3.中日・文化祭2日目:土曜日

明洋高校にて

26 ハロウィン文化祭

 岬井みさきい一馬かずまは、キャンバス地のトートバッグを揺すりあげた。「第1理科室」のネームプレートの下に貼りつけられた「男子更衣室」の文字を確認して、引き戸をおそるおそる開ける。


 室内は、窓の内側に暗幕が引かれて暗く、照明がつけられていた。理科室の雰囲気は、大概の高校でさほど変わらないものである。3組ほどの男性らが、着替えの最中だった。一馬は、無人の実験用の机にバッグを下ろしてひと息入れた。黒板には「貴重品は必ず持ち歩いてください」と書かれている。


 ……まさか本当だったとは。声に出さないようにして、一馬は嘆息し、バッグから取り出しながら、周囲の様子を盗み見た。


 しかし……学祭でコスプ……いや、仮装とは。しかも部外者まで。いくら「仮装行列アリ、仮装者は校内店舗にて料金割引」ったってなあ。正気か、明洋めいよう高校。まじでか。


「まじ」であった。室内後ろの隅で、完成度の高いアメリカのコウモリヒーローの仮装を仕上げている男性がいて、一馬はつい見入ってしまった。これはすごい。学祭でふざけるレベルではないような気がする。高校生か、少し上の大学生くらいかもしれない。


 ……あんなの見てしまうと、逆に気恥ずかしい。


 一馬は、持参した仮装の一式を見下ろした。オレンジのTシャツとブラウンのボトムスを身につけてきたのはそのままに、耳のカチューシャ、後ろ足のブーツをまとう。ウエストの後ろに挟んでぶら下げる形式の尻尾は、さんざん迷った末に、やっぱり恥ずかしいからやめて、バッグに戻す。荷物をまとめて、最後に前足のグローブをはめる。非常に簡単ではあるが、狼男のできあがりだ。ふと見ると、さっきの真っ黒なコウモリヒーローはいなくなっていた。あの恰好で、今ごろ校内をのし歩いているのだろうか。……少し考えて、やっぱり前足のグローブもやめた。手指の動きが制限されるのは不便だと思ったからだ。


 ――これ、めちゃくちゃ恥ずかしい恰好だよなあ……。


 岬井一馬は、公立ながら進学校と目される県立室口むろぐち第二高等学校に在籍している。同級生や教師には真面目な優等生だと思われているが、自身はそこまで四角四面な人間のつもりはない。学校では真面目そうにふるまっておいた方が楽だと思っているだけだ。だから普段は前髪をきっちり整えて、縁の太い眼鏡をかけているが、まさか土日にまでそんなことはしない。髪はざっくりとした手入れしかしていないし、視力が悪いために眼鏡を外すと目つきが悪くなることと相まって、これが二高にこうの2年生学年総代だと気づく人はほとんどいないだろう。プライベートでは、スケボーで遊んだり絵を描いたりギターを弾いたりと、けっこう多趣味なのである。


 廊下に出て、改めて眺め渡した。いやはや。はしゃいだ化け物がうようよいる。というか、化け物率が高いのは、やはりハロウィンを意識しているのだろうか。包帯を引きずるミイラ男。首から下はガイコツの全身タイツ男が、こめかみにボルトをブッ刺したフランケンの怪物と、げらげら笑いながら大声でしゃべっている。なぜか季節を先取りしすぎたサンタガール。もはやコスプレと言えるのかわからない、私服や浴衣ゆかたの女子。コウモリのコスプレをした男子(羽はビニール傘が材料と思われ、さっき見たコウモリヒーローより完成度が低いなと思ってしまった)が、お寺の小僧さんのような恰好の男子とすれ違いざまにぶつかったのか、「あ、悪い!」と言い合っている。カボチャや縁日っぽいものなど、お面をかぶっている人もいる。露出をおさえて多少清楚に見えるバニーガール。諸国を漫遊する、やたら元気そうな御老公と、新選組の誰やらが、深刻そうに何か相談している。変身して悪と戦うライダー。慈愛と正義の制服美少女戦士(男)。もう無茶苦茶もいいところだ。コスプレ、いや仮装していない人間の方が少ないのだが、制服の生徒もちょっとはいる。生徒の家族なのだろうか、ごく普通の服を着た夫婦らしいふたり連れもいる。親と手をつないで歩く、黒いワンピースで頭に巨大なリボンをつけた小さなかわいい魔女が通りかかり、一馬は踏まないように気をつけた。……そういえば、入口の近くにブースがあったっけ。中学生以下の来校者が「Trick or Treat !」と言えば、明洋高校の生徒有志による手作りクッキー詰め合わせがもらえる、とかなんとか。


「お待たせ」


 声をかけられて、一馬は向き直った。「女子更衣室」に利用されている第二理科室から、綾子あやこが出てきたのだ。

 根岸ねぎし綾子は、一馬と同じ2年A組の女子だ。一見したところでは、ふんわりした印象を受ける、なかなかにかわいらしい顔立ちをしている。髪はショートよりちょっと長く、ややくせがある。普段はあまり主張が強いということはなく、おとなしそうに見える。そんな綾子と、ありていにいえば一馬は、つき合っている。学年総代の一馬に近づいてくる女子は何人かいたけれど、一馬の方からアプローチした女子は綾子が初めてだ。最初はなんだかかわいくていい子だなと思っていた程度だったが、交際するようになってから、実は気が強い一面を見て、この子と離れたくないなと思っている自分がいる。


 今日の綾子は、黒いロング丈のワンピースにブラウスジャケットを羽織ってここまで来たのだが、更衣室でジャケットを脱いで、ジャック・オ・ランタンのモチーフをあしらったベルトをつけて、一馬の前に来て照れながら、黒いとんがり帽子をかぶるところだった。簡単ながら、魔女の装いだ。


 ……一馬はしばらく、小さく口を開けて、恥ずかしいと楽しいの中間の笑みをぎこちなく浮かべる女の子に、神経伝達器官を引っこ抜かれていた。


「あ、一馬くん、ナイショって、狼男の恰好だったんだ。けっこう似合うね」

 すぱん、と何かがはじけ、一馬はどうにか思考能力のエンジンをかけ直した。おい、しっかりしろ。先に言われてどうする。


「ああ、あ、綾子も、……その…………カワイイ」

「あと3分しかねーってよーっ!」

 ぎゃははははと、無駄にでかい声で笑いながら、赤いバスケのユニフォームを着た一団が駆け抜けたため、一馬の勇気を振り絞った言葉はかき消されてしまった。


「ね、あっちにクロークあるって。着替え預かってもらおうよ」

「……ああ」

 出ばなをくじかれてしまった一馬は、綾子に連れられて、「クローク ※貴重品お断り」の紙をぶら下げられた地学室へ向かうのだった。

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