第16話

 再び、話があるから執務後に部屋に来るようにとシリウス伯に言われたのは、一週間後の事。


「シリウス様、お話というのは先日の縁談の事でしょうか」


 部屋に入るなりそう切り出すオリバーに座るように促し、自分も向かいのソファに腰を下ろして、シリウス伯は言った。


「その縁談の事だがな」

「お時間を頂戴しており申し訳」

「いや、こちらこそすまぬ!」


 オリバーの言葉を遮るようにして、シリウス伯はオリバーに頭を下げた。想定外の事態に、オリバーは目を丸くして体を強張らせる。


「は? えっ、あのっ、おやめくださいシリウス様!」

「いや、本当に申し訳ない」


 ようやくの事で頭を上げさせたシリウス伯は、さらに驚く事を口にした。


「実はな、先ほどシン殿から、先日の縁談は無かったことにして欲しいと話があったのだ」

「……はぁ」

「なんでも、シン殿も知らない間に娘に想う男ができていたようでな。あのシン殿が平謝りしておったわ。お前にも申し訳ない事をしたと伝えて欲しいとのことだ」

「いえ、とんでもないことでございます。どうかお気になさらずとお伝えください」

「まったく、娘というのは本当に分からぬものだな。いつの間にか、あんなに可愛かった子供から、すっかり大人になってしまっておる。知らぬ間に将来の伴侶を自分で見つけておるのだからな」


 溜息と共に吐き出したシリウス伯の言葉に、オリバーはピンと来た。


「もしやそれは、マリアンナ様の事でしょうか」

「そうなのだ! 聞いてくれるか、オリバーよ。私はお前さえよければお前をマリアンナの婿にと考えておったのだよ。それを全く……親の心子知らずじゃっ!」


 憤懣やる方無い、とでもいうように、シリウス伯は自分の腿を拳で叩く。


「まぁまぁ、シリウス様。それも、日々マリアンナ様がご成長なさっているという事ではないでしょうか」


 その後、シリウス伯のやけ酒に付き合わされたオリバーは、ほろ酔い気分でシリウス邸を後にし、酔い覚ましにと私邸の庭へと足を踏み入れた。

 とたん。

 強い力で腕を掴まれ、気づけば口を塞がれていた。

 顔に掛かるのは、月の光に照らされて金色にも見える薄茶色のウェーブかかった髪。

 求めていた熱が、唇からオリバーの全身を走り抜ける。

 だが、さらなる熱を求めようとしたとたん、オリバーは解放されていた。


「今日は言わないんだね」


 体を離したルークが、ニヤッと口の端を上げる。


「何を?」

「不法侵入、って」

「言っても意味が無いからな」

「ていうか、無防備が過ぎやしないか? 俺が敵だったら君、とっくに殺されてるよ?」

「仮定の話は好きじゃない」

「はいはい」


 両手の平を上向け、ルークは大げさな仕草で呆れたように肩を竦める。


「お前が、何かしたのか?」

「なんの話?」

「俺の縁談の」

「ひとつ聞いていいかな?」

「なんだ?」

「なぜ迷っていたんだ? あの縁談、そう悪い話じゃなかったと思うけど」

「それは……」


 即答できず、オリバーは口を噤んだ。

 言える訳が無かった。

 自分の中には既にルークという人間が住みついてしまっていたから、などとは。

 代わりにオリバーはこう問いかけた。


「お前はなぜ協力してくれたんだ? 俺なんかのために」

「えっ……」


 なんのかんのと適当な理由でも答えるのだろうと思っていたオリバーは、瞬間的にルークの表情が凍り付いた事に驚いた。

 だがそれも一瞬のこと。

 すぐに小さく笑い、ルークは言った。


「気晴らし、かな。ちょっと今うち、色々とゴタゴタしててね」

「じゃあ尚の事俺に構ってる時間なんか」

「だから、ほんの息抜きだって。別に君のためにした訳じゃない。それに」


 ゆっくりとオリバーへ向けられたルークの顔は、穏やかに微笑んではいたものの、その飴色の瞳に感情は見られない。

 気を取られた隙に、オリバーの顎はルークの指に捉えられていた。


「成功報酬が欲しかった。ただそれだけだよ」


 右に傾けたルークの顔が目を伏せながら徐々にオリバーの顔へと近づき……


「その話だが、俺は今あまり手持ちが」

「ん? それならもう貰ったけど、さっき」

「は?」

「せっかくだから、チップも貰っておこうかな」

「だからなんの……っ」


 ルークの唇がそっと、オリバーの唇に触れる。


「やっぱりいいね、君の唇の感触」

「まさか」

「鈍いね。やっと気づいたの」

「お前……」

「ほんとはもっと先まで頂きたいところだったけど」


 ルークの言葉に、オリバーはとっさに距離を取って身構える。


「冗談だよ」


 クルリとオリバーに背を向け、ルークは転移の紋章が刻まれた花壇へと歩き出す。


「俺は何もしないよ。君が望まない限りは、ね」

「えっ」

「俺はなにも望みやしないさ」


 小さな呟きと共に、転移の紋章に触れたルークの姿が消える。


「なにも望まない……?」


 オリバーの中に、感情のない飴色の瞳が残像のように残り、暫く消えることは無かった。

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