30 シャングリラでのひととき

 ひとまず、岬井みさきい一馬かずま根岸ねぎし綾子あやこは、2年4組のホストキャバクラの客となった。


「なんちゅーコンセプトだ」

 と一馬はつぶやいたが、いくらなんでも木坂きさか麗人れいとひとりで決めた内容ではないだろうから、それを最後に非難めいた発言は慎んだ。見たところ意外に盛況だ。コンセプトのために室内を薄暗くしたり、ハンドメイドのミラーボールを天井に取り付けて床から照らしたり、窓や壁の暗幕をビーズやスパンコールできらめかせたり、大きなカボチャのオブジェを配置したりと、アヤシゲな雰囲気を作ってはいるものの、談笑する客たちの様子は健全だし、ホストやホステスが必ず席に着くわけでもなさそうだし、ついたとしても盛り上がる内容はごく普通のおしゃべりである。ただ、客側も接客側も、服装に節操がないという共通点があった。正統派ハロウィン扮装からアニメやゲームのコスプレから完全にプライベートの私服まで、ごった煮状態だ。学祭でないとお目にかかれない光景だろう。


「あれ、スゴイ」

 綾子が小声で指摘したのが、壁に貼られたホストとホステスの写真である。おそらくアプリで加工したものと思われる、素顔がわからないほどのメイクと衣装のゴツ盛りっぷりは、作るのは楽しかっただろうと思われる。


 そして、一馬と綾子の知りようもないことだったが、昨日のナンバーワンホステスだった滝山たきやま柚奈ゆずなは今日は非番である。かわりに、ナンバーワンホストという触れ込みで、浪原なみはら貴教たかのりが店に入っていた。ただ、彼はどうにも、こうしたシチュエーションは不慣れらしく、「い、らっしゃいませ」と、ぎこちなく笑っている。どう見ても私服ではない、スパンコールがきらめくジャケットを着せられていた。麗人は、昨日の柚奈とは違って、浪原にはそれ以上の特別な措置はしなかったので、彼は普通に接客している。女子がきゃーきゃーと騒いでいるところへ、店長の麗人はにこやかに「お客様、撮影はご遠慮くださいね」とくぎを刺す。ただ、そんな店長の様子もまた、女子にきゃーきゃーと騒がれる一因でもある。


 雰囲気づくりに凝ってるのは確かだな、と一馬は店内を見回して、ちょっと考え直した。


「はぁい、改めましていらっしゃいませ。ワタクシ、当店の店長、木坂麗人と申します」

 一馬と綾子が知る限り、どのフィクションよりも端正で陽気な吸血鬼は、優雅に一礼した。牙は外したようだ。

「店長?」

「今日はね。昨日は違うよ」

 店の従業員となる生徒も、昨日と今日でなるべくかぶらないようにしているという。

「せっかくの学祭だから、見て回る時間も欲しいじゃない?」

 ということでシフトを工夫したのだという。そういえば黒川くろかわもどこかへ行ってしまったのか、いつの間にか姿が見えなくなっていた。


 俺のクラスよりいろいろ、きめ細かく考えているのは確かだな、と一馬は認めざるを得なくなった。

 ――この木坂麗人ってヤツは、能力はあるんだよな。ただもう少し、活用のしかたってものが……。


 顔面筋肉を動かさずにそうつぶやいたところで、校内各所のスピーカーが、ピンポンパンポーン、とチャイムを歌い、陽気にしゃべり始めた。

「学祭実行委員会よりお知らせです。第1次仮装行列にご参加いただける方を、11時まで受け付けております。受付場所は、玄関すぐ内側です。校外からのご参加大歓迎です。第1次仮装行列は、11時に受付終了後、11時10分頃より校内をめぐる予定です。皆様、ご声援をよろしくお願いします。なお第2次仮装行列は、12時から13時まで受け付け予定です。繰り返します……」

「ガチだな」

 つぶやいて、一馬は頭をがりがりかいた。慣れないカチューシャが気になってちょっとかゆい。本当にやるのか仮装行列。それも第1次第2次って。


「いや、年々参加者減ってるらしいのよ」

 と麗人が補足した。

「仮装してる生徒は多いんだけどね。行列組んで校内練り歩いてまで見せびらかしたい人は減ってきてるみたい」


 さもあらん、と一馬は思ったが、口にするのは控えた。一馬自身、今の姿で仮装行列なんて全力で辞退申し上げたかった。周囲のコスプレ率が高いので忘れそうになるが、自分は今とんでもなく恥ずかしい恰好をしているのだ(と思う)。この上自由意思でさらし者になりに行くなんて、正気の沙汰とは思えない――これは一馬個人が、自分の仮装した姿を考慮した上で至った感想であって、学祭すなわちお祭りなのだから、ハメを外してはしゃぎたい人が自発的に仮装行列に加わるのはもちろん自由だし、軽蔑の思いもない。あくまでも一馬個人が、自分の仮装をかんがみて、自分にとっては恥ずかしいことだと勝手に思っているだけである。もしも綾子が「参加したい! 一馬くん一緒に行こう」と言い出すようであれば、清水きよみずの舞台のさらに百メートルほど上空から飛び降りる覚悟をかためるつもりではいたものの、幸いにして綾子にその気配はなさそうだった。


「校外の参加者大歓迎ってよぉ。カズちゃん、どーお?」

「遠慮しとく。お前こそ、参加して目立ってきたらどうだ?」

「オレ今日はシャングリラ店長なの。ステージのときだけ休憩がてら抜けるけど、あとはお店にいるのがつ・と・め」

「そうか……」

 ちょっと意外な思いで、一馬は麗人をながめた。――ちゃんと仕事はするんだ。案外きちんとしているところ「も」あるんだな。


 麗人の背後で、別のテーブルに飲み物を運んできた男子がいた。黒いマントとフードにすっぽり全身を包んでいる。ふと見えた横顔を、何やら釈然としない表情が駆け抜けていく。

「あれ、小林こばやし、今日はお面しないの? お店だから?」

 何気なく麗人は声をかけた。小林と呼ばれた男子は、死神の仮装をしていて、昨日は仮面もかぶっていた。大きな鎌も持っていたが、店での接客には邪魔だろうから、こちらは手にしていないのは納得できる。

「……なくしちまった。今朝の朝礼の直後は確かにあったんだけど。どこかで何かで外して、気がついたらなくなってた」

「あんれま」

「まあ、いいんだけどな。どうせ百均で買ったやつだし、学祭終わったら使い道ないし」

「でも、落ち着かないよねえ」

 気の毒には思ったが、どうしてやりようもない。今日は外部の人もたくさん来校しているから、もう出てこないかもしれなかった。


「おい」

 いつの間に入ってきたのか、ぬっ、と黒川が割って入った。

「うわっ」

「あれ、遥ちゃん、え、もう時間?」

「少しばっかり早いけどな。ある程度教室見て回って、中途半端な時間になったから戻ってきた」

「じゃ、行っとこーか。アヤちゃん、カズちゃん、ゆっくりしていってね。……麻衣まいちゃーん、オレそろそろ行くわ、悪いけどよろしく」

「はーい、おつかれさま。がんばってね」

 藤岡ふじおか麻衣が返事する。麻衣は今日も制服だ。シャングリラの昨日の店長で、今日は麗人が抜ける間だけ店長代理をつとめる。「楽しめないんじゃない? ほかの子に頼もうと思ってるんだけど」と麗人は遠慮していたが、麻衣にすれば、しなければならないことがある方が気が紛れて楽だった。昨日麗人に迷惑をかけてしまった自覚もある。


 というわけで、比較的まじめに、麗人と黒川とはステージの出番にそなえ、ホストキャバクラ「シャングリラ」を後にしたのだった。



「ゆっくり」とは言われたものの、もう少し回りたいので、一馬と綾子とはコーラとミックスジュースを飲み終わると、早々に退店した。喫茶店を2カ所続けて入るのはちょっとつらいので、5組と6組の肝試し企画を堪能してから、茶処ちゃどころ皿屋敷にお邪魔した。落武者の江平えびら弓弦ゆづるがアップルジュースとウーロン茶を運んでくれたものの、テーブル周りはお化け屋敷状態である。やっぱりお化け屋敷と喫茶店は別に存在してくれた方がうれしいな、というのが一馬と綾子に共通した感想だった。まあ、そんな光景が存在するのも学祭ならではだろう。そうこうするうちいい時間になったので、ふたりも体育館に向かった。途中で、例の第1次仮装行列が向こうの廊下を歩いて来るのが、ちらりと見えた。やはり廊下は人通りが多く、彼らにじっくり見てもらう意図もあってか、行列の進行速度はかなり遅めだった。あの、完成度の高いコウモリヒーローが参加しているのが見えて、一馬の口は5秒間ばかり開けっ放しになった。

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