65 江平に何が起こったか(2)


「したが木坂きさか、なぜ、今朝の私のあれだけの電話で、事情を察してくれたのだ?」

 江平えびらはたずねた。自分が危地にあったことを察してほしくて、わかりやすい嘘をついたのは彼自身だ。しかし、いくら思い返しても、たったあれだけの話で麗人れいとがここまでうまく対応してくれたことは、どうしても理解できない。


「カプセル捜してくれって話で、ぴんと来た。ああ昨日エビらんの部屋に入った泥棒って、それ捜してたんだなって。あの荒らし方、おかしいと思ったもん」

「……何がだ?」

 部屋のあるじは、泥棒に荒らされた部屋の様子を思い起こしたが、何が麗人の神経を引っぱったのか、見当がつかない。


「だって、あのでっかいカプセルが入りそうなところばっかり荒らしてたジャン」


 江平ばかりか一馬かずまも目を丸くした。黒川くろかわの、サングラスに覆われていない部分は無反応だったが、実際にどう感じたかはわからない。

「机の引き出しの上段とか、和ダンスとか、明らかにカプセルが入らないような浅い引き出しには興味なさそうで、手も付けてなかったよ。でも押入れとかクロゼットとかは根こそぎひっくり返してた。金庫も気になったから開けたけど、カプセルが入ってないことは一目瞭然だったから、中身は触らなかった。机の3段目は深い引き出しだけど、開けてみたらファイルなんかがぎっちりでカプセルの入る余地がないことが明白だったから、荒らさなかった。2段目の引き出しは捜したみたいだけど、たとえばすずりしか入らないような浅いケースは、開けもしないで放り出した」

「ああ……そういうことであったか」


「麗人、だからお前、江平が蕎麦そば食いすぎた云々の電話してきた時点で、泥棒がらみの事件が起きてこいつが巻き込まれたんじゃないかって、気付いたんだな」

 黒川が何度か、小さくうなずきながらこぼした。

「考えすぎの可能性も大きかったからねえ。だいぶ迷ったよ」


「でもあいつ、江平の通帳持って行ったじゃねえか」

 一馬が言った。麗人の推理を根底からくつがえすことにはならないとわかっていたが。

「通帳はたぶん、ついでだと思う。おっさんは、部屋に入ってまず最初に、畳をめくって回ったんだ、カプセルが入るような床下収納がないかを確かめるために。メインはそっちだね。そしたら通帳発見、ラッキー、ついでにもらっておこう、と。最初にもう通帳を手に入れてしまったから、それ以上金目のものを狙っては、細かいところまでごそごそしなかったんじゃないかな」

「だとしても……」


「エビらん、本棚の一番上に、文庫本を前後二列に並べてしまってるでしょ? 手前側の本をほとんど引っ張り出したのは、奥にカプセルを隠してないかを確かめたかったんだと思う。あの棚、エビらんの目線にはちょうどいいけど、オレたちにもおっさんにもちょこっと高くて、奥にあるのは本当に文庫本だけなのかどうか、見上げるだけじゃわかんないのよ。だから1列目を取り出したんじゃないかな」

「江平がそんなもの、そんなところに隠すわけないだろうに」

「警察に追われて疑心暗鬼になってるあのおっさんに、そんな理屈通じると思う、カズちゃん?」

「…………」

「でも、棚の奥にも本が並んでいるだけだとわかったから、奥がわの本には手をつけなかったんでしょーね。それでオレ、泥棒は何かかさばるモノ捜してんじゃないかと思ったのよ。つまりメインの捜し物は、金目の物っていうふんわりしたイメージではなくて、明確で具体的なものだった。そう思ってもう1回部屋を見回してみたら、はっきり荒らしているところと、あからさまに手もつけていないところがあることに気づいたの。泥棒は、それがエビらんの部屋にあることをちゃんと知っていたんだね。あの……官能書院、文庫が…………教えてくれた、ようなもの……」

「思い出し笑いをするな!」


 さすがに顔を赤らめて、江平はきまり悪そうに抗議した。黒川も一馬もそれぞれ、おかしさに敗北して笑みを歪める。自分がからかわれると不快でたまらないのに、人がからかわれるのを見るのは無責任におもしろいのだから、我ながら業が深い。


「でもねえ」

 ようやく麗人は笑いをおさめた。

「かさばるモノが部屋から盗まれてなくなったら、エビらんは気づくんじゃないかと思ったのよ。それなのに、エビらんがなくなったと気づいたのは、まず通帳と小銭とパンとかの食料。部屋がだいぶ片付いてから、文化祭のチケットがないことがわかった。あそこまで片付いて、かさばるモノがなくなったことにエビらんは気づいてない。それであのときオレ、あれ考えすぎかなって思って、迷っちゃってさ」

 江平が気づくわけがない。そもそも自分の部屋にそんなカプセルがあったことも知らなかったし、知らないまま学校へ持って行ってしまった後だったのだから。

 そして、空き巣事件が起きた時点では、麗人も黒川も一馬も、カプセルの存在はおろか、江平が風呂敷ふろしき包みを取り違えたことさえ、まったく知らなかったのだ。江平の部屋を荒らした犯人の狙いが何か、麗人たちが気づくのは不可能というものだった。


 だが。

 カプセルを欲しがった人物は、空き巣に入ってでも、それを手に入れようとした。

 手に入れることができなかった場合、さらなる強引な手段に出ることは、大いにありうる可能性だ。

 それが麗人の脳裏に、「江平が危ない」との警鐘を鳴らしたのだ。迷いながらも、警鐘を信じて行動したことが、結果的に江平を救うことにつながったのである。


「そもそもなあ。お前がなんも考えずに、似たような風呂敷包みふたつも、疑いもしねえで持って行ったから、こうなったんだ。中身確かめて、家族も心当たりなければ交番に持って行くとかしていれば、もっと簡単に終わった話だぞ」

「…………うむ」

 黒川に正論をぐっさり突き刺され、江平はひとこともなかった。


奥菜おきなが、パンとか小銭とか持って行ったのは、潜伏生活のためなのかな」

 一馬は隣の黒川に問いかけた。

「たぶんな。カップラーメンが手つかずだったのは、扱いが面倒だからだろう。熱湯を調達しなきゃいけないし、においも馬鹿にならないし、容器はそのへんに捨てると目につきやすい。拠点がないと案外不便なんだ。熱湯なしでそのまま食べるのはかなり大変だしな」

「そうなのか? さすがに試したことないな。黒川、そのまま食ったことあんの?」

「さてな」

「……箸もいるし?」

「箸はそのへんの木の枝で代用できる、問題にならん」

「……なるほど。だけど、あの犯人って警察に追われていたんだろう? 江平の部屋から通帳なんか盗んでどうする気だったんだろう。ATM行ったってどうにもならないだろうに」

 ふとつぶやいた一馬の隣で、黒川が怖すぎる回答を出した。

「業者がいるらしいぞ。盗品の通帳とかカードとか、そういうのを買い取る専門の。手数料が何割か知らんが」


「……そんな商売でモト取れんのかな」

「とれるからやってんだろう。餅は餅屋ってやつだ。それ以上知らない方がいいんじゃねえか」

「それを言うなら、じゃの道はへび、の方がよくはないか」

 そのへんの事情をお前は詳しく知ってそうだな、という言葉を、一馬は飲みこんだ。

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