第12話

 王都の盛り場にある目立たない扉を開き、分厚いカーテンの手前に立つ男の許可を得てカーテンの中へと足を踏み入れる。

 中から差し込んできた眩しい光に眉をしかめつつ、ようやく光に馴れた視界に飛び込んできたのは、入口近くのソファに背中を向けて座っていた金色にも見える薄茶色の髪と、光沢のある紫のブラウス。

 声を掛けようとし、オリバーは目当ての人物が1人では無いことに気づいた。

 ソファに並んで腰をかけ、しなだれかかるようにジャックに体を預けている男は、恍惚の表情を浮かべて目を閉じている。

 そんな男を笑顔で見つめながら、ジャックは男の耳に何事かを囁いていた。

 さながら、微笑ましいカップルの風景。

 思わず、オリバーの足がその場で止まる。

 オリバーの視線の先でジャックは体を起こし、傍らの男の頬に顔を寄せ……

 と。

 ふいにその視線が、オリバーへと向けられた。


「……っ!」


 瞬間的に踵を帰し、扉へ向かおうとしたオリバーの背中に声が掛けられる。


「待て」


 支配的な声に、オリバーの意志に反して足が止まる。

 程なくして、ジャックがオリバーの元へとやって来た。


「なんで逃げるの?」

「逃げる? 俺が?」

「あぁそうだよ。君が、だ」


 薄笑いを浮かべ、ジャックは言った。


「まるで想い人の浮気現場にでも遭遇しちゃったような顔、してたよ?」

「誰がっ!」

「俺が相手をするのは君だけだとでも思ってた?」

「……っ!」


 予想外に動揺している自分に、オリバーは戸惑っていた。

 確かに、ジャックの傍らに自分以外の男がいる光景など想像はしていなかった。

 だが、動揺の理由はそれだけではない。

 認めたくは無いが、ジャックの言う通りだと言い当てられてから気づき、オリバーは悔しさに顔を背けた。


(バカな! なんでこんな……)


 そんなオリバーの姿を可笑しそうに眺めながら、ジャックは言う。


「こう見えても結構モテるんだよね、俺」

「それは結構」

「ここにいれば、君とじゃなくたって、誰とでも楽しめるしさ」


 オリバーの複雑な胸の内を見透かすかのように、ジャックの声には揶揄の響きが伴っている。


「……用はそれだけか」


 突き放すように言い放ったオリバーの顎先が、強い力で捕らえられた。


「それはこっちのセリフなんだけど?」


 否応無しにオリバーはジャックの視線を正面から受け止めさせられ、相変わらずシリウス邸で見せる表情とは全く違う冷めた瞳に、双眸を覗き込まれる。


「君一体、ここに何しに来たの?」

「えっ」

「前にも言ったはずだよね。キス以上を求めてないんだったら、もうここへは来るなと」

「……っ」


 唇を噛みしめ、オリバーは言い淀む。

 その様子にジャックは小さく笑い、オリバーの顎を捕らえていた指を離してそのままオリバーの腕を掴んだ。


「まぁいいや。立ち話も何だから」


 言いながら、ジャックはオリバーを従えるようにして、店の奥へと歩き出す。


「おいっ、どこへ」

「VIPルーム」

「VIPルーム?」


 掴まれた腕を振り払う間もなく、引っ張られるままに歩くオリバーに、ジャックはニヤリと笑った。


「ここのオーナー専用の、ね。結構居心地いいんだ」


 暫く歩くと、廊下の突き当りに扉が現れた。その扉に手をかけ、ジャックがオリバーを振り返る。


「ここだよ」


 オリバーを部屋へと招き入れると、ジャックは後ろ手に扉を締めた。

 カチャリという施錠の音が、思いの外部屋中に響く。


「勝手に入っていいのか? オーナー専用の部屋なんだろう?」

「もちろん。だって俺の部屋だから」

「え?」

「ここのオーナーって、俺のことだよ? え? なんだ、知らなかったの?」


 揶揄うような笑い声を上げ、ジャックは馴れた手つきで棚からグラスを2つ出し、ワインセラーからワインの瓶を一本選び出す。


「表立っての公表はしていないけど、ここらの盛り場一帯にある店は、全てピルスナー社が関与している店なんだ。そしてこの店は、ピルスナー社が全面出資している。ていうか、俺が出資してる。だから、オーナーは一応俺。もっとも、ここでは俺はピルスナーの名前は一切出してないけどね」

「それじゃ、俺が知る訳無いだろう」


 小さく呟き、オリバーはその場に立ったまま辺りを見回す。

 上等なホテルの一室を思わせるような部屋の作り。

 店から長い廊下で繋がってはいたが、距離があるためなのか防音設備がしっかりしているからなのか、ここからは店の喧噪は一切うかがえない。


(VIPルーム、か)


 ふと、開いた扉越しに見つけた、大きなダブルベッド。


『俺だって、いつまでもキスだけで終わらせてあげられるとは限らないからね?』


 先日のジャックの言葉が蘇り、オリバーは無意識に己の体を抱きしめる。


「そんなに気になる? あのベッド」


 ふいに耳元で囁かれ、ギョッとして振り返ると、ワインで満たされたグラスを2つ手に持ったジャックが、笑いながらオリバーを見ていた。


「結構いいスプリングだよ。特注だからね」


 そう言うと、ジャックはオリバーにグラスの1つを押しつけ、迷うことなくベッドルームへと入って行く。


「ん、久しぶりだけど、やっぱりこのベッドはいいなぁ。ほら、君も早くこっち来て座りなよ」


 優雅にグラスを唇へと運びながら、ジャックはその場に立ったままのオリバーを手招く。

 仕方なく、オリバーもベッドルームへと足を踏み入れた。

 だが、オリバーが腰をおろしたのはベッドではなく、向かいのソファ。

 それでも、気にする風もなくワインの味を楽しんでいるジャックに、オリバーもつられてワイングラスに口を付けた。

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