54 UPPER

「バレーボール大、バレーボール大……机には入らない大きさだよな」

 2年1組の教室。ここでも一馬かずまは繰り返しながら、両手でバレーボールの大きさを作り、室内を見回していた。


 しかし、ごった返した教室である。確か、文化祭では喫茶店をやっていたはずだ。ちゃんと片付けきれておらず(記念撮影のためでもあるだろうが)、何が何やら状態だ。生徒たちの机さえ、まだ元通りにされていない。そういえばこのクラスは、まだ舞台の道具を体育館に置きっぱなしだったなと一馬は思い出す。ぐちゃぐちゃの道具類のあちこち、いろいろなものが無秩序につっこまれたコンテナ、もともと教室にあったはずの教卓や棚、見て回るが、カプセルはなかった。


「おい、どうした」

 廊下を通りかかった、巡回の男性教師に声をかけられる。さっきとは別の教師のようだ。麗人れいとがとっさに、教師の顔面の至近距離に頭を突き出し「騎馬戦の作戦相談中でーす」と答える。教師は反射的に「うっ」とのけぞり、たいして追及せずに「さっさと外へ戻れ」と言いおいて、すたすたと歩いて行った。麗人は「はーい」と答え、半分だけ指示に従った。教師が立ち去ってしまうと、1組を後にして、4組に向かったのである。


 2年4組は全学年通して、学祭の準備がもっとも計画的に進められたといってよい。だが後片付けは終わっていなかった。もちろんここも、この後の記念撮影のためである。しかしそれでも、1組よりマシだなと一馬は思った。さすがに教室運営に差しさわりがあるということで、窓にカーテンがわりに飾られていた暗幕も、ビーズもスパンコールも輪つなぎもほぼ取り外され、床置きライトやコード、調理用備品も片付けられている。ホストやホステス役の生徒たちの盛り盛りに盛った写真もない。クラスステージ後に撤収してきた大道具や背景、衣装、小道具などは、まとめて教室後部に置かれていた。記念撮影は体育館でなくこの教室で行うつもりなのだろうと、一馬は思った。生徒たちの机の配置はもう通常の授業体制と変わらない。体育祭のために椅子がないのと、壁の一部にホストキャバクラ店内のデコレーションが残っているだけだ。しかし、どの教室でも朝すでにホームルームが行われ、麗人自身も黒川くろかわもここで過ごしている。見慣れないカプセルがあれば、誰かが「これ何だ?」と声を上げそうなものだが。


 教室企画やクラスステージなどの、イレギュラーなあれこれから、もともと教室に備えられていたものまで、ひととおり調べてみる。たたまれた大道具の背景の後ろ、道具の中、衣装の1枚1枚、教卓、後ろの棚。段ボール製ミミックの中を覗き込みながら一馬は、いったいどういう劇だったんだと首をひねらずにはいられなかった。クラスステージがあった日は部外者は入れなかったので、一馬が劇について知る由もなかった。


 見当たらない。


「あとは……どこ見りゃいいんだかな」

 一馬はぼりぼりと頭をかいた。ある程度の大きさがあるものだから、「捜さなくていい場所」が明確に存在する。それがかえってもどかしい。小さいものなら、どこもかしこも手当たり次第にひっくり返してしらみ潰しにすればいいから、手間はかかるが気持ちは多少楽だろうと思う。こうしている今も、机の中をひとつひとつ確かめてみたい、すべての机をチェックすることで「やっぱりここにはない」と安心したい自分がいる。やらないのは、プライバシーと、「ここには絶対に入らない、だから時間の無駄だとわかっている」からだ。それでも「捜すという動作」をしていないと落ち着かない。次にどこを捜せばいいのか見当がつけられない状態が、こんなにもイラつくものだったとは。


「誰かのロッカーの中、なんてことは、ないよなあ……」

 苦い顔で一馬は、廊下の向かいの壁に並ぶロッカーを見やった。全校生徒以上の数がある。ここを捜すとなれば容易ではない。しかもプライバシーという後ろめたさももれなくついてくる。

「そこは午後、全校生徒に事情を話すときにお願いしましょ。さすがに無断で開けて回るのは気が乗らないし、さっきみたいに巡回の先生にゼッタイ見つかる。今の段階では得策じゃないね」

「まいったな」

 重い息を吐きだして、一馬はグラウンドを見下ろす窓に近づき、体育祭の様子をながめた。


「この調子だと、あとどこを捜せばいいんだ。ほかのクラスとか、特別教室とかも見なきゃいけないのか?」

「……どーしましょーね」

 さすがに麗人も困惑を隠せなくなってきていた。


 何だろう。麗人には、どこかで何かを見落としているような気がかりが、拭い去れなかった。


 そもそも、江平は本当に危険に直面しているのだろうか。麗人は折にふれてスマホでニュースを確認してみたが、「何者かが高校生を人質にして立てこもり、身代金を要求している」たぐいのニュースは見かけなかった。人質をとって立てこもっているとなれば、身代金の要求が出るのがセオリーではないだろうか。いや、もちろんニュースになっていないだけの可能性も大いにある。それとも、ダーさんにとってはカプセルこそが最大の目的で、身代金は眼中にないのだろうか? それほどまでに重要なカプセルとは何なのだろうか?

 ……そもそも、ニュースになるような事件など、起こっていないのではないか? 江平は本当に体調不良であるだけで、カプセルはただ江平の両親と近所の人に迷惑をかけているだけ、ではないのか?


 一馬の方は、いらだちを懸命に押し殺していた。こればっかりは木坂きさか麗人が悪いんじゃない、と。


 不意にアナウンスとともに、歓声が大きくなった。

「あれ、アイアンレース、帰ってきたんじゃないのか」

「……あら、ホントだ」

 門から敷地内に戻ってきた生徒が、最後にグラウンド1周にかかったところだった。まず戻ってきたのはいずれも男子だ。


「おい、あれ、黒川か」

「そーね」

「12人中6位か。まあそんなもんか」

「たぶん、道中のどこかで、野島のじまに尋問しているはずだからね」

「あ、そうか! それで6位って……あいつどういう脚力してんだよ」

「そーゆー脚力ってことよ」


 最初に戻ってきた男子5名ほどがゴールしてしまうと、招集のアナウンスが入った。ふたつ後の競技である、後ろ向き徒競走の選手は、集合するようにと。

 麗人は行かなくてはならない。


「オレって欲ばりだからねえ」

 笑った顔ではありながら、やれやれ、と麗人はため息をついた。

「なるべく学校行事を邪魔しないように、オレたちだけでエビらんを助けられればベストかな、と思ってたんだけど、限界かな」

「…………」


 何も言えず、一馬はプログラムに目を落とした。後ろ向き徒競走のすぐ後は、男子全員参加の騎馬戦だ。今、アイアンレースを終えた黒川がすぐに、麗人と入れ替わりで校舎に戻って来るとしても、またすぐに招集がかかる。実質的なタイムアップは、カウントダウンの足音を響かせながら、すぐそこまで迫っている。それなのに、黒川が野島から聞き出した「2年4組か1組」という手がかりは、ここでぷつりと切れてしまった。あとはしらみ潰しにするしかないが、それには大人数の協力が不可欠だ。


 ……本当は、事件など起こっていないのではないか。

 何もかも、自分の考えすぎなのではないか。

 その懸念が麗人に、体育祭の中止を要請してでも全校生徒の協力をあおぐ、という決断をためらわせる。

 しかし、万一。もしも。

蕎麦そばを食べ過ぎたようだ……」

 そのための決断を、いよいよ先延ばしにできないタイムリミットが、迫っている。


 せめてカプセルさえ手に入れば、体育祭は中止させなくてすむのだが。


「うーん……」

 麗人は行儀悪く、手近な机の天板に尻を乗せるようにもたれかかり、ゆっくりと喉をそらして考え込んでしまった。


 ――やはり木坂麗人も、こういう決断には思い悩むのか。それとも、これからの行動について考えを整理しているのか。こんなとき、黒川なら、どんな言葉をかけるのだろうか。あるいは、あえて言葉をかけないのか。もしくは、何か行動で示すのか。――だが、自分は黒川ではないし、黒川になることもできない。一馬は所在なげにあちこち見回した後、動かない麗人に、なかば独り言のように問いかけた。

「あと、捜してない場所って……トイレにあったら、不審物扱いで騒ぎになってもおかしくないよな。ええと、ほかのクラスと、特別教室と……ああ、昨日の文化祭で更衣室に使われていた教室とかどうだ? クロークってのもあったな。外部の来客の忘れ物とか、いろいろとり紛れていてもおかしく……?」


 あまりにも麗人の反応が、希薄というより絶無なので、一馬の発言は空気中に溶解していった。麗人はさっきの姿勢のまま、微動だにしておらず、ただ一点を見上げている――思考の彼方ではなく、天井の一点を。


「…………なんだってんだよ」

 一馬は歩み寄った。何気なく、麗人の視線を目で追いかけて……無意識に、彼と同じ表情になっていた。


 教室の中央付近――天井に、ミラーボールが貼りついていた。バレーボールとほぼ同じ大きさの。

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