37 盗まれたもの
本棚の中段、下段は、荒らされた形跡はなかった。下段といっても腰の高さである。中段には主に教科書や参考書や問題集が入っているので、荒らす気にならなかったのかもしれない。下段はしっかりした造りで、本は入っておらず、かわりに電話の子機が3台並んでいるほか、不自然な空白がある。
「ぬ、そこには、これが置いてあったのだ」
軽く首をかしげ、自称マジシャンの卵は、ふとたずねた。
「……ねえエビらん、畳の下って、床下収納庫あったりする? いや、見せなくていいよ、聞きたいだけ」
「ない。通帳は、板間に直置きして、畳をかぶせている状態だった」
……ということは、空き巣は畳の下を見た後で、部屋中ひっくり返したというわけか。順番を逆にすると、犯人自身が大変である。
麗人は、本棚に注意を戻した。本棚の腰から下は扉付きの物入れになっているが、ここも、ほとんどのものが引っ張り出されている。家電などの取扱説明書をまとめたものや、数珠、お経の冊子、箱ティッシュの予備、小さな卓上扇風機、謎のケースなどが大散乱だ。すぐそばにある机の、右の引き出し2段目からかき出されたものと一緒になってしまって、さすがにこれは、どこにしまうべきか麗人もわからない。
「江平、服は……」
「うむ、後は私がやるしかなさそうだな。まとめて、そちらのタンスの上に載せておいてくれ。
部屋の奥の方に、背の高い衣類を引っかけて収納する縦長のクロゼットと、腰よりやや高いくらいの引き出し式のタンスが、並べて置いてある。引き出しが浅い、和服をしまう和ダンスのような外見で、引き出しはぴったり閉まっていた。和ダンスの上の壁は、制服をかけておくスペースになっていて、フックにかけられたハンガーが並ぶ。そのうちひとつには、江平が普段あまり着ない、A制服のジャケットが、行儀よくぶら下がっていた。
麗人がおおせつかったのは、床の上から江平がより分けたものを、机の天板に載せていくという作業だった。江平はしゃがみこみ、床から拾ったあるものは本棚下の物入れに放り込み、あるものは麗人に手渡してくる。麗人はそれをとにかく机に並べる。
江平の机は、天板下の右側に3段の引き出しがついている。最も深い3段目の引き出しは、ボックスファイルが整然と並び、ファイルや学校のレジュメや寺社関係の冊子などがぎっしり入って、ほとんど隙間がなさそうだ……2段目も開いているので、奥まで完全には見えないが。しかし、どうやらイケナイ雑誌もいくつか紛れていることに、麗人は気づいてしまった。もう黙っていた方がよさそうだが。
2段目は、3段目よりは浅いが、それなりの深さがあり、集中的に荒らされて、ほとんど空っぽにされていた。今、麗人が天板に並べているのが、その中身ということになる。1段目は閉じられたままだが浅く、文房具か書類程度しか入らない。またこれとは別に、天板すぐ下、腹に当たる部分に、もうひとつ引き出しがあり、右の1段目と並んで同じ高さ、同じ深さとなっている。ここもきちんと閉まっているが、ノートなどが整然と、江平らしく収納されているのを、以前麗人は見たことがあった。
「割れてしまった」
江平が、薄い箱を手にして眉をくもらせている。麗人がよく見ると、木箱に見えるそれはプラスチック製で、引き出しから取り出されて床に放り捨てられたらしく、蓋に大きなひびが入ってしまっていた。
「それ、何が入ってんの?」
「
「ありゃー」
江平が蓋を開けると、居住まいを正したくなるような墨の香が立ちのぼってきた。どうやら中身は破損を免れたようだ。差し出されるまま麗人はそっと受け取る。なるほど、硯がぴったり収まる程度の深さしかない、木目の印刷されたその箱を机に置いた。最初、机の上には、スタンドライトと小さなペン立てほどしか置いてなかったのに、さすがにいっぱいになってしまった。
「そこでよい。私が後で……ぬっ」
何かに気づいた江平が、体を起こした。彼が吸い寄せられたのは、机に向けて座った状態で確認できるよう、すぐ左側に吊るしたコルクボードだ。ピンで、はがきやメモ書きなどが留められ、見落としがないよう工夫されている。
「どーしたの」
「文化祭のチケットがない」
「……え?」
「ここに2枚留めておいたのだが……どちらもない」
コルクボードの下の方に、2本のピンが並んで刺さっている。ピンだけが。片方には、乱暴に引きちぎられた跡なのか、黄色い紙の繊維が引っかかって残っていた。
「落ちた……ワケじゃなさそーね」
机の足もとをのぞいて、麗人はつぶやいた。
「文化祭のチケット?」
聞きつけた黒川が、なんじゃそら、としかめた眉は、不機嫌そうにしか見えない。
「そんなモン盗んでどうするつもりだ」
「それ…………今日のチケット、ってことだろう? 俺と
一馬が、どことなく陰気な声を上げた。
「そいつ……今日、お前らの学校、来たんじゃねえの?」
……非常に不快な沈黙が、どさっと落ちてきた。麗人でさえ、半解凍状態の笑みを持て余したままで「んん~……」とうなっただけであった。
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