第29話

「どうされたのですか、マリアンナ様。このような時間に」

「それは私のセリフよ、オリバー」


 とまどうオリバーに構わず、マリアンナはオリバーの隣に腰を下ろす。


「何か悩みがあるのではなくて?」

「えっ?」

「私でよければ、話を聞かせてもらえないかしら?」


 長いスカートで覆われた両膝の上に行儀よく乗せられた手。その左手には結婚指輪が嵌められ、月の光を受けて光を放っている。


「いけません、マリアンナ様。このような時間に、アルフレッド様以外の男と二人きりの時間を共に過ごすなど」

「あら。オリバーなら大丈夫よ」

「マリアンナ様……」


 オリバーの言葉を軽く受け流したマリアンナは、真剣な目をオリバーへと向ける。


「あなたは気づいていないかもしれないけれど、心配しているのよ、みんな」

「心配? 何をです?」

「あなたのことよ」

「私のこと、ですか?」

「えぇ。最近元気が無いようだし、イラついている事も多いみたいだって」

「まさか」


 マリアンナの言葉は、少なからずオリバーに衝撃を与えた。

 確かに、オリバーはルークの事で悩みもしていたし、イラつく事もあった。毎晩のように見る夢に正直参ってもいた。

 けれどもそれは、執務中には表に出していないつもりだったのだから。

 そんなオリバーの心中を察したのか、マリアンナは少し早口で話し出す。


「大丈夫よ。あなたはいつだって冷静で完璧に、仕事をこなしてくれているわ。だけどね、オリバー。ミズリーもフラットも、あなたが小さい頃からあなたを見てきたの。カムチャだって、あなたの事を弟のように思っている。だから、見ていれば分かるのよ、あなたの様子がいつもと違う事くらい。お父様だって、口には出さないけれど、あなたの事を心配しているわ。私だってそう。一時は恋をしていた人だもの。様子が違うことくらい、見ていれば分かるわよ」

「そう……ですか」

「あなた今、私の告白をあっさり流したわね」

「申し訳ございません」

「まぁいいわ。あなたに全くその気が無い事は分かっていたし」


 小さく笑い、マリアンナはオリバーの手をそっと取る。


「ねぇ、オリバー。あなたの心は今、恋という泉の中でものすごく揺れているのではなくて?」

「えっ?」

「あらやだ、図星?」


 マリアンナの言葉に思わず動揺を隠しきれず、オリバーはマリアンナから手を引こうとした。だがその手が、思いの外強い力で掴まれる。


「いいのよ、オリバー。恋する心は、揺れて当然なの。あなたはとても真っ直ぐな人だから、揺れる心にも罪悪感を抱いてしまっているのね、きっと」

「揺れて、当然?」

「そう。それはもう、尋常じゃないくらいに揺れ動くものなの」


 マリアンナの言う通り、オリバーの心は揺れ動いていた。

 ルークを待ちきれない自分の心。ルークを疑ってしまう自分の心。そして、ルークを信じたいと思う自分の心。

 もしかしたらルークは、このまま自分の元へは戻って来ないのではないか。

 王都フィアナに戻り、やはり王家から迫られているという縁談を進めているのではないか。

 ついそんな事を思ってしまう自分を、オリバーは責めた。

 何の根拠も無く相手を疑うなど、甚だしく礼を欠く事だ。

 ちゃんと戻ってくると、ルークは約束した。

 その約束を、自分が信じないでどうする、と。

 けれども、ルークが王都フィアナに戻ってからもう、半年近くの時間が流れている。

 いったいルークは今、どこで何をしているのか。自分はいつまで、ルークを待てばいいのか。

 自分はルークをこのままここで、待っていてもいいものなのか。

 自分にはルークを待っている資格があるのだろうか。


「相手を想えば想うほど、不安になるのよねぇ……ほんと、恋って残酷」

「はぁ」

「でもね。不安を解消できる方法が2つだけあるの。なんだか分かるかしら?」

「いえ」

「じゃあ、特別に教えてあげるわ」


 ニッコリと笑い、マリアンナは言った。


「ひとつは、自分の想いをきっぱりと諦める事」

「諦める……」

「そしてもうひとつは、何があっても自分の想いを信じぬく事」

「信じぬく……」

「要は、あなた次第、ってことね」


 ルークの手を握っていた手を離し、その手でマリアンナはそっとルークの肩を叩く。


「自分以外の人の想いなんて、どれだけ考えていたって分かる訳が無いのよ。だから不安になるの。なぜ不安になるか。それはそれだけ、あなたがその人のことを想っているからじゃなくて? だったら、その想いをあなた自身が信じてあげなくちゃ」

「マリアンナ様……」


 マリアンナの言葉が、オリバーの心にコトンと音を立てて落ちる。


「諦めるのはね、信じぬいた後でも、いつでもできるから。諦めた私が言うのだから、間違いないわ」

「えっ?」

「いやね、あなたの事よ、オリバー」

「……それは大変申し訳」

「いいえ。私にとっては、いい思い出よ。実らなくても、とても楽しい恋だったわ」


 晴れやかに笑い、マリアンナはベンチから立ち上がるとシリウス邸へと歩き出す。


「お送りいたします」

「結構よ。すぐそこだし。それより」


 肩越しに振り返り、マリアンナは言った。


「頑張ってね、オリバー。応援しているわ」


 シリウス邸へと戻るマリアンナの後ろ姿を見送りながら、オリバーは気づいた。

 心が随分と軽くなっている事に。


「どれだけ待たせるのだろうな、お前は。仕方ない、ここでおとなしく待っていてやるか」


 呟きながら、転移の紋章が刻まれた花壇を見る。

 だが、ルークはまだ姿を現しそうにない。


「待たせ過ぎだぞ、まったく」


 小さく呟くと、大きく伸びをしながらオリバーは邸の中へと戻った。

 ここ暫くはロクな睡眠がとれていなかったが、今夜はぐっすり眠れそうだと、オリバーは思っていた。

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