第四章 再訪

第11話

 いつからかは分からないが、気づくとオリバーは片手で唇を触っている事が多くなった。

 そしてそんな時は決まって、ルークの事を考えているのだ。


(バカバカしい。なんで俺があいつの事なんか)


 王立学院ソラリスに居る間から、オリバーは恋愛相手に不自由をしていると感じた事は無かった。

 オリバー自身、それほど恋愛に興味がある訳ではなかったのだ。ただ、求められたから付き合った。それだけ。

 何人かと恋愛関係にはなったものの、オリバーから求めた女性はひとりもいなかった。そして、恋愛関係の終わりはいつも、女性の方からオリバーへ告げられた。

 縁が無かったのだとオリバーは思い、自分の元から去る女性を追いかける事はしなかった。いつかたった一人の、どのような手を使ってでも自分のものにしたいと思う人に出会える日がくると、オリバーは思っていた。

 今は仕事が忙しく、恋に現を抜かしている暇が無いために恋人と呼べる人は居ないが、それでも王都フィアナの繁華街やここアクタル辺境地の酒場でさえ、フラリと立ち寄る店々には必ずオリバーのファンを自称する女性がチラホラとは存在している事を知っている。もっとも、大半はリップサービスだろうと、オリバーは受け止めていたが。

 だが、その時が来たらならばきっと自分も、生涯無二の愛する女性と出会って恋に落ち、やがて結ばれるのだろうと、オリバーは思っていたのだ。

 にも関わらず、どうにかすると思い出してしまう、ルークとのキス。

 同性とのキスは初めてではあったが、キスという行為自体、オリバー自身数え切れないほど経験している。

 それなのに、それらのどれをも押しのけてたったひとつ残っているのは、ルークとのキスの感触だった。


 経験の無い珍事に、オリバー自身戸惑っていた。

 もとから、自身の恋愛相談を誰かに持ちかけるような性格ではないものの、ことこの感情に関しては、殊更誰に相談する事もできない。

 それどころか、未だ同性間の恋愛に拒絶の感情が多くあるここアクタル辺境地では、誰にも悟られたくはないし、悟られてはいけない事だった。


「え~、本当に?」

「えぇ、もちろんです。お父様には内緒でお持ちいたしましょう。それならば、お忙しいオリバー様のお手を煩わせる事も無いでしょう?」


 ある日シリウス邸の廊下で、オリバーはシリウスの愛娘マリアンナとルークが立ち話をしている所を見かけた。どうやら、いつものごとく父親には知られたくないマリアンナの買い物を、ルークが引き受けたらしい。


「助かるわ。いつもありがとう、ルーク」

「どういたしまして」


 話から、これが初めてではないことをオリバーは理解した。

 思い起こしてみれば、最近マリアンナから、王都での買い物を頼まれていない気がする。


(あいつ、何を企んでいるんだ?)


 もしかしたらそれはルークなりの顧客への純粋なサービスなのかもしれない。

 けれどもオリバーはその裏に別の何かがあるのではないかと感じた。


 夜の庭で話して以降、オリバーは再び自ら、来訪するルークを出迎えるようになった。だが、シリウス邸で顔を合わせるルークは、ピルスナー社の副社長としての顔しか見せることはなかった。ルークにとっての顧客はシリウス伯の為、ルークが話をするのは専らシリウス伯のみ。オリバーはお茶出しの他は側に控えているだけ。

 偶にシリウス伯が席を外しても、オリバーからルークに話しかける事は無かったし、ルークからオリバーへ話しかけてくる事もまた、無かった。

 ただ、オリバーは少し離れた場所からルークを観察していた。

 服装こそ違えど、変装をしている訳ではないのに、ルークレイル・ピルスナーは、やはりジャックとはまるで別人のように見える。

 髪の色も、瞳の色も、声も、話し方さえも全て違いは無いのに、身に纏う空気がまるで違う。

 陽の光がよく似合う、愛想のいい、ピルスナー社の副社長。

 闇を纏っているかのような、夜の遊び人、ジャック。

 唯一共通している事は、時折見せる、感情の無い冷めた飴色の瞳。


(本当に、同一人物なのか?)


 シリウス邸でルークを出迎える度に、オリバーの疑問は膨らみ続けた。

 本人が認めているのだ、同一人物であることは間違い無い。

 頭では分かっているのだが、自分を納得させるだけの材料がオリバーには無かった。

 何よりもう一度、ルークではなくジャックと話をしたいと、望んでいる自分がいる。

 それから、気になる事がもう一つ。

 時折見せる、あの冷めた瞳。


(もう一度だけ、これが最後だ。確かめるだけだ、あいつの事を)


 そんな言い訳を胸に、オリバーは次の休みにあのクラブへと向かう事を決めた。

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