第七章 欲望
第17話
ほどなくして、シリウス伯の愛娘マリアンナの婚礼の儀がシリウス邸で執り行われた。
婚礼用の純白のドレスに身を包んだマリアンナの姿に、マリアンナを赤ん坊の頃から世話してきたミズリーは感激の涙を流し、密かにマリアンナに憧れを抱いていたカムチャは悲しみの涙にくれ、娘のように見守って来たフラットは感慨深そうな表情を浮かべていた。
オリバー自身も、マリアンナの姿を素直に美しいと感じていた。ただ、心のどこかでホッとしていたことは否めなかった。
マリアンナの婿としてラオホ家に婿入りしたのは、ここアクタル辺境地の出身だというピルスナー社の社員、アルフレッド。
ソシアナ辺境地のシン・シドラ閣下の娘婿も、ピルスナー社の社員だと言う。どちらもルークが動いたのは確実だったが、どのように動いたのかまではオリバーはルークから聞き出すことができなかった。
婚儀にはもちろん、そのルークも来賓として招待されていたが、全体を取り仕切るオリバーがルークと接触する時間は無かった。
そしてそれ以降、ルークがピルスナー社の副社長として定期的にシリウス邸を来訪することは無くなった。必要なものは全て、アルフレッドが調達してくれるのだ。わざわざ王都の本社からルークが来訪する必要も無い。
たまにシリウス伯が話し相手にと呼び出す時だけは、ルークは呼び出しに応じシリウス邸を訪れているようだったが、それはいつも決まってオリバーが不在の時。
偶然なのか、わざとそうしているのか。
オリバーには分からなかった。
「何を考えているんだ、お前は」
一日の執務を終えると、近頃オリバーはすぐに邸の中には入らずに、庭のベンチで休む事が多くなった。
考えてしまうのはいつも、ルークことジャックの事ばかり。
『俺はなにも望みやしないさ』
「あれはどういう意味だったんだ?」
呟いてすぐに、耳をそばだてる。もしかしたら突然現れたジャックが、返事をするのではないかと思って。
だが、帰って来るのは静寂のみ。
時折虫の音が聞こえる程度だ。
ふと、唇に蘇った感触を、オリバーは頭を振って振り払う。
(ちがう、そうじゃない。俺は)
振り払っても振り払っても脳裏に浮かぶのは、ベージュの三つ揃いのスーツに身を包み、にこやかに笑うピルスナー社の副社長ではなく、もう1人のルーク、ジャックの姿。
来ないかもしれない。でも、来るかもしれない。
気づけばオリバーの目は転移の紋章が刻まれた花壇へと向けられている。
(待っているのか、俺は。あいつのことを)
唇に蘇った感触は、オリバーの体の奥に小さな火を灯す。その火は熱を発生させ、じわじわとオリバーの体を浸食する。
(欲しているのか、俺は。あいつとのキスを)
『自分がよくわからない、って。言ってたよ、君』
ふいに、ジャックの言葉が思い出された。
ジャックがクスリで聞き出したという、オリバー自身の本音。
『何で俺のクラブに来たのか、何で俺に会いたいって思ってしまうのか、自分でもよく分からないんだ、って』
(あぁ、今でも確かに分からない。何で俺はこうもお前に会いたいと思ってしまうのか)
『でも、俺とのキスはやっぱり随分お気に入りだったみたいでねぇ』
(認めたくは無いが、確かにそうかもしれないな)
『必要なら、その先までいっても構わない、とも言ってたよ』
(必要なら、か)
考えかけて、オリバーは頭を大きく振る。
(必要って、なんだよ。なんの必要がある? 俺があいつと寝る? いや、無い。あり得ない……あり得ないはずだ。でも、じゃあ一体何なんだ、この感情は……)
『まぁ、俺も似たようなもんだし。君の気持ち、分からないでもないんだよね。それに俺も』
『君となら、本気で寝てみたい』
(……俺の気持ち? お前には分かるのか? この、俺にも分からないこの感情が)
気づけば今日もまた、地平線が白み始めている。夜明けが近い。
今日もジャックはやって来なかった。
(なぁ。お前が本当に俺と同じ気持ちを抱えているというのなら、教えてくれないか、ジャック。俺は、俺にはもう)
「見当も付かないんだ……」
ため息混じりに小さく呟き、オリバーは地平線の下から空高くに突きあがる力強い陽の光に目を細める。
(今日は休み、か)
『前に忠告したよね? キス以上を求めてないんだったら、もうここへは来るなって。それでもここへ来たって事は』
再びジャックの言葉が頭を掠めはしたが、オリバーの心は決まっていた。
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