11 渡辺統吾という男

 ただでさえやかましい廊下がいっそう騒がしくなったかと思うと、2年4組のクラスステージ班がどやどやと戻って来た。


「あ、リハ、もう終わったん?」

「押してるなんてモンじゃねーわ。まだ1年3組。チョーゼツ待たされる」

 体育館で男子としゃべっていた学祭クラス委員の妹尾せのお雅之まさゆきは、ステージ班と一緒に帰って来て、ため息まじりに報告した。


「教室企画、なんか手伝えることある?」

「ない」

 1日目の店長藤岡ふじおか麻衣まいが即答し、クラスステージ監督津島つしま亮子りょうこはつんのめった。


「ま、まあ、各部署とも準備が順調なのはケッコウなこと……」

「おやぁ皆さん、大変そうですなあ」

 独特の抑揚の口調が割り込んできて、一瞬、すべての喧騒がやんだ。


 朝のホームルーム直後からずっと教室にいなかったひとりの男子が、にやにや笑いながら、けだるそうに片手を振っている。

 渡辺わたなべ統吾とうごだ。


 少々、変わったノリの生徒である。今年の文化祭では、実行委員でもなく、2年4組の教室企画とクラスステージどちらにも参加しない、唯一の人物であった。仲間外れにされているわけではない。自分から「俺はどっちもやらなくていいっしょ~」と申し出たのだ。学校行事にあまり積極的でないのかというと、そうとも言い切れない。参加したくないというより、「自分だけ特別なポジションで参加したい」という意識が強いらしいのだ。内心で思うだけならまったく自由なのだが、どうも自意識過剰というか、何かにつけて同級生たちを見下そうとしている気味がある。新年度当初は「一緒にやらない?」と声をかけていた同級生もいたが、渡辺の方が意味もなく上から目線であれこれ言いつのるので、やがてクラスの誰もが敬遠するようになった。いじめや嫌がらせには該当しないだろう。声をかけた相手から何の根拠もなく小馬鹿にされる関係など、維持したい人がいるのだろうか。高校生ともなれば、そのくらいの冷静な判断はたいがいが下せる。こんな様子だから、渡辺には親しい相手がいないし、渡辺本人も気にした様子はない。ほかのクラスにも親しい相手はいそうにない。他校にはいるのかもしれないが、誰もそこまで渡辺に興味を持っていない。持つだけばからしい。


 なぜ彼が、教室企画とクラスステージの両方に参加しないのかというと、一応の名分はある。麗人の助言を入れた雅之が、ホームルームで「文化祭は、教室企画とステージで担当者を分けよう」と提案したとき、どっちもやらないと言い出した渡辺の主張がこれだった。

「俺は、後夜祭って重要な役目があるんで~」


 後夜祭というのは、学祭3日目の体育祭と、その後のホームルームが終わった後、放課後に体育館で行われる、締めのどんちゃん騒ぎである。放課後の扱いなので強制ではなく、参加せずに帰る生徒も、学校には残るけど後夜祭には参加しない生徒もいる。そして後夜祭では、3年生代表と2年生代表の一組ずつに、ステージでのパフォーマンスが許可される。何をやるかは、持ち時間さえ守れば自由ではあるものの、バンド演奏が多い。手っ取り早く盛り上がれて、騒げて、踊れるからだ。なお後夜祭会場となる体育館内でものを食べるのは禁止となっている。水分補給だけだ。

 パフォーマンスを担当する代表は、学祭実行委員会が募集し、希望者が申請し、審査があって、決定される。その過程をきちんと踏まえてのことであろうが、2年生の後夜祭ステージ担当は、よりにもよって渡辺に決定されていた。以後渡辺は、クラスで学祭のことになると「あ~忙しい~後夜祭の準備は大変だ~」と口にして、どこかへ消える。薄ら笑いを残して。いちじるしく士気が削がれるのだが、雅之は「ほっとけ、妨害されるよりずっといい」と、苛立つ同級生たちをなだめた。


 雅之自身も、渡辺には穏やかでない気分だった。以前、「後夜祭のステージってどんなことやるつもりなんだ、やっぱりバンドか」と軽く聞いてみたところ、渡辺は鼻で笑ったのだ。

「そ~んなクダラナイものはやらないよ~。なんでそう、後夜祭って~とバンドバンドって、お前らの発想は貧困なのかねえ~? 当日のお楽しみってことで~」


 ……なんだコイツ。雅之は、せせら笑う渡辺が通り過ぎてしまうまで、眉をしかめるのを我慢した。しかめてしまったら、「あれれ~気分害しちゃった~?」と、さらに渡辺を調子づかせてしまうのが目に見えていたからだ。以来雅之は、アイツが後夜祭担当でよかったと思うことにした。渡辺が教室企画やクラスステージに入ったところで、足並みを乱してしまうことは大いにありえた。だいたいアイツ、友だちもいなさそうなのに、バンドなんてできるんだろうか……いやいや、バンドじゃないって本人が言っているんだ。それに、渡辺が後夜祭を盛り上げることができなかったとしても、それは渡辺の責任であって、自分がどうこうすべきことではない。もうほっとけ。


 大多数の生徒からは「ほっとけ」な扱いを受けつつ、自分からもすすんで誰かにからもうとしない渡辺が、ひとりだけ積極的に害意をぶつけている同級生がいる。木坂きさか麗人れいとだ。何が気に入らないのか、渡辺は麗人に対してだけは、嫌味が執拗である。もっとも現在のところは嫌味がせいぜいで、悪意に満ちたデマを流すとか物を盗むとか暴力をふるってくるとか、そういった動きはないので、麗人も基本放置している。だがことあるごとに「理事長のお孫さんだからな~」と言ってくるのは、麗人でさえ不快だ。春先からやたらと彼を嫌っていた渡辺が、ある日廊下でまたそう言ってからんできたとき、黒川くろかわはるかという氏名の男子が、渡辺の前を通りかかり、足をしっかりと踏んづけて歩いてやったものだ。さすがの渡辺も、この不意討ちには余裕をなくしていた。


「なにっ、しやがる!」

「ああ、悪ぃな」

 誠意のかけらもない言葉だけの謝罪を置いて、さっさと遠ざかった黒川だった。周囲の生徒からは失笑がこぼれた。理事長の孫云々の嫌味は、聞かされる周囲も不愉快な思いをしていたのだ。


「なんでああもオレにからんでくるかね」

 その日の放課後、寮へ帰る道すがら麗人がついこぼすと、並んで歩いていた黒川が一旦空を見上げてから、言った。

「アイツ、お前のポジションになりたかったんじゃねえの」

「ほえ?」

 麗人の喉から定形外の声が飛び出した。


「どーゆーこと?」

「要するに、自分で自分のキャラ設定ガチガチに固めたのに、その設定をほぼ天然であっさり実行しているお前がいて、自分は設定固めすぎたから身動きがとれない状態になってんじゃねえか」

 明るく、女子に人気があって、軽口が反射的に飛び出して、さまざまなことが器用にソツなくこなせる……とは、黒川は口には出さなかったが。


「……そーゆーモンかね」

 他人に対する洞察力がけっこう鋭い麗人だが、自分自身がからむとやはり判断が鈍るのか、しばらく首をかしげていたが、不意にぱっと顔を輝かせた。

「……ああー、よーするに、オレみたいな、女子にモテモテで陽気な美青年枠をぶんどりやがってコノヤロー、的なことを思っているワケかな? 醜い嫉妬だなぁ、それは」

「……………………」

 おおむね間違っちゃいないんだが、コイツが自分で言うのを聞いていると微妙にムカつくのはなんでだろうな。こういうところも渡辺を刺激してんじゃねえのか。……などという感想は、面倒だからしまいこんでおく黒川である。


 そしてどうやら渡辺は、足を踏みつけられてからというもの、黒川のことも敵認定したらしい。あんな奴にミクロな敵意向けられたところで痛くもかゆくもねえけどな、とこれまた、まともに取り合う気にもなれない黒川だった。

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