第20話

「君は、どうしたいの?」


 ルークの声が、呪文のようにオリバーの頭の中に心地よく響く。


「俺に、どうして欲しいの?」


(違う……俺は、同性愛者ではないはずだ)


 幼い頃から周りの大人たちに刷り込まれ、縛り付けられてきた常識という名の鎖。

 男は、普通に女を好きになり、やがて結婚をして子を成す。

 そうして家を、種を繋いでいくのだと。


(だから俺は……でも、じゃあ何故……)


 胸の内の葛藤も抵抗も、いつの間にか麻痺したような感覚に飲まれ、オリバーはやがて耐え難いほどの己の欲望に浸食されていく自分に、心地良ささえ感じ始めていた。


「オリバー?」

「もう一度」


 緊張の為か、空調の為か。

 乾いてしまった唇を一度湿らせ、オリバーは口を動かす。


「あの時の、キスを」

「いいよ」


 目を細め、ルークは笑う。


「よっぽど気に入ってくれたんだね」


 伸ばされたルークの指がオリバーの頬に触れた瞬間。

 ビクリ、と、意に反してオリバーの体が大きく震えた。


「度胸もいいけど、忍耐力も結構なものだねぇ」

「何、を」

「そんなんじゃ、キスだけでイッちゃうかもしれないね?」


 からかうような瞳に覗き込まれ、カッとなって振り上げた腕がルークに捕まる。

 直後。


「んっ……」


 唇に押し当てられた熱に、オリバーは体中の血液が騒ぎ出すのを、抑える事が出来なかった。


 初めてのあのキス以来の感覚。

 心の底でずっと待ち望んでいた事を、オリバーは改めて思い知らされた気分だった。

 思う存分ルークの唇の感触を味わった頃、見計らったかのように熱が離れ、再びルークの瞳に双眸を覗き込まれる。


「で? 次は?」

「え……」


 のし掛かられたままの体勢で、オリバーはルークをぼんやりと見上げる。


「これで満足、って訳じゃあないよね?」

「はっ……」


 耳元で囁かれ、堪らずにオリバーは熱い吐息を吐き出す。

 ルークに聞かれるまでもなく、満足できていない自分を、オリバーは嫌という程分かっていた。

 体中に滾る熱を、どうにかして欲しい。

 だが、どうしても言葉に出来ず、唇を噛みしめてオリバーはルークを睨み付けた。


「そんな目で睨まれたって、ちゃんと言ってくれないと、俺には分からないよ?」

「……っ」

「ねぇ、オリバー。教えてよ。君は俺に何をして欲しいの?」


 繰り返される、ルークの呪文。


「早く言っちゃった方が、早くラクになれると思うんだけどな? 忍耐力があるのは十分に分かったから、もう我慢なんてしないで……ね?」


 呪文と共に下肢を撫で上げられ、堪えきれずにオリバーは固く目を瞑り、言葉を絞り出した。


「頼、む……ルー、ク」

「ん? 何を?」

「”その先”に、行き、たい」

「俺が相手で、本当にいいの?」


 もはや言葉を発することさえ耐え難い苦痛を伴うようで、オリバーは体の脇に置かれたルークの腕を強く掴み、何度も大きく頷く。


「同意成立、だね」


 小さく呟きクスッと笑うと、ルークは汗で額に張り付いたオリバーの前髪をかき上げ、口づけをひとつ落とした。


 はだけられる胸元。

 全身に落とされる唇。

 体中の熱さは、己の内からわき上がる熱なのか。

 それとも、ルークが与える熱なのか。

 それさえも分からない中、オリバーは己の欲するままに、ルークにその身の全てを委ねたのだった。



 不定期に重ねられる、秘密の逢瀬。

 特に連絡を取り合う事はない。

 ルークからクラブの合鍵を渡されたオリバーは、ルークを求める時にクラブを訪れる。そしてそこにルークが居れば、オリバーは満たされる。

 居なければ、それまで。

 ルークからオリバーを誘う事は無い。

 いつでも、そうだった。

 求めるのは、いつでも決まってオリバー。


「ルー……もうっ」

「ずるいなぁ君は。そんな顔で誘惑されたら、俺じゃなくても堪らないよ」


 ギリギリのところまでオリバーを追いつめ、その様を楽しんでいるかのように、ルークはいつでもオリバーを焦らす。


「誘惑……俺が?」

「ああ。君、自覚無しみたいだから気づいてないと思うけど。君のその顔が、その体が、どれだけ俺を誘っているのか」

「……っくっ……」

「誘った責任は、きっちりとってもらうよ?」


 からかうように笑う、ルークの瞳。

 その瞳に、時に冷めた感情が宿っている事に、オリバーはいつの頃からか気づいていた。

 オリバーが、己の熱に浮かされ、ルークを求めている時でさえ、時折ルークは冷めた瞳でオリバーを見ている時がある。


(あの余裕は一体どこからくるんだ?)


 欲するままにお互いを求め合った後は、気怠い空気の中で暫し、微睡みに身を委ねる。

 傍らで身を起こし、背を向けてグラスに入った水を飲むルークを横目に、オリバーはいつでも敗北感に苛まれていた。

 ルークの前では、オリバーに余裕など全く無い。

 体だけなら、ルークとて同じ事。

 にもかかわらず、ルークはどこか一線を画しているように、オリバーは感じていた。


(俺じゃなくても、他にも相手はいる、ということ、か……?)


「何を考えているのかな?」


 ふいに問われ、傍らを見れば、ルークはまだ背を向けたまま。


「別に」

「素直じゃないねぇ」

「なんだと?」

「体はあんなに素直になってきたっていうのにねぇ」

「やめろ」


 グラスの水を飲み干すと、ルークはオリバーの方へと向きを変える。


「君はもう、俺無しじゃいられないんじゃない?」


 オリバーを見る、冷めた飴色の瞳。

 顔は笑ってはいるが、瞳は少しも笑ってはいない。


「そう言うお前はどうなんだ、ルーク?」

「……さぁ、どうだろうね?」

「まぁ、俺以外にも相手はいるんだろうが」

「まぁね」


 ごく普通に答えたルークの言葉が、オリバーの胸に突き刺さる。

 痛みに、オリバーは驚き、我が身を疑った。


(俺、嫉妬してる……のか? まさか)


「それじゃ、お前は俺無しでも」


 鋭く突き刺さる痛みを無視するかのように、オリバーは問いを続けたが、その問いはルークの固い声に遮られた。


「別に構わないよ」


 言いながらルークはベッドから出て身支度を始める。


「君じゃなくても、相手には困ってないしね」


 オリバーに背を向けたまま身支度を終え、振り向きざまにルークは言った。


「これでもね、周りから人が去っていくのには馴れてるんだよ。だから、変な気なんか使わなくてもいい」

「ルーク?」

「俺たちもともと、そんな間柄じゃないでしょ?」

「一体何を言って」

「そんなくだらない同情なんか、いらないよ」


 感情の無い瞳で薄く笑うと、ルークはそのまま部屋を出て行った。

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