58 祭りの支度

 昼になっていた。


「ロクな食いモンがねえな」

 江平えびら家の離れ屋の中で、勝手に戸棚をあさり、勝手なことを男はつぶやいた。実のところ、この部屋は昨日、男自身が家探しをしている。目ぼしい食糧は自分で持ち去ってしまったのだ。カップラーメンは、留守のはずの離れ屋で湯を沸かすのはまずいと考えたのか、手をつけない。それでも、昨夜男子高校生4人で飲み食いした余り物のつまみやお菓子を、冷蔵庫から取り出してぱくついている。当然ながら江平に食べさせるという発想はないようだ。

 昨日男に荒らされた室内は、3人の友人が手伝ってくれたおかげで、だいたい片付いていたはずだった。ただ、机の上だけが、整頓と収納が間に合わなかったこまごました物でいっぱいになっていた。しかし今は、男がいらだちに紛れて、これらの物をたたき落としたので、机の周囲はまたしても散らかってしまっている。



 この男は、朝からずっと機嫌が悪かった。江平が、麗人れいとに電話で「カプセルを持って来てくれ」と頼んでまもなく、にわかに離れ屋の目の前の駐車場が騒がしくなったのである。

「なんだ」

 離れ屋正面の窓は、勉強机のすぐ前となっていて、カーテンではなく障子が嵌め込まれている。男は机に手をついて、その障子を細く開け、外をのぞいた。窓のすぐ前にガレージがあるので視界は悪いが、近所のおじさんといった男性が複数人、何か話しながら、ガレージの横から見え隠れしつつ、駐車場で作業をしているのが見える。


「どういうことだ……」

 明らかにいらついた様子で、男は障子を閉めた。ばしっと力強くたたきつけたかったのかもしれないが、音を立てるのはまずいと自制したようだ。


「なんなんだあいつらは。いつもああなのか?」

 不機嫌な男は、不快感を江平にぶつけてきた。ああと言われても、窓から離れた奥の壁近くで、座り込んだ姿勢の江平に見えるわけがない。しかし、時期的に江平には、何が起こっているのか、漏れ聞こえてくる言葉の端々から容易に想像がついた。男は江平の方を見て、答えようがないと気づいたのか、口を縛っている布をずらした。「大声を出すな」という無言の命令を、近づけたナイフに見せつけて。

 江平はひとつ深呼吸した。彼の声量なら、大声を上げれば外に聞こえるだろう。ただし代償にナイフを食らうことは間違いなかった。この体勢では、とっさにかわして時間を稼ぐなどという芸当はかなわない。助けを求めて自分が死んではどうにもならぬ、と江平は判断した。


「来週、そこの蕪屋かぶらや神社のお祭りがあるのだ。その準備であろう」

「クソッ! 道理でここ何日か、夜中まで騒がしかったわけだ。これじゃ動けやしねえ」

 吐き捨てた男の言葉に、江平はかすかに体を震わせた。ここ何日か。……ここ何日か、この近所をうろついていたのか? 夜中まで?


 それでも男性たちが力を合わせての作業は進み、祭りの高い高いのぼりが2本、無事に立てられて、駐車場の作業はとりあえずそれで終わったようだった。昼前には駐車場からは誰もいなくなり、静かになった。どうやら誰も、離れ屋の異変には気づかなかったようである。ドアの外側の留め金に、南京錠を引っ掛けておくという小細工は有効だったようだ。


 もうひとつ、男のいらだちの要因に、電話があった。江平の離れ屋の本棚は、腰の高さのしっかりした造りの棚に、電話の子機が3台並んで置かれている。寺のもの、神社のもの、そして江平家の母屋のものだ。父も母も不在であったり手が離せないときなどのために、江平がここからでも対応できるよう、それぞれの子機が置かれているのである。日中、この3台は何回も鳴らされ、そのたび両親のどちらかが出ていたものらしく、大半は比較的すぐ鳴りやんだ。今日は明洋めいよう高校の体育祭で、江平は留守のはずだから、当然両親とも何の疑念も持たずに、その都度電話に出ているのだろう。なにしろ寺や神社だから、電話はそれなりにかかってくる。そのたびに男は小さくびくつき、いらついて、感情をささくれ立たせていたのだ。



「ん……」

 とりあえず昼の腹ごしらえをすませた男は、わずかな時間、動きを止めた。車のエンジンを耳にしたのだ。ここは住宅地の奥、行き止まりだ。ここまで入ってくるのは、用事のある者以外、ありえない。男の全身から、敵意が音もなく放射される。そうしているうちにも、エンジン音は近づいていた。


 朝と同じ、机の前の障子をかすかに開け、窓の外の様子をうかがっていた男は、わずかに顔をしかめた。駐車場の一角に、数台の車が停められ、黒いスーツ姿の男たちが降り立った。若い男も壮年もいる。目つきが鋭いように思えるのは、男の偏見であろうか……。男は、江平の机の上の、拳銃らしきものに手を伸ばしかけたが、黒スーツの男たちは離れ屋には一瞥いちべつもくれず、ガレージの向こうを通って姿を消した。窓のすぐ前をガレージが大きく遮っているので、正確に何台の車が停められたかはわからないが、ありふれた車に見えた。

 男は室内を移動し、滴中てきちゅう寺の前を通る道路に面した方の窓へ近づくと、そちらの障子を細く開けた。こちらの窓は、右側にガレージがちらりとだけ見える。道路はこの窓と滴中寺の間を通り、間もなく行き止まりになる。もしも窓を開けて頭を突き出せば、左側に行き止まりの車止めを目撃することが可能だ。今、その窓には、ガレージの後ろを通って道を渡ったらしいスーツの男たちが姿を現し、寺の門の中へ次々に消えていく。全部で7、8人くらいはいただろうか。


「なんだ今のは。おい、あいつらは何だ」

 男は障子をぴったりと閉め、気色ばんで、江平につかつかと近づいて、しゃがみこんだ。江平の口を覆う布を、再度ずらせる。答えろ、というように。


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