51 仁義なき長距離走
「おい」
交通量は少ないけれど歩道がしっかり整備してある区域に入ると、
「思い出したか。
「お前もかぁ?」
野島はげんなり感を声にあふれさせた。無理もなかった。現在、長距離走の最中なのだ。そんな尋問は勘弁してほしい。
「今そんなん聞かれても」
「こっちだってシャレでやってんじゃねえよ」
黒川の声の調子が明らかに変わった。野島はぎょっとして、体を黒川から遠ざけようとした。もちろん、4組の黒川の悪名くらいは知っている。
「なんなんだよ、お前ら、いったい」
「人命がかかった問題なんだ。思い出せねえなら、お前のカラダに聞くしかねえな」
……人命がかかっているというのは、あながち嘘ではあるまい。その可能性はちゃんとある。敢えて黒川は凄んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ」
野島の声が裏返る。
「そんなおおごとなのか?」
「だからとっとと話せってんだろうが!」
びくっ、と野島は硬直した。
「そんな、走ってる最中にそんなこと聞かれたって」
自然、野島と黒川の足は止まっていた。後続グループの男子らが、けげんな顔をしながら追い越して行く。彼らの会話を聞き取れたわけではないので、はっきりとルール違反とは言いかねるし、自分たちが走ることで手一杯でもあるし、ここでは体育委員は近くにはいないので、通報しようという意欲はあまりかき立てられなさそうだ。
……これで遠慮はいらない。黒川は内心でほくそ笑んだ。
「お前がさっさと思い出してりゃ、それですんだ話なんだよ」
黒川が、遠ざかろうとする野島にぐいぐいと詰め寄っていく。
「どこへ置いたのか思い出せ。できねえなら思い出させてやる。なんならこの場でお前をたっぷり(暴力的かつ残虐な表現のため自主規制)してやろうか」
ひッ、と野島は奇声を上げた。
「じょ、冗談だろう。お前、こんなん、失格になるぞ」
おれは何を口走っているんだと野島は思った。黒川の脅し文句は、もはや失格どころか、脅迫であり、人格への明確な害意なのだが(おそらく)。
「そんなもんにかまってられるか。こっちは今、体育祭どころじゃねえんだ。通報したけりゃしてみやがれ、体育委員が来るまでにできることはたっぷりある」
本気でいらついている黒川である。カタギの表情とは思えない迫力だ。これで派手な色彩のシャツやスーツを着ていたら、それこそシャレにならないだろう。野島はすっかり震え上がり、動けなくなってしまった。
「体育館で、あれは木魚じゃねえ、って気づいたんだな? それからどうした。どこへ持って行きやがった」
「え、ええエえと」
「思い出せねえか?」
「いや、ちょ、ちょい、待って」
胸元をつかみ上げようとする黒川の手から、野島はのがれようとして必死に体をくねらせた。通行人からはカツアゲか何かに見えるかもしれないけれども、それを気にする黒川でもないし、気にする余裕もない。
「ああ、も、持って出た。ステージリハ終わって、体育館を出ようとして、運営委員の
「持ってたんだな? 持ったまま、体育館出たんだな? で。どうしたよ」
「あ、あ、あ、ええ、と……トイレ行って、それから、4組に……」
「トイレに置き忘れたんじゃねえのか」
「忘れてない! 手を洗ってから、それを持った、間違いない。で、で……」
「でェ?」
「あ、え、あ、よ、4組に、行った。ステージリハだって伝えて、それで、……そのまま、
只野とは、黒川と同じ2年4組の男子である。野島とはバスケ部つながりであった。
「1組まで持って帰ったのか」
それにしても、黒川の迫力とガラの悪さは尋常ではない。
「……………………」
野島が首を横に振る動作は、妙にざらついていた。
「覚えてない……」
「んだと」
「だ、だって、覚えてないんだからしょうがな……!」
「そこが肝心なとこじゃねえかよ」
もはや黒川は怒鳴りつけたりしなかった。それがかえって恐ろしい。ついに体操服の胸元が、黒川の捕虜となった。
「江平に渡したか」
「……渡して、ない」
「確かか」
「確かです」
突然野島はか細い敬語になった。
「4組で只野に渡したんじゃねえか」
「い、いや、あいつには、渡してないです。あれは……只野とは、話題にもしなかった、です」
「じゃあ、どのタイミングで、どこへ置いたんだ」
「…………お……おおおお思い出せない……!」
最後はもう悲鳴になっていた。脚ががくがくと震えている。ちッ、と黒川は舌打ちすると、手を放した。野島は腰から崩れ落ちた。どう見ても黒川が悪役然とした光景であった。
だが……捜索範囲はだいぶ狭まったのではないだろうか。
こいつからは、こんなもんか。黒川は、無情にも野島を見捨てて、走り出した。尻ポケットから堂々とスマホを取り出しながら。もうこんな競技はどうでもよかったのだが、どうせ学校へ戻るのなら、コース通りに走った方が早い地点だった。
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