第24話

 ルークの話を聞いてから暫くの間、オリバーの足は王都フィアナから遠ざかっていた。

 執務を終えるとルークは毎日のように私邸の庭にあるベンチに腰を下ろし、ルークに渡された自身の身分証をぼんやりと見つめながら考え続けた。

 あれからルークとは一度も顔を合わせてはいない。


(お前はそんなにも昔から、素顔を隠さざるを得なかったんだな)


 オリバーが聞いたルークに関する話はこうだった。

 ・王立学院ソラリスで名乗るのは、いかなる生徒もファーストネームのみ。フルネームを知るのは、学院長だけ。だが実態は、王都フィアナに居住している者であれば、ルークがピルスナー家の御曹司であることは、誰もが知っている。

 ・故に、将来便宜を図ってもらう事を目的として、ルークの周りに近づく者たちも、ソラリスには多くいた。

 ・加えて、ルークには現王の隠し子であるとの噂があった。ピルスナー家は代々、表沙汰にはできない王族の隠し子を、我が子として受け入れ育てて来た歴史がある。未だ直系男子にのみ王位継承権が与えられているアズールでは、ルークにも王位継承権があるとの噂が今でも根強く囁かれている。

 ・アズール王国では、王立学院ソラリスで教えているとおり、国としては同性間の恋愛にも理解があるスタンスを取っているが、王族となれば話は別。王族、特に直系男子は血筋を絶やさないための異性との婚姻は絶対とされている。

 ・ルークは異性同性問わず、誰に対しても人当たりは良かったが、少なくともソラリス在籍中には特定の誰かと恋愛関係になるような事は無く、卒業後も浮いた噂は聞いた事がない。ただし、ある筋の話では、現在進行形で王家と関係の深い家の娘との縁談が持ち上がっているらしい。


『まぁ、俺も似たようなもんだし。君の気持ち、分からないでもないんだよね。それに俺も』

『君となら、本気で寝てみたい』


(あれがお前の本心なんじゃないのか?)


 ルークが時折見せる、あの冷めた飴色の瞳。


(俺無しでいられないのは、お前も同じじゃないのか?)


 ルークは確かに人当たりはいい。けれども、ただのお人よしな訳ではない。

 自分やピルスナー社に利が無い事は、容赦なく切り捨てる冷酷さも持ち合わせている。それは、ピルスナー家の次期当主、ピルスナー社の副社長として、必要不可欠な事だ。

 王立学院ソラリス在籍中、まだ大人になり切れていないルークの周りからは、恩恵が受けられないと分かったとたんに一体どれだけの人が去って行ったのだろう。

 利害なく心を許していた相手に手の平を返されたように去られる傷を、ルークはどれだけ心に刻みつけられてきたのだろうか。

 去って行くのが怖くて。失うのが怖くて。

 だから最初から、本気で求める事をしない。

 のめりこんで追いかけてしまう自分が怖いから、相手に追いかけさせるようにしむける。

 裏切られるのが怖いから、決して本音を――素顔を見せることはしない。

 その危うさを辛うじて保っていたのが、あの冷めた瞳だった。

 おそらく、冷静を装って己の感情を沈めていたのだろうと、今ならオリバーにも理解できた。

 オリバーとて、父親の後を引き継ぎラオホ家を支え始めてからは、人と人との駆け引きでは、今までそれなりには場数を踏んでいる。

 冷静になって考えてみれば分かること。

 ルークは特別な人間ではない。その心は恐らく、自分よりも弱くて傷つきやすいのだろうと、オリバーは思った。


 月の光が降り注ぐ庭に、風がそよぐ。

 風に揺られた草葉が、ささやかな音を立てる。

 その度にオリバーは、転移の紋章が刻まれた花壇へと目をやる。

 だが、そこにはただ草花があるだけ。

 そしてその度に、オリバーは自分自身へと苦笑を向けるのだ。


「一体何をやっているんだか、俺は」


 もしかしたら、ルークに渡された身分証はオリバーへの餞別で、ルークはオリバーとの関係を終わらせるつもりでいるのかもしれない。

 ほんの少しだけ、そんな考えがオリバーの頭をかすめた事があったのは事実だ。

 本気で逃げる相手を追いかける趣味は、オリバーには無い。

 ただ、オリバーには確信にも似たものがあった。

 ルークは必ず、再び自分の元へとやって来ると。

 それに、このまま関係を終わらせるのは、オリバーとて本意ではない。


 再び庭に先ほどより強い風が吹き抜け、オリバーの黒髪を擽る。

 視界を遮る髪をかき上げた直後、現れた視界に見慣れたベージュのスラックスが入り込んできた。


「待ち人来たらず、ってとこかな?」


 聞きなれた声。

 顔を上げずとも、それが誰なのかはすぐに分かる。


「なんだ、こんな時間に。俺が恋しくなったのか?」

「いや、君が寂しい思いでもしているんじゃないかと思ってね」

「それはお前の方だろう?」


 顔を上げると、夜にも関わらず濃い紫のサングラスをかけたルークが、ベージュの三つ揃いのスーツに身を包み、そこに立っていた。


「隣に座っても?」

「俺の許可なんか要らないだろ? 俺の許可なく勝手にここへやってくる奴が」


 並んでベンチに座り、お互いを見ずに笑いを漏らす。


「シリウス伯に用事があったんだ」

「シリウス伯ならもうとっくにお休みだけどな」

「だからついでにここに来た」

「なるほど。副社長は意外に暇なんだな」

「いや、そうでもないよ?」


 お互いの間に横たわる沈黙。

 想像以上に遥かに居心地の良い沈黙だと、オリバーは感じていた。


「今日は何も聞かないんだね」

「言いたいことがあるなら聞いてやる」

「聞いてもらわなくちゃ、答えようがないんだけど」


 オリバーは、傍らのルークに視線を移した。

 頬にかかる、薄茶色の髪。

 瞳を覆う、濃い紫のサングラス。

 庭を照らす月明かりだけでは、ルークの表情の全てを読みとる事は難しい。

 オリバーはベンチから立ち上がった。


「まだ時間はあるだろ?」

「まぁ、それなりには。なんで?」

「じゃあ、少し付き合え」

「どこに?」

「俺のホームグラウンド」


 そう言うと、ルークの返事を待たずに、オリバーは邸の中へと入る。

 数秒後。

 続いて中へ入って来る足音を耳にし、オリバーは小さく笑った。


「部屋の中では必要ないだろ」


 リビングで待ち構え、入って来たルークの顔に手を伸ばして、オリバーはルークのサングラスを取った。

 特に避ける事も無く、されるがままのルーク。

 サングラスの下から現れたのは、微かな不安に揺れながらも強い光を宿す飴色の瞳。

 それは、ピルスナー社の副社長でもなく、クラブのオーナーでもない、オリバーが初めて見るルークの瞳だった。


(見つけたぞ、ルーク)


 その瞳に、オリバーは微笑みかける。


(やっと見せたな、本当のお前を)

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