60 目覚めよと呼ぶ声ありて
……床に転がる、
「おい、これはどうやって見るんだ」
男は言いながら、江平の口から布をはぎ取った。力ずくのためかなり痛い。目の前に突き出された画面には、左から右へと、巨大なひび割れができてしまっていた。上部のアイコンで、メッセージが届いていることが確認できる。
「……中央のボタンを押して、矢印を……」
「……こうだな。おっ、……」
メッセージアプリの画面が展開する。ひびが邪魔ではあるが、白っぽく丸いカプセルとおぼしき写真が、画面いっぱいに映し出された。カプセル周辺は散らかっている。モールの切れ端や押しのけられた大判のハンカチ、針金の屑、小道具にでも使ったらしいカードが写り込んでいる。文化祭の終了後、片づけられない状態のままであることが容易に想像できた。「これ?」とのメッセージも記されている。発信者は、
「これだ、これだ!」
大声になりそうなのを、男はこらえ、押し殺した声で興奮した。直後、メッセージアプリが一時的に消え、本体が再度ぶるぶると震えだすとともに、電話の着信を示す画面に切り替わった。大きなひびの上にかろうじて「
男は大またで、江平の机に戻ると、天板から拳銃を取って、ふところにしまった。さらにナイフを取り、江平の喉に近づけた。
「すぐに持って来るよう言え。いいか、すぐに、そいつひとりでだ。おかしなことを言うんじゃねえぞ」
再び携帯電話が顔のそばに突き出される。男の指が、着信ボタンを押した。
『はぁい、エビらん。具合はどう?』
スピーカーをオンにしてあるため、陽気な声が、それでも多少は気づかわしげに、携帯電話から飛び出した。
「ああ、うむ、吐き気がなかなかおさまらなくてな。首尾は、どうだ」
からからに干からびた喉で、江平は声を絞り出した。回線の向こうには、気分の悪そうな声として届いていることだろう。
『写真送ったんだけどさぁ、見てくれた? あれでよかった?』
江平が確かめるまでもなく、男は何度もうなずいている。
「うむ、まさしくあれだ。すまぬが、少し急いでいてな。すぐ、私の離れ屋まで持って来てもらえぬだろうか。せかすようですまぬ」
『はいはーい、いいよー』
「頼むぞ、木坂ひとりでいい。あまり何人も、体育祭から抜けない方がよかろう」
『? まあ、そーかもね。そんじゃ、後でね』
「すまぬな、本当に」
『エビらん、もうちょっとだけ待っててね。すぐ行くから』
「……ありがとう」
通話が男の指によってぶった切られた。男は疑わしそうに、江平をながめている。
「…………余計なことをしゃべってないだろうな」
「一部始終聞いていたであろう? あれ以上何が言えるというのだ」
江平はそう答えるしかなかった。
男にまたしても布で口をふさがれながら、江平はさっきのカプセルの写真を思い起こしていた。端に写り込んでいた3枚のカード――3枚のエース。ハート、スペード、クラブ。ダイヤだけがない。
……4人の男子高校生は、トラブルや非常事態に巻き込まれることが、なぜかとても多い。そのたび、助けを待つ前に、自分たちでベストを尽くし、可能な限り自力でトラブルを切り抜けてきた。爆弾テロリストと対峙したことさえあるのだ。このため、突発的な事態に備えて、互いに暗号名で合図を送ることもある。4人がよく用いるのは、カードの4つのスート(マーク)だった。麗人がハート、
そのダイヤだけがなく、ほか3つのスートがそろった、3枚のカード。エースというのは、それぞれの最強のカードを意味する。
……3人そろって、動いてくれる、というのか。
通じたのか。わかってくれたのか。木坂、私の嘘を。
だが……どうやって。
江平は目を閉じた。目の色が変わったことを、男に知られたくなかった。
◯
重苦しい時間が過ぎた。
男は立ち上がると、離れ屋正面にあたる窓の障子を細く開けた。
「あれか」
低いつぶやきに、座った姿勢のまま、江平は顔を上げた。
この窓の真ん前には江平家のガレージがあり、向こうの道路はわずかしか見えないはずだ。なぜこの男に判別できたのだろうか。
男は、古い住宅地を背景に、速度を落とし気味に走る1台のバイクを目撃していた。まだ遠く、ヘルメットもかぶっているので、顔は見えない。しかし、学校のものと思われるジャージは目立った。この人質の学校が、今日は体育祭だったことを思い出す。
しばらくして、男はぴたりと障子を閉めた。バイクがガレージの背後に隠れて見えなくなってしまったのだ。道はガレージの向こうで90度に折れて、こちらへ続いている。
男は、懐の拳銃を確かめると、ナイフを手にして、江平の口から布を外した。
「おい、その木坂って奴は、バイクに乗るのか」
念のため、そうたずねる。
江平は軽く驚いた。
――来たのか。さっきの電話から、ずいぶんと早いような気がする。だがバイクとは。バイクに乗るのは木坂ではなく、黒川だ。やはり木坂が黒川に相談したのか。では……何事か考えがあるということか。もしもこちらの事情を読み取ってくれたのなら、唯々諾々と従うやつらではない。歯がゆいが、今の己には何もできぬ。せめて、あのふたりの足を引っ張らないようにすることしか……。
「……そうか、あやつ、バイクで来たのか」
驚きを表に出さず、江平は、どうとでもとれる反応に徹した。
「ふん、体育ジャージにバイクとは、妙な恰好だな」
男は鼻で笑った。なるほど、体育ジャージを着ているなら、この男にも見当がついて不思議ではなかった。
なにが妙かと、腹立たしくなる。体育祭当日だというのに、なんとしても今日中に持って来させろと圧力をかけておきながら。
不満を押し殺し、江平は懸命に考えた。あいつら、どうする気だ。……もちろん、こちらに作戦を知らせるすべはないだろう。
ならば、信じるしかない。ゆだねるしかない。
――あやつはバイクで来たのか。ふたりでか。3人は乗れまい。だがふたり乗りなら、男がもう少し違った反応をするはずだ。ではひとりか。バイクに乗るのは黒川だ。木坂は別行動なのか。
……男は、江平の様子の変化を、見逃していた。
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