その格好……」


 ベンチから立ち上がる事も出来ず、オリバーはルークを見上げる。


「俺は王家に戻ることにしたよ。縁談もまとまったんだ。近々婚姻の儀を執り行うから、オリバーも是非出席してね」


 そう言うと、ルークは微笑み、再び転移の紋章へと手を伸ばす。


「待てっ!」


 オリバーはルークを止めようと、慌てて立ち上がろうとした。だが、どうしても体が動かない。


「じゃあね、オリバー」

「待てよルーク! 待てっ!」


 オリバーは力の限り手を伸ばした――



「ルークっ!」


 自分の発した声で、オリバーは目覚めた。

 体中にじんわりと汗が滲み、夜着が肌に張り付いて気持ちが悪い。


「またか……」


 近頃オリバーは、同じ夢を頻繁に見るようになっていた。

 そして、毎回のようにオリバーはルークの名を叫んで目を覚ますのだ。

 心臓が嫌な感じにドクドクと脈打ち、眠っていたはずなのに全身を怠さが襲う。


「……くそっ」


 小さな舌打ちをひとつ。オリバーはタオルを手に浴室へと向かった。



(あいつは一体、何をしているんだ?)


 執務を終えたオリバーは、既に習慣となってしまったかのように、まっすぐ邸に戻ることなくの庭にあるベンチに腰を下ろす。

 最後にルークの顔を見たのはいつだっただろうか。

 この間、何度王都フィアナに行こうと思ったことだろう。

 それでも、オリバーが王都フィアナ行きを思いとどまったのは、ルークの言葉があったからだ。


『いいかい、オリバー。ちゃんとここで、おとなしく待ってるんだよ? 王都フィアナになんか来たら、俺また嫉妬しちゃうからね? 分かった?』


「なにが嫉妬だ」


 吐き捨てるような言葉が思わず口から漏れた時、シリウス邸の方角から近づいて来る足音が聞こえた。


「あら。恋のお悩みかしら?」


 姿を現したのは、シリウス伯の愛娘、マリアンナ。

 マリアンナはシリウス伯の最愛の妻、リリス・ラオホの忘れ形見だ。

 リリスが亡くなったのは、まだオリバーが幼い頃。その時のシリウス伯の嘆きようは幼心にも強く刻まれている。

 ラオホ家に長く勤める使用人ミズリーの話によると、リリスにひと目惚れをしたシリウス伯が、半ば攫うような形でリリスを王都フィアナから連れ帰ったとのこと。ただ、二人が深く愛し合っていたということは、ミズリーからもフラットからもよく聞かされていたし、オリバーの記憶の中にも仲睦まじい二人の姿は焼き付いている。シリウス伯が後妻を娶らないのは、今でもリリスを愛しているからだとオリバーは思っていた。

 リリスはとても優しい女性だった。オリバーもよく可愛がって貰ったものだ。

 王都フィアナ出身のリリスは、長く真っ直ぐな柔らかい栗色の髪で、深緑の瞳が印象的な、肌の白い美しい女性だった。

 マリアンナはそのリリスによく似ていた。髪の色だけは父親に似て艶やかな黒髪ではあるが、それ以外はまるでリリスに生き写しのようだった。

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