49 嵐を呼ぶアイアンレース

 ――藤岡ふじおかが、わかんねえ。



 なんか特別なことがあった気はしねえんだ。2年になったときに初めて同じクラスになって、気がついたらほかの女子とおんなじように「妹尾せのっち」って呼びかけてくるようになってて、でもそのことは別にどうとも思わなくて。普通に雑談する女子のひとりで。


 夏休みよりも前くらいだったか。藤岡が、目が合うとふいっと顔をそらすようになって、あれって思った。でも、何人かで集まってしゃべるときには、ちゃんといつも通りそこに混じっていて。でも目を合わさないようにしてるなって。オレ以外とは普通にしゃべるのに。


 オレ、嫌われたのかな――。


 そう思ったとき……心の中に、どわっ、と嫌な苦さが押しかけてきた。

 なんだよ。なんだよこれって。すごい不快。


 けど。


 夏休みが明けて、学祭の準備が始まって、総務委員としていろいろしなきゃいけなくなって、わちゃわちゃで身動きとれなくなって。木坂きさかに相談したら、責任とか指揮系統を分散した方がいいって言ってくれて。だから教室企画とクラスステージでそれぞれを仕切る責任者を決めようと思ったら――藤岡が立候補してくれて。なんか――なんかわからんけど、嬉しくて。

 また、普通にしゃべるようになって。話題はほとんど学祭だったけど。

 オレがいろいろかかえこんで困ってたのを、いろんなやつが少しずつ仕事を引き受けてくれて。その中のひとりに藤岡がいて。


 だけど。

 あのとき。学祭初日の、あのとき。

 なんで、あいつまた怒っちゃったんだろう。

 オレ、なんかまずいこと言ったのかな。


 それとも、最近普通にしゃべってたと思っていたのは、オレだけ、だったのかな。あいつずっとオレのことが嫌いで、学祭のことは仕事みたいなものだから、仕方なく話していた……だけなのかな。


 もし、そうなら。……バカみてえだよな、オレ。


 なんかあれから、藤岡に話しかけづれぇし。

 藤岡も、オレのこと避けてるみてぇだし。


 なんだよ。

 なんだよこれ。


 ていうか、なんでオレはこんな……もやもやしてんだ。ああ、くそ。


     ◯


 障害物リレーの片付けが終わると、アイアンレース開始だ。

 ピストルの合図と同時に、女子の選手12名が走り出す。トラックを1周し、スタート地点を再度通り過ぎると、男子の選手12名があわただしくスタートラインに並ぶ。並び順は決められていないけれども、一部の3年生が立場にものをいわせて、じりじりと前列に割り込む。さすがに12人が横一直線には並べないのだ。こういう場合、黄色チームの黒川くろかわはるかはスタート位置にほとんどこだわらない。どうせたいしたアドバンテージにはならないと思っているからだ。しかし今日、黒川は、赤チームの2年生代表、野島のじまの隣につけていた。


 野島の方は正直、アイアンレースに出ることに、あまり気乗りはしていなかった。だが、好き嫌いは別としてそこそこのタイムを出せることと、伝家の宝刀「じゃんけん」の結果が、彼を今このスタートラインに押しやってしまったのだ。この上さらに別方向からさらなる圧力がかかることなど、想像がつくはずがなかった……。



 2年4組の妹尾せのお雅之まさゆきは、クラスの総務委員である。学祭の前半戦は、総務委員という肩書から自動的に紐づけされる「学祭クラス委員」という責務にのしかかられ、文化祭でクラスの指揮を執るという大事業を、ほとんど乗り越えた。今日の体育祭では、純粋に青チームの一員として、かえって気楽な立場にいる。原則ひとり2つ以上出場しなくてはならない選択種目は、長距離走であるアイアンレース出場者の特権を活かして、そのひとつだけである。ほかの人と一緒に練習する必要もなく、ほかの種目のことを考える割合も少なくて済む。なにより、「長距離走って、ぼーっと走っていればすむもんなあ」という考え方であり、実際にまあまあ良タイムで走れる。なにより長距離走をすすんで走りたがる生徒は少ない。選手決めのミーティングの時点では、「ぼーっとしたい」という動機で立候補した雅之は、すんなり選出されたというわけだった。

 しかし、雅之は今日、別の意味で「ぼーっと」していた。彼は今、スタートラインに沿った2列目に並んでいる。

 彼はこの数日、もやもやしっぱなしだった。原因はわかるが、理由はわからないままに。


     ◯


 女子選手の最後のひとりが、校門から外へ消えた。

 号砲。

 12人の男子が駆け出す。女子に続いて彼らにも、通り過ぎる各チームの応援席からエールが浴びせられる。どうしたわけか、黄色チーム代表の黒川が、いつもより遅いペースで、赤チーム代表野島をぴったりとマークしているように見えた。それでもまだ明確な差がついていない、団子を少しばかり縦に伸ばしたような状態で、男子も次々と校門から飛び出していった。


 背後から不明瞭に、アナウンスが聞こえてきた。彼らが校外を走っている間、グラウンドでは次の競技、スプーンリレーが行われるのである。しかし校門から遠ざかるにつれて、その音声も聞き取れなくなっていった。


 ――一応、男子と女子とでコースが分岐するまでは待つか。


 黒川はそう思い定め、知らん顔してぴったりと野島をマークしたまま走り続けた。野島の方は、自分がマークされていることに気づき、不快そうな表情を浮かべたが、ペースを崩すこともしなかった。彼らからしばらく距離をおいて、もうひとつのグループが続く。雅之はその中で、ただただ、ぼさっと走り続けていた。ペースがいつもより遅い自覚はあるが、どうにも気力がわいてこなかった。



 曲がり角にひとりの体育委員が立っていて、「男子は直進してください」と声をかけつつ、選手の様子を監視している。女子はもうほとんど、ここから左折してしまっているはずであった。

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