25 夜の騎士

「はーん、そうやって、今度は自分が送り狼になるワケだ」

 渡辺わたなべ嘲弄ちょうろうしたが、もう麗人れいとは耳を貸さず、雪乃ゆきのがリュックを拾うのを見守る。送り狼は否定しないけれど、TPOくらいはわきまえる自覚はある。そんなことをいちいち反論することさえばかばかしい。


自分てめえがモテねえからって、ひがむのはみっともねえぞ」

 横合いから黒川くろかわが、正論をぐっさりと渡辺に突き刺した。不快というより、あきれ返った口調で。


「うっ……うるせえ、てめえに言われたかねぇわ!」

 一瞬ひるみつつも、渡辺は黒川に言い返した。どことなく歯切れが悪い。

 まあおれに言われたくはねえだろうなと黒川も思った。ただ、異論はある。黒川は別にモテたくはないし、よほどの事情がない限り女子の腕をひっぱるようなことはしないし、そもそも女子を誘う意欲もない。けれども、そんなことをわざわざこの低レベルな男に説明したくもないので、沈黙を選ぶことにしたのである。


「おい、ちょっと待てよ」

 雪乃を連れてさっさと歩き出そうとする麗人に、渡辺は吠えかかった。大またに後を追う。麗人のジャケットを羽織った雪乃はぎょっとしたように、背後を振り返った。


 その渡辺の後を、さらに黒川が追っていた。ほんの一瞬、ごく簡単な動作に見えた。黒川は、後ろから渡辺の片方の手首をつかみ、彼の背骨に沿わせるように軽くひねった。ひょい、という擬音がふさわしい、ただそれだけの動作で、渡辺は言語化不能の汚い奇声を上げ、すこんと前のめりによろけて、両膝を冷たいアスファルトにつけ、さらに悲鳴を伸ばしながら、額をも道路に当てて苦悶した。


「近所迷惑だろう、口を閉じろ」

 渡辺の手首をねじ上げたまま、むしろうんざりした言い方で、黒川は粗雑に言った。雪乃が目を丸くして、渡辺と黒川を見比べている。黒川は雪乃にあごをしゃくって、さっさと行けと合図した。麗人もさりげなく、雪乃の肩に手を回して、早く行こうと誘導する。ふたりがこの場から十分離れたと判断すると、黒川は放り捨てるかのように渡辺を放した。

「ほら、もうおかしな真似すんじゃねえ」


 もはや一顧だにせず、黒川はすたすた歩いて麗人と雪乃の後を追った。通りがかりに黒川は、曲がり角の影に、ひとりの女子が立っていることに気づいた。――えーと、あれだ……うちのクラスの、加藤かとうとかいったっけ、総務委員の。

 加藤はどうやら騒ぎを見ていたらしく、麗人と雪乃を、呆然とした様子で見送っていた。


「おい、とっとと帰れ」

 面倒だが、あえてそう声かけをしてやる。加藤はびくっと反応して、「は、はいっ」となぜか敬語で返事して、黒川の数歩後ろをついてきた。


 ……渡辺はようやく上体を起こした。左肩の激痛は、さっきまで動けないほどだったのに、今は嘘のように引いていた。スジを痛めつけられたとか、そういう心配はなさそうである。それはつまり、黒川のやり方がかなり巧妙だったという証でもあった。

「なんだ、あいつ…………有段者かなんかか」

 それでもまだ左肩をおさえながら、渡辺はよろよろと立ち上がった。麗人と雪乃と黒川と加藤とは、角を曲がって見えなくなっていた。


     ◯


「怖かったね」

 さりげなく雪乃の隣に腰かけて、麗人は話しかけた。

「ううん、ありがとう」

 雪乃は、麗人から借りたジャケットに腕を通して、礼を述べた。サイズが合わないが、男子と女子でほぼ同じデザインのジャケットだから、違和感はそれほど巨大ではない。まだしつこくしがみついている木の葉数枚を、麗人はむしり取った。


 バス停だ。待合の屋根の下にはベンチが据え付けられている。すぐそばに外灯が煌々こうこうと光っているのが心強い。その光の中で、黒川が周囲に目を配っているのを、雪乃はちらっと見た。

 加藤の姿はない。途中の交差点で一行と別れて、帰路についたのだ。


「学校に相談したらどうかな。あと、しばらく、ひとりでは帰らない方がいいね。一緒に帰る人がいないときは、オレに声かけてよ。バス停まで送るからさ。あ、アカウント交換しとこうか」


 麗人と雪乃がスマホを取り出してごそごそしたり、雑談していると、箱型の車体のエンジン音とライトがようやく近づいてきた。黒川が、ベンチのふたりを振り返って小さく頷く。雪乃が、バスの行き先表示を確かめて立ち上がる。


「ありがとう、木坂くん、……黒川くん」

 雪乃はふたりに礼を言った。さすがに、校内の問題児コンビの悪名は全校規模でとどろいているらしい。しゃべったこともねえのになんでおれの名前知ってんだと黒川は、一瞬しらじらしいことを真面目に思ったほどである。


「きみはおかしなことしてないよ、元気出してね」

「気ィつけろよ」

 麗人と黒川とそれぞれの言葉に、雪乃が小さく微笑んだのを最後に、自動ドアが男子と女子を隔てた。雪乃を乗せたバスが遠ざかるのを見送りながら、麗人はなんとなく首をかしげた。雪乃の視線に微妙なものを感じたのは、気のせいだったのだろうか……?


「やっぱりなんか食って帰ろうぜ」

 余韻も風情もないことを、詩情もロマンもない口調で、黒川が発言した。だがおそらく、今日1日の締めとして、それが一番正しいなと、麗人も思った。

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