67 最後のアクシデント

「――そう言えば、後夜祭は渡辺わたなべが仕切るんだよね? 結局何やるの? アイツは?」


 ふと、麗人れいとが周囲をきょろきょろして、たずねた。後夜祭の2年生の部は俺にまかせろとうそぶいていた、薄っぺらいあの男は、姿が見えない。

 表情がほぐれかけていた2年生たちに、別の困惑がミックスされた。


「渡辺は、さあ……」

 浪原なみはら貴教たかのりが、3年生もいる場で、気まずそうに、重く口を開いた。

「午後イチの綱引きのときに、応援ではしゃいで、サッカーのゴールネットで足ひっかけてひねって捻挫して……病院から戻って来ない……」

「あうちー……」

 平板な日本語発音で、麗人は反応した。

 そうなると青チームは、江平えびらだけでなく渡辺も突然抜けてしまったことになる。2年生選手のやりくりには悩まされたことだろう。


「そもそもアイツ、何やる気だったの? 体育館に何かあるんじゃない? やりかけの準備とか、道具とか。誰か一緒にやってる人いなかったの?」

 2年生、特に男子たちが、ふるふると首を横向きに振った。麗人も、自分で言ってから、体育館の舞台袖に特別な発見はなかったなと思い出した。

「あいつ、本当にひとりでやるつもりだったみたいで……病院に行っちまってから、後夜祭どうするんだって誰かが言い出して、聞いてみたんだけど、渡辺が何やるつもりだったのか、誰も何も知らなかったんだ。体育館も、何かの準備している様子もなくて……」


 3年生から「おいおいー……」という声がもれた。無理もない。最後の学祭、どこまでたたられるんだという思いは正直なものなのだろう。

「好き勝手ほざいて、投げ出していなくなったか」

 黒川くろかわは乱雑に言い捨てた。ケガは気の毒だが、後夜祭には大きな穴が突然あけられてしまった。体育祭の種目と違い、代わりの人を立てさえすれば即座にどうにかなる種類のものではない。


 麗人は、はねる前髪をかき上げた。

「3年生は? 後夜祭担当する人は、何やるんですか?」

「……バンド演奏、だけど……」

 どうやらメンバーらしい3年生のひとりが、文句があるかと言いたげな口調で答えた。奇抜な返答ではなかった。後夜祭はだいたい、2年生も3年生もバンド演奏が定番である。ごく少数、そうではないことをする人も過去にはいたが。そして渡辺が具体的に何をしようとしていたか、知るものは誰もいない。バンドの予定なら、一緒にプレイするメンバーがいそうなものだが、どうやら誰もいないのだ。事前にあれだけバンド演奏をバカにしていたのだから、本当に何か別のことをやるつもりだったのかもしれない。しかし、もう知りようがなかった。


「……しょーがないねぇ」

 つぶやいて、麗人は瞳をきらめかせた。

「体育祭で迷惑かけちゃったオレらで、後夜祭の穴埋めしよーか。責任まったくないとは言えないしね。どーお?」

 ええっ、と生徒たちはそれぞれに顔を見合わせた。


「今から?」

「準備時間ほとんどないよ?」

「大丈夫かよ、何やるんだ」

 麗人は臆した様子もなく、いつものにこやかな表情のままだ。


「なんとかなるでしょ。――ね、はるかちゃん」

「異存はねえよ」

 不満そうな表情は見せず(この男は普段から不満そうに見えなくはないのだが)、黒川はあっさりと承諾した。よく見ると、唇の端が微妙に上がっている。もう麗人にはおおまかな道筋は見えているのだろう――ならば自分は、一緒に行くだけだ。


「カズちゃん、ここまで来たら乗りかかった舟でしょ、手伝ってくれない?」

 フェンスぎわに退いて、部外者らしい慎ましさを守っていた一馬かずまは、不意に麗人から呼びかけられて顔を上げた。

「ああ、俺にできることなら……何やる気だよ」

 んん、と麗人はわずかに首を動かした。

「もう時間もないから、バンド演奏でいきましょ。3年生も楽器使うんだから、今から調達する必要もないしね」


「練習する時間あんのかよ、こんなぶっつけ本番みたいなタイミングで」

「やってみようよ。このメンツ、ちょうどバンドの楽器、分担できそうだし。エビらん、ドラムいけるね? あとみんな、昨日の仮装、できるよね? カズちゃんは? あの狼男」

「……ここにあるよ。レンタルで、今日返すつもりで持って来てたから……」

 一馬は例の布バッグを軽く揺すった。

「上等。じゃ、ホームルームが終わったら、衣装持って体育館に集合。1分でも合わせなきゃ。カズちゃん、もうしばらく待っててね。エビらん、カズちゃんの案内頼むね」

「お、おい……」


 てきぱきと決めて、麗人は動き出す。勝手に決めやがって、という感情よりも、気おくれの方が、今の一馬には大きかった。

「俺、他校生だぞ。後夜祭に、そんな……いいのか」

 麗人のかわりに黒川が振り返った。いつもの、不機嫌そうに見える表情のまま。

「悪けりゃハナから声かけねえ。この顔ぶれなら、ギターはお前しかいねえだろ。やるのか、やんねえのか」


 ……一瞬、息がつまってしまった。


「あ――ああ、そう、……やるよ。もうここまできたら、なんでもやるさ」

「けっこうなことだ。ホームルーム終わるまで待ってろ、ひとりで勝手に校内入らない方がいいぞ」

「それくらいわかってるよ」

 苦々しい口調で言い返したが、一馬の胸の中には、風が勢いよく吹き込んでいた。こいつらに頼りにされている――俺が。しかも、得意な分野で。


 熱い風が、一馬の全身を活性化させ始めていた。

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