48 野島、アイアンレース出るってよ

「……なさそうだな」

下手しもて行ってみっか……」


 言いかけた黒川くろかわの語尾が不意に消失した。体育館の扉が押し開けられた音を、確かにとらえたのだ。一馬かずまはとっさに、静かに体を起こし、すぐ近くに立てかけられた、折りたたまれた背景の後ろに隠れようとした。


はるかちゃん、いる?」

麗人れいと!」

 黒川は、段ボールとプラスチックケースの行列を軽々と飛び越え、アリーナに通じる扉をごろごろと押し開けた。


「こっちだ」

 黒川が避けると、両手に運動靴をつかんだ麗人が、扉の隙間から舞台袖に体を押し込む。

「どう、感じは」

「見つかってりゃ、連絡入れてる」

「そりゃそーね」

「そっちはいいのか」

「もぅ、居ても立っても居られなくて。あれからもう一回野島のじまに聞いたんだけど、要領得なくてさぁ。これ以上思い出してくれそうも……カズちゃん?」

「よう」

 隠れる必要がなくなった一馬が、巨大な段ボールで作られた背景の隙間から、のそのそと出てくる。


「外を通りかかったから、助っ人に来てもらった。事情は話してある。体操服は江平えびらのだ」

「助かるー! カズちゃんカッコイイー! ホレちゃうー!」

「じょ、冗談じゃねえ! やめろ!」


 3人は、舞台袖の階段を下りて、ステージ真下の通路に入った。このスペースはいくつかの、アリーナがわから引っ張り出すホイール付きの巨大な引き出しになっていて、大量のパイプ椅子が積み込まれている。片隅の引き出しには、昨日までアリーナに敷かれていた薄いシートが何枚も、丸めて収納されている。引き出しの奥が通路になっていて、上手かみてと下手の舞台袖を行き来できるようになっているのだ。


「まさかここにはないよねえ?」

「意図的に隠すならありうるな。けど、野島がこんなところに押し込んだとは思えねえし、そいつの後に拾ったやつがいたとして、こんなとこに押し込む理由があるかな」

「ほか捜して、見つからなかったら見てみるか」


 話す間に通路を駆け抜けて、下手がわの舞台袖に出た。形状はだいたい上手がわと同じで、左右対称になっているだけである。ただ、上の小部屋に通じる階段には「立入禁止」と書かれたプレートとチェーンがかけられているのが、上手との違いだった。行き来のない空間だとわかっているため、その階段にまでものが置かれているていたらくだ。あいかわらず、舞台で使われたさまざまなものに混じって、ラジカセ、台本、トートバッグ、ファイルやペンの束、タブレット端末、小銭など、このくらいは即行持って帰れよ、と言いたくなるものが散乱している。白っぽく丸いものが放り出してあったので、あれか、と一馬は声を上げそうになったが、よく見ると、模造紙か何かをくしゃくしゃに丸めたものだった。指先で拾い上げてみたが、カプセルがくるまってはいない。こんなのこそ捨てちまえ、と一馬はあきれた。


 ん、と首を上げた麗人は、アリーナへ通じる扉を開いて首を突き出し、耳をすませた。

「……遥ちゃん、アイアンレース、招集かかってるよ」

「もうそんな時間か」

 黒川は眉をしかめた。1年生の徒競走は終了したらしい。2種目目の障害物リレーを前にして、3種目目のアイアンレース、そして4種目目のスプーンリレーに出場する選手に、招集のアナウンスがかけられていた。


「走ってる場合じゃねえ」

「でも、ほっといたら騒ぎになるよ。黒川が来ないって」

「……ひとっ走り、代役だけ頼んで来るか。足けがしたから出られねえって」

「足けがしてんなら、ひとっ走りするなよ」

 念のために一応、一馬がツッコミを入れる。こいつやりかねないからなあ。元気に全力疾走して、「おれ足けがしたから代役頼む」って言って、元気に全力疾走して戻ってくる、ってやつ。


 麗人ははねる前髪をかき上げた。――やっぱりそうなるか。なるべく体育祭に穴をあけないようにしながら江平を助ける道を求めるのは、無茶がすぎるのか。その一方で、江平が危険な目に遭っているのは思い過ごしではないかという懸念が、思考の奥で渦を巻く。カプセルが見つかれば、せめて江平の状況をつかむ一助にならないかと思ったのだが。


 オレ、間違ってる……?

 でも、……なんか、警報が鳴ってる気がするんだよね……。

 せめて、もうちょい、野島から何か聞き出せたら。


「…………あ」

 麗人の喉からおかしな声がもれた。

「あ?」

 黒川が振り返る。

「思い出した。野島、アイアンレースに出る。赤チームから」

「野島って、あの野島か」

「この話の流れで、別の野島なわけないじゃん」

「……お前あれから、あいつから新しい情報聞けてないって?」

「うん」


「よぉし、わかった」

 急に黒川が、がばっと立ち上がった。

「アイアンレース、行ってくる。んで、レースにかこつけて、野島のやつを締めあげて、カプセルどこに放置したか吐かせてくればいいんだな」

「ちょ、ちょっと遥ちゃん」

 眼光炯炯けいけいとした表情になって指をばきばき鳴らす黒川に、麗人は苦笑した。


「体育祭の競技であんまりムタイなこと……」

「キレイごと言ってる場合か、江平に何かあったかもわからんのだろうが」

「そりゃそーだけど」

「心配すんな、コースは学校の外だ。誰も見てねえタイミングなんざぁいくらでもある。体育祭の最中にこんなことができるチャンスはなかなかねえぞ」

 どうしたことか、黒川はえらく楽しそうな表情になっていた。


「……黒川、目的見失うなよ」

「よし、行ってくる! あと頼むぜ」

 黒川は、右のこぶしをばしっと左の掌にたたきつけると、アリーナに飛び出して行った。ずいぶんと気合の入った様子だった。


「……野島ってやつの冥福を祈っておいた方がいいのかな」

 おそるおそる一馬はひとりごちた。

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