06 見回り猫

 江平えびらは解錠してドアを開けた。センサーライトなどと洒落しゃれたものはない。暗がりのなかで壁に手をわせ、スイッチを捜す。かち、と明かりがともった。時代的な部分はともかく、間取りも機能もやはりワンルームのアパートを思わせるものだ。ただ、高校生の男子の住まいとしては片付いている。片付けは得意だ。どこに何をしまうのかを、きちんと決めているからだろう。学習机と椅子、本棚は当然として、腰までの高さの和風のタンス、縦長のクロゼット。ミニキッチンと小さな冷蔵庫もある。基本的に江平はここであまり料理はしない。湯を沸かすのがせいぜいだ。お茶を入れたり、食事が足りない時にインスタントラーメンをこっそり食べたり。あとはそれらの洗い物くらいだ。冷蔵庫にはペットボトルの茶やジュース、冷蔵のお菓子、アイスクリーム。旧式の小さな冷蔵庫の上には、母屋おもやで使い古したトースターレンジ。小さな棚には常温保存のお菓子やインスタントラーメンなど。狭いながらバスルームもあるが、大柄な江平には古いバスタブが窮屈きゅうくつなので、入浴はなるべく母家で行い、ここは必要なときにシャワーを浴びる程度にしか使っていない。トイレがあるのもありがたかった。ベッドはなく、押入れに布団をしまっている。折り畳み式のちゃぶ台は、壁に立てかけてある。そして一番奥の片すみには、和ダンスのそばに、ドラムセットがひっそりと置かれていた。幼い頃から太鼓たいこかねを鳴らすのが好きだったので、高じてドラムをやるようになったのだ。もっとも、高校生になってからはサボりがちだが……。


 靴を脱いで上がった江平は、玄関近くの机のそばに置いた紙バッグに、今しがた拾った風呂敷ふろしき包みを放り込んだ。明日、学祭の準備のために貸し出す道具を持って行くため、ここに集めているのだ。お経の記された小冊子とか、半纏はんてんとか、古くなった白い単衣ひとえとか、色あせてしまった巫女みこさんのはかまとか、裂ける寸前の扇子せんすとか、宮司と住職を兼務する江平家ならではのものが集めてある。入れる直前、包みの風呂敷が少し汚れているのに気づいた。やはりドアノブから落ちて、土の上を転がったせいだろう。まあよいとしよう。学校の荷物を床に置き、制服のニットカーディガンを脱いだ。最奥さいおうの和ダンスの上の壁に、フックからハンガーをいくつか吊るしてあり、そのひとつを手に取ってカーディガンをきちんとかける。ちなみにカーディガンはB制服と呼ばれる日常用のもので、A制服と呼ばれているジャケットがすぐ隣にかけてある。普段はB制服でよく、始業式などのセレモニーのときにはA制服という指定があるのだ。よって、日常は江平と同様、B制服で登下校する生徒が圧倒的多数である。ちなみに、カーディガンと似たデザインのベストもあり、生徒の間ではCベストという言い方が通称になっている。これは着用について規定はない。ベストが着たいならこれにしなさい、という位置付で、特に女子には持っている生徒が多いようだ。

 さらに江平はネクタイを外した。どうもこのネクタイというのは苦手で、どこかしらがゆがんでしまう。ネクタイも学校指定のものがあるが、B制服でよいときには、ネクタイもある程度、私物を使うことも黙認されている。江平もたまに、父のおさがりであるレモン色のネクタイを着用する日があって、今日がそうだった。


 ほかには靴下を脱いだだけで、あとはそのまま、ためた洗濯物と、使用済みの弁当箱と、入浴の用意をぶら下げて、下駄を履き、再び鍵をかけて離れを出た。細い道路を横切る。道のどん詰まりなのだから、ここまで入ってくるのは、滴中てきちゅう寺か蕪屋かぶらや神社、もしくは江平家に用事がある人だけであり、交通上の危険はほとんどない。山にはここからでは登れないし、レジャーとして登山を楽しむような山でもないので、登山客も来ない。山の管理をする人、もしくは猟友会りょうゆうかいが、出入りする程度だ。そのための道だって、ここではなく、農耕地に入ってしばらく回り込まないと見つからないのだ。


 近い方の、滴中寺の門へ向かい、くぐる前に軽く一礼する。さすがにお堂は閉ざされていて、外灯の中にひっそりと佇んでいるが、ここへも一礼する。大きな銀杏いちょうの木も、暗闇の中に半分以上隠れてしまっていた。


「なんだ、お前か」

 江平の下駄の音が乱れた。1匹の猫が、静寂の境内けいだい悠々ゆうゆうと歩いて行く。江平は見慣れているのでこの暗さでも簡単に見分けられたが、明るいところでなければ、白い毛に茶色いぶち模様の猫だとはわかりにくい。江平家で飼っているわけではないが境内を縄張りとするこの猫は「フク」と呼ばれていた。フクは興味なさそうに、なーん、と小さく鳴きつつも足を止めず、向こうの暗がりへと抜けて行った。


「怪しい人物は見かけておらぬか」

 見向きもせず、猫はそっけなく、なーん、と応じただけで、姿を消してしまった。見回りの最中だったのかもしれない。フクはいわゆる「地域猫」である。めすだ。今年3歳くらいだろうか。近所の人がごはんや予防接種などの世話をしているが、費用は氏子うじこ檀家だんかから集められる浄財の中から(もちろん公認で)支払っている。そのかわり、江平家ではご飯は特にあげていない。蕪屋神社や滴中寺の境内でフクが「タンパク質」を自力で採取しているふしもあった。宮司や住職にとっても、境内の「タンパク質」を退治してもらえるのは大助かりというわけだ。そしてなにより、やっぱりフクは、かわいい。愛嬌のある丸い顔立ちをしており、てこてこ歩く。近所の人には愛想がよく、呼びかけると高確率で、なーん、と返事してくれる。さっきのように、忙しいときは見向きもしないが、それでも返事はしてくれるのだ。境内を縄張りにするからフクだと、いささか安直ながらもっともな名づけがされていた。


 フクが見えなくなると、江平はかすかに笑って、再び歩き出した。

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