50 腹をくくる
「アイアンレースって、長距離走なんだな。ふーん、そんな種目があるんだな」
作業しながら、口だけを別の要件に使う。雑談したかった。このままでは息がつまりそうだ。
「
「ないね。……しかし、長距離走と、よりによってチーム対抗リレーの選抜選手なんて、
「あいつそれでも、短距離はエビらんにかなわないって言ってたよ」
「ああー……
ぷっ、と一馬が顔を歪めたのは、江平の全力疾走フォームを思い起こしたからだろう。真剣なのはとてもよくわかるのだが――非常に申し訳ないのだが、思い出すと笑ってしまう。
麗人の持っていたプログラム表にちらっと目を落として、一馬は聞いた。
「で――次に、お前か黒川が行かなきゃいけない種目は、どれなんだ」
「えーとね……オレこの後、後ろ向き徒競走っての」
「へえ。ええと……黒川がゴールしたら招集がかかる、くらいか」
「そんなところだね。そのすぐ後の騎馬戦ってのが、オレも黒川も行かなきゃいけない、男子全員参加の競技だから」
「その間、俺ひとりか」
「そのときはカプセル捜すよりも、どこかに隠れて、やり過ごすことに専念してよ。ウチ泥棒騒ぎが起きた直後だからね。この上カズちゃんにヘンな容疑がかかっちゃったら、話がややこしくなりすぎるから」
「確かにな」
一馬は吐息をついて、自分の服装を見直した。江平の体操服を借りて、ぱっと見に
「男子全員参加の競技、ね。……女子バージョンってあるのか?」
「あるよー。午後の、追いかけ玉入れ、ってやつ」
玉入れなのだから、文字通り、女子が全員参加して、それぞれのチームのカゴにいくら玉を投げ入れるかで勝負が決まる。ただしこの競技では、カゴは静止状態ではない。各チームから男子が、各学年ひとりずつ、合計3名ずつ選出され(これは男子にとっての選択制競技には、建前上は含まれない)、それぞれ自分とは異なるチームのカゴを背負わされる。各チーム、3つずつのカゴが、別のチームの男子に背負わされるわけだ。こうして開始の合図とともに、すべての女子が玉を手に、各自のチームカラーのカゴへ殺到することになる。当然男子は、自分が背負ったカゴのチームに玉を入れられないようにするため、逃げ回るというわけだ。……もうおわかりだろう。実は、カゴを背負う男子の人選がものをいう競技でもある。そして背負わされた男子にとっては、かなり過酷で地獄の競技でもあるのだ。下手をすると、女子から後々まで恨みを買って、精神的なダメージまで受けることになる。グラウンドを必死で逃げ回る12人の男子。追いかけ回す全女子。聞いた段階では天国、実際に目撃するか経験すると地獄……。
「オレもさあ、最初は、女子から追いかけ回されるなんてステキな役回りだと思ったのよ。でも、全女子、殺気立って追い回してくるわけだからね。去年見て、よぉくわかったのよ。やっぱり競技だからさあ。待ちやがれッ、とか怒鳴りながら追ってくるワケよね。玉の投げ方なんて、カゴじゃなくて男子を狙ってるとしか思えないもん。カゴ役の男子が逃げ回る形相、あれ、チーム選抜リレーの選手以上に必死なんじゃないかなあ」
「…………コワ」
たはは、と麗人が力なく笑い、顔面蒼白になった一馬が小さくつぶやいた。
「ええと……この後は、騎馬戦があって、クラブ対抗リレー? これはお前ら関係ないよな? で、昼休みか。……午後の競技の出番はどうなんだ? あ、これか、2年生全員競技の大玉転がし……」
「オレ、昼イチの綱引き。でも午後の競技は考えなくていーよ」
「え」
「クラブ対抗リレーが終わるまでがタイムリミットだ。そこまでに見つからなかったら、生徒会の執行部に事情を話して、体育祭を中止してもらって、全校生徒にカプセル捜索を手伝ってもらう」
……思わず一馬は息をのんだ。
「けど……江平のことは、推測なんだろう? お前が間違ってる可能性だってあるわけだよな。体育祭を中止して、それで、江平のことが、お前の勘違い、だったとしたら……」
個人の勝手な推測で、全校あげての行事を中止に追い込むことになったら。……その可能性は十分にあるのだ。
「そーね、オレが間違ってるかもしれない」
に、と麗人が笑った。
「でも、間違ってない可能性だって、あんのよ。万が一、エビらんに、本当に何かあったら? たとえ全校生徒に迷惑かけようと、エビらんの命にはかえられないっしょ。エビらんが無事なら、オレ全校生徒の前で、土下座でもハダカ踊りでも何でもするよ」
「木坂…………」
「日没までには何とかして、そのカプセルをエビらんのところに持って行かなきゃいけない。誰か生徒が間違えてカプセルを自宅に持ち帰っているかもしれないから、学校にもう一回持ってきてもらう時間を考えたら、……オレたちだけでなんとかするには、昼までが限度だ。昼を過ぎたら、警察への相談も視野に入れよう。今の状況で、警察が動いてくれるかどうかわからんけど」
麗人の声がかすかに震えたのを、一馬は聞き取っていた。その一方で、麗人のまなざしには迷いがない。いつもと同じ不敵な微笑と丸っこい目に、まっすぐな光が宿っている。
……いつだったか、黒川が言っていたことを一馬は思い出した。
「麗人のヤツは、ああ見えて、おれの倍以上度胸があるからな」
そのとき一馬は、アイツのは度胸じゃなくて、ふてぶてしいとか図太いというんじゃないのか、とかなんとか返した記憶がある。
覚悟というか、腹のくくり方というか、そういうことじゃないだろうかと、一馬は思い至った。江平の命が何よりも優先されるべきなのは当たり前だ。それでも、全校生徒に迷惑をかけることと天秤にかけるとしたら。
……自分なら、判断を一瞬でも、ためらわないと、言えるだろうか。
ここまで冷静に、「この時刻を過ぎたら、全校生徒にオープンにして、手伝ってもらおう」と段取りが計算できるだろうか。
江平が心配ではない、というつもりはない。しかし、何かの間違いであってほしい、麗人の考えすぎであってほしい、という願いもある。仮に麗人の推測が間違っていた場合、そこまでの大騒ぎをして学校行事を中止に追い込んで――その責任の所在は。
それを、この男は……。
……と一馬が思ったところだったのに。
「正直、男子がいる場でハダカ踊りってのが、今ひとつ気乗りしないというか。女子だけの前だったらむしろ……」
「やめんか、犯罪になる発言は!」
どこまでも麗人らしい発言に、一馬はツッコミをがぼっとおっかぶせた。――なぜコイツは一馬に「見直した」と素直につぶやかせてくれないのだろうか。
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