第五章 本音

第14話

 ジャックと2人きりで話をしたいと、オリバーは切望していた。

 だが、例のクラブのVIPルームで話をして以降、ジャックことルークはオリバーと顔を合わせる事を避けているように、オリバーには感じられた。

 シリウス邸を訪れる予定の日には、あの日を境にピルスナー社の社員だという別の男が訪れるようになっていた。曰く、ルークは業務で多忙を極め、今は来訪の時間が取れないとのこと。

 思い余って例のクラブを訪ねてみるも、ここずっと、ルークことジャックは、店には姿を見せていないという。

 オリバーにはジャックに聞かなければならない、切実な用件があった。

 それは。


(お前はあの日、俺に何を言わせた? 俺はお前に何を言ってしまったんだ?)


 実際のところ、オリバーにはあの夜の記憶は――意識を失って以降の記憶は皆無と言ってよかった。

 ただぼんやりとあるのは、ジャックに何かを聞かれて、何かを答えていたという、曖昧な記憶。

 何を聞かれていたのか、何を答えていたのかは、全く分からない。

 そして、目覚めた時には、既にジャックの姿は部屋には無かったのだ。

 慌てて我が身を確認し、何事も無かった事に安堵はしたものの、自分が一体ジャックに何を言ってしまったのかが、オリバーは気になって仕方が無かった。


(絶対に、聞き出してやる)


 そう思い続けて数週間が経ったある日の夜。

 シリウス邸での執務を終えたオリバーが邸に戻ると、庭のベンチに座る人影を見つけた。

 ギョッとして剣に手をかけたものの、その人物が月明かりをぼんやりと受け止めているようなベージュのスーツ姿であることに気づき、剣にかけた手を下ろしてゆっくりと人影へと近づきながら声をかけた。


「ここは俺の邸だ。不法侵入だぞ」

「知ってるでしょ。俺は王家からどこへでも転移できる許可を貰ってるって」


 返って来た声は、予想通りの聞き覚えのある声。


「守るべき最低限のルールはあると思うが」

「ここなら問題ないと思ったから」

「は?」

「だって君、絶対に俺に会いたいって思ってるはずだし」

「誤解を生むような言い方をするな」

「どこにも誤解はないと思うけど?」


 押し問答のような男との掛け合いが、なぜかオリバーにとっては心地よく感じられる。


「転移するには転移の紋章を刻む必要があると思うが」

「この間ここに来た時に刻んでおいた」

「はぁっ?」


 慌てて辺りを確認すると、花壇に転移の紋章が刻んであるのが見えた。花壇から溢れ出す草花で隠されて見えづらい場所だ。


(まったく……)


 怒りと呆れの混じった目でオリバーは男を睨んだが、男はベンチに腰掛けたままぼんやりと遠くを眺めているようだった。


「なぜここに転移の紋章が必要なんだ?」

「その方が都合がいいからね」

「都合?」

「俺が君に会いたくなった時にいつでも会いに来られる」

「何を勝手な」


 溜息を吐き、オリバーは言った。


「今までさんざん俺を避けてた癖にか? シリウス邸への来訪もお前の大事な仕事のひとつじゃないのか? 毎回僅かな時間も取れない程、忙しい訳じゃあないと思うが」

「確かに」

「避けるってことは、意識してるっていう証拠なんだよなぁ?」


 声を掛けながら、オリバーはベンチの男に近づいた。


「そう、だね」


 オリバーの方へ顔を向ける事もせず男は答える。


「反論しないんだな」


 言いながら、オリバーは男の隣に腰を下ろす。するとようやく、男はオリバーへと顔を向けた。表情の無い顔を。


「そんなに意識してほしい程、俺に惚れてるの?」

「寝言は寝て言え」

「素直じゃ無いねぇ……またクスリでも飲ませたくなるよ」

「……っ!」


 男の言葉に、オリバーは表情の無い男の顔を睨み付ける。

 だが、男は顔を正面へと戻し、微かに笑っただけだった。


「聞きたいんでしょ、自分が何を言わされたのか」

「当然だ。俺には聞く権利がある」

「権利、ねぇ……仕方ない。じゃあ、正直に答えてあげようかな」


 大きく息を吐き、男は暫く下を向いていたが、おもむろに顔を上げると体を捻り、傍らのオリバーに向き合う。

 オリバーも、その視線を受け姿勢を正す。


「自分がよくわからない、って。言ってたよ、君」

「……は?」

「何で俺のクラブに来たのか、何で俺に会いたいって思ってしまうのか、自分でもよく分からないんだ、って」

「そうか」


 男の言葉にオリバーはホッと息をついた。とたん。


「でも、俺とのキスはやっぱり随分お気に入りだったみたいでねぇ」

「なっ……」

「俺の顔を見るたびに思い出して堪らなくなる、って言ってたよ、君」

「嘘だっ」

「ところが、ほんとの事なんだなぁ、これが」


 男の言葉を嘘だと決めつけてしまうのは、簡単な事だった。

 だが、オリバーには思い当たる節がある。あり過ぎるくらいに、ある。

 ジャックとのキスの感触は、今なおオリバーの中に残り火のようにくすぶり続けて、忘れられていないのだから。


「それからね」


 ニヤリと笑い、男は続ける。


「必要なら、その先までいっても構わない、とも言ってたよ」

「は?」

「つまり、俺と寝る事も厭わない、と」

「誰がっ!」

「はぁ……あの時の素直さは一体どこへ行ってしまったのやら」


 激高するオリバーに苦笑を漏らし、男はベンチから立ち上がった。


「まぁ、俺も似たようなもんだし。君の気持ち、分からないでもないんだよね。それに俺も」


 未だベンチに腰掛けたままのオリバーを見下ろし、男は口を開く。


「君となら、本気で寝てみたい」

「ばっ……なっ、なに言って」

「なぁんて、ね」


 気づけば、男の目はいつの間にか、夜だというのに濃い紫のサングラスで覆われ、表情はほとんど読みとれない。


「じゃ、またね」


 ベンチにオリバー1人を残し、男は転移の紋章を使ってどこへともなく去って行った。


(寝る? 俺が? あいつと? 男と⁉ あり得ない……あり得ないだろ、そんなことっ!)


 頭では全否定している男の言葉。けれども、体の奥に灯った熱が全てを否定しきれないことにも、オリバーは気づいていた。


「嘘、だろ……」


 気づけば、唇をなぞっている指先。ジャックが与えたあの熱に、自分はそれほどまでに捉えられてしまったのかと、残されたオリバーは暫くの間ベンチに座ったまま頭を抱えていたのだった。

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