04 はじめての検問

 秋の夜空は、一等星が少なく、もの寂しい。大柄な高校生の江平えびら弓弦ゆづるは、麗人れいと黒川くろかわと別れ、大通りの歩道をのすのすと歩いていた。歩調はさほど速くはないが、ストライドが長いので、トータルしてスピードは速い。


 明洋めいよう高校から江平の自宅までは、自転車通学してもよいくらいの距離がある。それでも江平がかたくなに徒歩通学を続けているのには、理由があった。乗り物に酔いやすいのである。路線バスは停留所3つ分程度が限界だ。自転車に乗ることは物理的には可能なのだが、中学生の頃、自分で自転車を漕いで酔い、漕ぎながら己の大腿部だいたいぶ嘔吐おうとするという、稀有けうにして悲劇的な経験がある。以来、自転車に乗る気もしなくなった。幸い、歩くことは苦にならない性質だ。英語と化学をもっと努力すれば、県内有数の進学校とされる二高にこうも狙えると言われた成績でありながら、明洋高校を選んだのは、こちらの方が自宅に近いという、切実な事情にもとづいている。


 おや、と江平は不審な光景に気づいた。

 いつの間にか、大通りに車がずっと並んで渋滞している。こんな時刻にここまで混んでいるのを見た覚えはない。江平は首をひねりながらもすたすたと歩き続け、止まってしまった車を追い抜きながら歩道を進んでいく。ほどなく、理由がわかった。路側帯が広くなったところにパトカーが停めてあり、赤い回転灯が夜の空気を音もなくかき混ぜている。どうやらこれが渋滞の原因らしい。止まっている車の先頭が、ゆっくりと加速に入った。その次の車両のそばで、警察官が何かの動作をしている。暗くてよくは見えないが。歩いて行くうち、ついに江平自身もその地点に差しかかり、横合いから別の警察官に声をかけられ、パトカーのそばへ連れて行かれた。自分にやましいことはないし、先ほどの車の動きを見ていたので、これが検問というやつかと思ったら、果たしてその通りだった。


「きみ、明洋高校の生徒だね。この時間まで学校なの?」

 この警察官は、眉間にしわを寄せたけんのある表情でたずねてきた。だいぶ疲れがたまっているのかもしれない。190センチ近い身長を見上げ「コイツでかいな」とでも思っているかもしれない。江平は腹も立てず、正直に答えた。

「学祭が近いので、準備で遅くなっています。その上、友人と軽食もとってからの帰りですので。今ごろまだ、同じような生徒がうろついていると思います」

「ああー、学祭か。そんな時期だね」

 ごくわずかに、警察官の表情がゆるんだ。

「家はどのあたり?」

 と聞かれたので、江平は地区名を答え、蕪屋かぶらや神社と滴中てきちゅう寺の間に自宅がありますと説明した。

「あ、きみ、江平さんとこの子か」

 警察官の表情がさらにゆるんだ。氏子うじこでも檀家だんかでもないはずだが、職業柄、地域の情報に詳しいようだ。身元がわかったためか、明らかに警戒心を解いている。停まっていた乗用車のライトが、江平の網膜を切り裂きながら徐行を始めた。


「実は、ある事件があって、人を捜しているんだ。腕に特徴があってね。左腕を見せてもらえないかな」

 やはり検問だった。江平の身元が判明したとはいえ、調べないわけにはいかないのだろう。素直にシャツ袖口のボタンを外すと、ニットカーディガンもろとも左袖を大きく押し上げ、腕をあらわにした。

「はい結構。ありがとう。気をつけて帰るんだよ」

「おつかれさまです」


 一礼して、歩きながら袖を下ろす。何があったのか、左腕にどんな特徴があるのかは、教えてもらえなさそうだった。まあ、何があったのかくらいは、明日の朝にはわかるかもしれない。腕の特徴は……公表されないだろう。今どき、そんな情報をうっかり漏らしたら、あっという間にネットに載せられてしまう。個人の情報網も発達した現代、犯人に情報が知られたら面倒なことになるのだろう。


 歩道に戻った江平のそばを、別の車が追い越し、通り過ぎ、遠ざかって行った。警察官が「すみませーん」と運転者に呼びかける声が、後ろから聞こえた。検問の箇所を越えてしまうと交通は、嘘のように滑らかに流れていた。


     ◯


 大通りから脇道に入ると、交通量はぐっと下がる。住宅と、小さな自動車の整備工場のシャッターと、暗闇に沈む木々とが入り乱れる道は、歩道も狭くなる。不意に、自身の革靴の音が、より大きく響くようになった。行き来する車がほとんどなくなったせいだ。靴は歩きにくいなと江平は思っている。やはり足元は下駄か雪駄せったに限る。なんなら裸足はだしの方が靴よりまだいいくらいに思う。時折、江平の影をヘッドライトで切り裂いて、車が通過して行った。

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