41 蕎麦(そば)を食べすぎた男

「とりあえず、体育祭を欠席するって話は本当だろーね」


 もやつく違和感のヴェールを剥ぎ取り、本質をつかむべく、麗人れいとはさきほどの通話の内容を整理にかかった。


「カプセルを捜して持って来いってのも本心だろうな。あの話題のとき、妙に緊張していたようだが」

蕎麦そばは絶対嘘だよね。……ねえはるかちゃん。思い過ごしかもしれないけどさ。エビらん、ピンチじゃないかって気がすんのよ、オレ」

「だろうと思った」

 でなければ麗人がわざわざ「お大事に」と意味ありげに応じるはずがないと、黒川くろかわは思ったのだ。江平えびらの蕎麦アレルギーは麗人も知っているはずなのに。麗人は何かを感じ取り、感じ取ったということを江平に伝えるために、ああ言ったのだ、「お大事に」と。


「根拠をうかがおうか」

「もちろん、エビらんの大嘘」

 というより、根拠はそれしかない。


「今日休むって部分は、たぶん本当よね。エビらんが嘘をついたのは、欠席する理由。本当だろうと嘘だろうと、体調不良、でよくない? 嘘だとしても、体調不良で貫く方が、押し通しやすいと思うのよ。けどエビらんはわざわざ、蕎麦の食いすぎとまで言った。オレたちにすぐバレる嘘ね。たぶんあれ、オレにバレる前提で言ってる」

「ああ、そんな感じだったな」


 蕎麦の食いすぎ――その言い分に、麗人が疑問を差し挟もうとしたところへ、江平はおっかぶせるように蕎麦を強調してきた。アレルギーとは言ってくれるな、と言わんばかりに。なぜか。

「アレルギーだと言われたくなかった。嘘だ、とくつがえしてほしくなかった。嘘をついているのは自分なのにね」

「江平が嘘をつきたい相手は、おれたちじゃないってことか」

「ということは……今の通話を、誰かがチェックしている。エビらんもそのことを承知している。全員に嘘をつくならそれこそ、体調不良、で十分なのに、エビらんはオレにはバレる嘘をわざわざついた。オレに気づいてほしかったんだ、嘘だって」


 飛躍のしすぎ、かもしれない。でも。


「確かにキナ臭ぇな」

「ね」


「けど、なんでそんなことになってんだ? 江平に何が起きてる?」

 黒川は微妙に口調を変え、なかば独り言、半ば麗人に問うように発言した。いら立っているのではないし、自分で考えることを放棄しているのでもない。麗人の思考を刺激するために、敢えてそうしているのだ。


「さーね。ただ、エビらんがオレに伝えたかった最大のキモは、カプセル捜してくれって話だと思う」

「バレーボールくらいの云々って話か」


「オレ思うんだけどさ――昨日エビらんの部屋に入った泥棒、そのカプセルが狙いだったんじゃないかな。なーんか、妙な荒らし方だなとは思ったんだけど、ようやくいろいろに落ちたわ」


 麗人が視線を記憶の向こうにさまよわせながら、うんうんとひとりでうなずく様子を、黒川は黙然と見やった。――やっぱりこいつ、あの部屋から何かヒントをつかんでいやがったんだな。


「エビらんは、そのカプセルを間違って学校に持って行ってしまったから、捜して持って来てくれと頼んできたね。――学校に持って行ったのはいつだったか?」

「文化祭前日の朝って言ってたな」

「ということは、昨日エビらんの部屋に入った泥棒は、カプセルを見つけられなかったんだ。見つかるわけがない、もうあの部屋にはないんだから。おかしな話だよね? なくし物だか落とし物、なんで警察に相談しなかったのかなあ? どうしてそのカプセルがエビらんの手に渡ったのかはまだわかんないけど、少なくともその泥棒、カプセルがエビらんの部屋にあることを知っているんなら、エビらんに相談して協力してもらった方が、ずっと平和裏に楽にすむ話なのに。なんで泥棒なんてやり方を選んだのか?」

「……よっぽど切羽詰まってたか、あるいは、何かうしろ暗い事情があるか」

「切羽詰まっていたって、マトモな倫理観がある人なら、泥棒なんてNGだよね。少なくとも、近所の人に聞いて回ってでも、あの離れ屋の管理者をつきとめて、相談するのが順序ってものよね。でも、その人物は泥棒という手段を選んだ。なのにカプセルを発見できなかった。では次はどうする――?」

「……江平に直接聞く。そのときは、暴力も辞さねえかもな」


 そうなると、今、江平は。彼と麗人の通話がチェックされているということは。


「自宅に監禁でもされたか。ナイフででも脅されて」


「昨日の泥棒と同一人物とは限らない。例のカプセルが何だかわからないけど、それをめぐっての対抗相手かもしれない。けどどの道、エビらんは泥棒も辞さないような人間の思惑に巻き込まれてる。カプセル捜して持って来いってのは、今エビらんに圧力かけてる人間の要求、ってことだろうね」

「だから、江平は見え見えの嘘を……」

「これが当たっているならね。それなら、欠席の本当の理由なんて堂々と言えるわけないし、エビらんに圧力かけてる人間には蕎麦アレルギーなんてそう簡単にバレないだろうし」

「あまり他人に明かすなってのは、遠回しに、警察には言うなって意味にとれなくもないな」


 江平の立場が麗人の推測どおりであれば、そうとしか言えないだろう。さっきの通話の流れの中で、いきなり「警察には知らせるな」と言えば、相手に「警察が出てくるような話なのか」と余計な猜疑を招くことになってしまう。


 思い過ごし、かもしれない。江平は今日の欠席の理由をはっきり言いたくないだけなのかもしれない。本当にカプセルをなくして困っている人が、江平家に助けを求めているのかもしれない。ただ、それだけのことなのかもしれないのだ。


 しかし。

 昨日、江平の部屋が荒らされたことが。

 なによりも、江平があんな嘘のつき方をしたことが。


 麗人の胸の奥をざわつかせる。


 この読みが外れてほしい。自分の考えすぎであってほしい。だが当たっていた場合、江平は生命の危機にさらされている可能性があり、一刻を争う。


「おさえられているのは、江平だけなのか。家の人も巻き込まれているかもな」

「後で探りを入れてみようか。ひとまず第一段階として、そのカプセルを捜して手に入れよう。事情がどーだろうと、エビらんが必要としていることは間違いない。あとはカプセル手に入れてから考えよう。最初のとっかかりは野島のじまだね」

「なら、とりあえず腹ごしらえといこうぜ。今日は忙しくなりそうだ」


 黒川の瞳に不敵な光が宿る。彼は、麗人と行動をともにすることに、何のためらいもなかった。麗人が、ゴールはあそこだと見定めたなら、そこまでの道は自分が切りひらく。それが自分のポジションだと、ごく自然に黒川は認識していた。それに何より、江平は少々ヘンだが、黒川にとっても友人には違いない。もっとも、話が荒っぽくなると活性化するという、黒川個人の困った資質も否めないが。


 どのみち、ふたりとも野島の連絡先は知らない。彼が登校してくるまで、こちらも動きようがないのだ。今のうちにしっかり食べて、エネルギーをたっぷり補給しておくのが最上策だろう。


「ところでさーあ、今エビらんの近くにいる、そのカプセル捜してる人の呼び方、決めない?」

「呼び方?」

「その方が、相談するときに、くどくどしくなくていいでしょ、人に聞かれてもごまかせるし」

「ああ……なるほど」

「じゃ、ダーティスティックなんてどう?」

「……泥と棒って、そのまんまじゃねえか」

「略してダーさんね」

「ダーさん? お前本当に、英語が得意科目なのか」

「プリティメアリー、とかの方がいい?」

「…………ダーさんでいい」

 自分の口で「プリティメアリー」などと発声するところを想像しかけてやめ、黒川は力なく妥協した。


「冗談さておき、行こうか、遥ちゃん!」

「おうよ」

 戦闘態勢を整えるため、問題児コンビは食堂へ向かって踏み出した。朝食の弁当が届いているはずである。


 彼らの行く手には――文化祭終了後、三分の一も片づけられないまま、企画や展示やステージに使用された有象無象うぞうむぞうであふれ返った校舎が、待っている。その中から、バレーボール大のカプセルを、見つけ出さなくてはならないのだ。

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