39 暗転
「明日は体育祭だし、多少は眠っておかないとねぇ」
「もう今日だぞ
「いちいち細かいなぁ」
どうせ睡眠をとるなら、お互い気兼ねなく眠った方がよい。江平も一休みしたい頃合いだった。夜遅くまで邪魔した埋め合わせにと、余ったおやつなどは江平の元に残していくことになった。
「おれを
言葉ほど怒った様子も見せず、黒川はやれやれと頭を振って、ガムを一粒口に放り込んだ。
「
くすくすと笑って麗人が看破する。ふん、と黒川は肩をすくめた。
「お前は逆だな。思っていることをナンパな言動に隠すタイプだ」
「あはは。それって逆かなあ?」
他人事のように麗人は笑ったが、肯定も否定もしなかった。
「おい江平、明日、下駄履いて来んじゃねーぞ。下駄履いたお前には誰も勝てん」
黒川が妙な釘を刺してきた。
「はは、そうか」
「だから、そこ、もう明日じゃなくて今日だってのに」
「しつけえなあ、ソイツ酒でも飲んだのか、カラミ酒か」
「ほらほらカズちゃん、酔ってたら自転車乗れないよ?」
「俺はシラフだ!」
「はいはい、酔っぱらいはみんなそー言うのよ」
「俺がいつ飲んだってんだ!」
「夜中よカズちゃん、近所迷惑よ、わめかないの」
「……………………!」
わやわやしつつ、黒川のバイクの後ろに麗人が乗り、一馬は自転車で、帰って行った。もちろん一馬が酔っ払って云々というのはおちょくっての発言なので、いろいろな意味で支障は発生しない。強いて言うなら一馬の心の
彼らの姿が闇の彼方へ消え去ってしまうと、さすがに江平もあくびをして、離れ屋へ戻った。内鍵がわりの南京錠を確認し、もう遅くて入浴は
とはいえ、彼らのおかげで、空き巣被害に遭ったというショックは、かなり紛れたといえそうだった。
◯
それでも4時間ほどは眠れただろうか。江平はいつものように、5時半に起き上がった。もう習慣になっているのだ。いつもより眠く、体が重いが、昨夜の夜更かしを選んだのは自分自身だから仕方がない。朝の掃除をしているうちに体も目覚めるだろう。
無心で掃除をしていると、ざわついていた気持ちが
盗まれた通帳については、昨日のうちに銀行に連絡してある。クレジットカードはそもそも持っていない。小銭のことはいまいましいが、現在できることはない。どうも嫌なことが続いているが、ひとまず今日の体育祭ではしゃいで発散するとしよう。江平はかこかこと下駄を鳴らして道を渡った。離れのドアの鍵を取り出そうとして……異変に気付いた。
南京錠が落ちている。
開けられた錠前が、足元に転がっているのだ。
……あの短時間で、何者かが……。
背すじを、冷たい何かがゆっくりと滑り落ちていく。
まだ、中にいるのだろうか。それとも、もう立ち去ってしまったのだろうか。
江平は、鼻でゆっくりとひとつ呼吸をすると、ドアノブに左手をかけた。ひんやりとした感触が全身を伝う。音を立てないよう、そっと回し、ゆっくりと引く。上体をわずかずつ傾けながら、室内をうかがう。
なぜか、猫の小さな鳴き声が聞こえた気がした。なにやら緊張した様子に思えた。朝、フクがここにいるはずがないのに。
だしぬけに、背後から後頭部を強く押された。まったく虚をつかれ、江平はあっさりと室内へ突き飛ばされた。つんのめり、どうにか受け身をとって、転がった体をようやく向け直すことができたのは、ばんっ、とドアが閉められた後だった。立て直した鼻先に、突きつけられたものがある。黒く、硬質の光をはじき、真っ暗な小さい深淵が、不吉な悪意をこめて江平を飲み込もうとしていた。反射的に、体細胞のすべてが活動を自粛する。
……もしかするとこれは、拳銃、というものではないのか。
江平は、座るに近い姿勢で、目を離すことができないまま、ゆっくりと、体を引いた。引いたぶんだけ、それは距離を詰めてきた。
拳銃の知識はまったく持ち合わせていない。もしかするとおもちゃかもしれない。だとしたら、自分のこのざまは非常に
しかし……もしも、本物、だったら?
見たこともない男が、目の前に片ひざをついていた。声を出してはならないのだと、江平は悟った。荒れた低い声で、男はこう言った。
「あれはどこにある?」
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