71 Happy Halloween !

 3年生のバンド演奏は、熱狂の渦の中で始まった。ダンスパーティもいよいよ佳境だ。


 2年生バンドの出番を終えた麗人れいとたちは、何食わぬ顔でアリーナに下りた。

木坂きさかクーン!」

「カッコよかったねー!」

江平えびらくん、けっこうやるじゃない」

 ドが付きそうな高い高い声で、女子の集団が殺到してきて、一馬かずまはおわっと声を上げそうになった。


「やーやーやーやー、みんな声援ありがとう。楽しんで踊れた~?」

 ナンパな吸血鬼はさすがにもの慣れた様子で、女の子たちににこやかに応じている。その後ろでさりげなく殺人鬼が、吸血鬼を上手に盾にしてさっさと離脱していくのを、狼男は確かに目撃した。


「こんにちは」

 声をかけられて、ふと一馬は顔を上げてしまった。何人かの女子がにこにこしながらこっちを見ている。この時刻にこんにちははおかしいよなと、野暮としかいいようがないことが気になって、ちょっと自己嫌悪になる一馬だった。

二高にこうの……ええと」

「あ、俺? 岬井みさきいです、岬井一馬」

 きゃーっ、と謎の声が上がる。やっぱりそうよう、とも。

「二高の友だちに聞いたもん、岬井くん、学年総代だって!」

「ええ、二高の学年総代ってスゴくない?」

 別の、もはや意味不明の嬌声が上がる。ええまあ、と一馬は歯切れ悪く肯定した。二高に友だちがいるというなら、すぐばれる嘘をついても仕方がない。


「一緒に踊って!」

「えっ、あの、おわ」

 口ごもる暇もなく、ぐいっと手を引っ張られた。落武者はと見れば、何人かの女子に話しかけられて、壁際でたじたじになっており、むしろ自分の方が助けて欲しそうな雰囲気だ。吸血鬼の前には、一緒に踊りたがる女子が列をなして待っているという状態だし、殺人鬼はとっくに消えている。せっかく来たんだし、踊るくらいならいいかと、割り切ることにした狼男だった。


     ◯


 誰も遠慮せず大騒ぎする中で、ごちゃつくアリーナを、妹尾せのお雅之まさゆきは生徒たちをかき分けながら歩いた。

 滝山たきやま柚奈ゆずなが、何かのアニメのコスプレなのか、明らかに明洋めいようのものではない制服を着ているのだが、彼女の前には、一緒に踊ろうと考えている男子が長蛇の列を作っている。同じ4組の、小林こばやし御厨みくりやというふたりの男子も、その行列の中で苛立たしそうな顔をしている。木坂麗人が、きゃっきゃとはしゃぎながら、まさに女子をとっかえひっかえ、という様子で、ワンフレーズずつ一緒に踊って回っている。その様子をちらっと眺めながら、野口のぐち泉美いずみがきょろきょろしている。麗人自身が目的ではなく、彼と関わる誰かを捜しているようだ。1組の江平はダンスに参加せず、クラスの男子らと何か談笑している。彼らと一緒にステージをつとめた他校生のギタリストは、少々遠慮気味に、何人かの女子と踊っていた。学祭実行委員の立花たちばなは、学祭期間中に体育館で行われるイベントを仕切る担当だが、後夜祭の采配をサブの委員にまかせて、制服のままほっとしたように、アリーナのにぎわいを確かめながら歩いている。はしゃいでよたつく1年生の集団をなんとかかわしたところで、……見つけた。自分と同じように誰かを捜しているのか、あちこち見回しながら心もとなさそうに歩いている、制服の女子。


藤岡ふじおか!」


 横合いから、なかば怒鳴るように声をかけた。そのくらい大声でないと聞こえないほど、騒がしいからだ。

 捜している相手から逆に見つけ出されて、藤岡麻衣まいは呆然と立ちつくした。どちらも仮装せず、いつもの制服姿というのが、かえって異彩を放っていた。


「せの、っち……」


 麻衣も、まごついていた。どうしよう。捜していたはずなのに、実際に顔を合わせてしまうと、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。声にできないまま唇だけを動かしかける。



 雅之は急いで深呼吸した。


「傷つけた自覚があんなら謝っとけや」

 無造作に黒川くろかわから投げつけられた言葉が、胸の中で何度も反響していた。おかげでアイアンレースは、男子の部では12人中10位という、さんざんな成績になってしまったが(最下位は赤チームの野島のじま)、正直もう順位などはどうでもよかった。

 当たり前のこと。とても単純なこと。傷つけた自覚があるなら……そうだ、オレは藤岡を傷つけたんだ。

 声を、かけないと。藤岡を呼ばないと。ほれてんのか云々は、まあ、こっちに置いといて。

 けど、単純と簡単は、違う。どうして違うんだろう。単純なことなのに、こんなに難しく思えるのは、どうしてだろう。

 ていうか……木坂たちが、あんなムーディな曲、演奏るから……ムダに落ち着かねえじゃねえか……。

 ……後夜祭の騒ぎの中で、雅之はようやく、勇気を振り絞った。



「ごめん!」


 あまりにも潔く、雅之は頭を下げた。

「オレ、藤岡に、ヤな思いさせて……ごめん」

「あっ、えっ、あの」

 麻衣の足がもつれそうになった。……先に言われちゃった。あたしの方こそ、ヘンなすね方しちゃって、妹尾せのっちを戸惑わせてしまったのに。


「けど、その……オレ、藤岡を、悲しませたいわけじゃなかったから……その、ええと、…………」

 雅之はごじゃごじゃと言い淀んだ。……つまりその、もっと先に言うことがあっただろう。

「考えナシだった。藤岡、あんなにがんばってたのに、楽だろ、なんて言って」

「え?」

 麻衣は大きな声で聞き返した。嫌味や意地悪ではなく、雅之の言葉がフェードアウトしていくのに加えて、周囲がうるさすぎるからだ。


 そうしてふたりは、気まずいなあ、という顔のまま、気まずく黙ってしまった。雅之は麻衣の反応の意味を解読するのに手間取っていたし、麻衣は雅之から何を言われたのかわからなかったので。


 ゼリーのように、ぷるぷるとふるえる沈黙が、たゆたう。


「ちょ…………場所、変えるか」

 ふい、と雅之が、アリーナ出入り口の方へ無造作に指を向ける。

「あ……うん」

 麻衣は、雅之に見えるように、大きくうなずいた。指の動きで、彼の意図は伝わったのだ。


 ――妹尾っち、……顔が、赤い……?


 気づいたと同時に麻衣は、自分の顔が不自然に熱くなっていることをようやく自覚した。

 ううん、これはきっと……アリーナの熱気と、木坂くんたちの、あの曲のせい。

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