03 水曜日の夜

 その日の2年4組の準備作業は、担任の余村よむら先生による「お前ら、いい加減に帰れ」という解散命令によって、お開きとなった。似たような光景があちこちの教室で展開されたのだろう、不意に昇降口に押し掛ける生徒の数が激増した。


「お前たちも今帰りか」

 土足に履き替えて歩きかけた、タキシードの麗人れいとと野戦服の黒川くろかわに、太いバスの声が投げかけられた。ぬっと現れたのは、巨漢であった。2年1組の江平えびら弓弦ゆづる。言葉遣いがえらく古めかしく、制服が驚くほど似合わない男だ。角刈りを少しばかり伸ばしたような髪と、造形がしっかりした鼻の所有者である。


「お、エビらん」

「登校するところに見えるか?」

 麗人はともかく黒川の反応は、どうにも可愛げがない。


 ほかの生徒たちに紛れて段差を下り、どうでもいいことをだべりつつ、ひんやりとした空気の中へ踏み出す。軽くおやつを食べて帰ろうということになり、3人は寮とは反対方向を目指して、校門を出た。もうすっかり夜の空だ。一部で重なり合う雲と、この季節の星の寂しさとで、下界を照らすよすがは人工的な光だけだ。繁華街というほど賑やかでもないけれども、街の一角にかまえるジェイバーガーに、食べ盛りの3人の高校生は入店する。

「寮の弁当あるから軽めにしよーかな」と言いつつ麗人は、チーズバーガーとアイスティーをオーダーするのだった。明洋めいよう高校男子寮の食堂は、1学期いっぱいをもってついに営業を停止した。寮生が少なすぎるのである。朝食と夕食、休日の昼食は、決まった時刻までにオーダーを出しておけば、業者からの弁当が届けられるシステムに変更された。


「仮装は決まったか?」

 いつもののように江平が、チキンバーガーをかじりつつ、たずねた。


 仮装というのは、学祭で行う仮装のことである。義務化されているわけではないのだが、例年だいたい10月末ということもあって、生徒たちはハロウィンに引っかけて仮装をするのが通例になっている。もちろん少数ながら制服を押し通す者もいるものの、特に1日目2日目の文化祭では、クラスごとに教室企画があったりステージがあったりして、結局衣装に着替える率が高い。ならばこの際仮装してハメを外しちゃえという生徒が多いのだ。


「んーん、まだ迷ってるの。候補はふたつに絞ってはあるんだけどね」

 麗人は紙コップを軽く振った。ざらざらと氷が鳴る。迷っている候補は、吸血鬼と、オペラ座の怪人のファントムだ。どちらにせよ、タキシードとマントを使った扮装ふんそうにするつもりである。しかし麗人は迷っていた。吸血鬼は発想としてありきたりである。ほかの生徒とかぶる確率も高い。一方オペラ座の怪人はかぶりにくそうだ。ただ、いまひとつ地味である。仮面もつけなくてはならない。ファントムに仮面は必須だ。この美貌を隠すのかと思うと、ちょっと気になる。そこへ行くと吸血鬼なら、服装の差し色に赤を使いやすい。この方が派手だ。帽子に赤い装飾も映える。なによりひと目でわかりやすい。ファントムよりは吸血鬼の方が知名度も高い。そもそもファントム自体を知らない奴も多そうで、仮装してもわかってもらえない率が高そうに思える。


「おれもだいたい決めた」

 黒川はナゲットとコーヒーの次に、そう口にした。

「まあ、あんまり凝ったのはやる気ねえから、手軽にすませようと思ってる」


「エビらんはどーすんの?」

「江平は、普段着が仮装みたいなもんだろうよ」

 と黒川に言われ、少なからず江平は気分を害した。学校ではきちんと制服を着用し、プライベートでは作務衣さむえとかはかまで過ごすことが多い男である。ヘンだと言われようとも、この服装の方が落ち着くのだから仕方がない。江平がむっとした理由は――こいつらに言われたくない、というものである。制服を着ず、タキシードやら野戦服で登下校する奴らに。


「……うむ、今年は2年1組の教室企画で『茶処ちゃどころ皿屋敷』をやることになったのでな……」

「茶処? 喫茶店ってこと?」

「皿屋敷ってあれだよな。お菊さんが、あるじの皿を割ったってんで殺されて、井戸で亡霊が夜な夜な、1ま〜い2ま〜い、って皿を数えるやつ」

「それ、細かいとこ違うよ」

「まあ、そうだ。やや怪奇色を出した茶店という演出でな」

「皿屋敷……やや怪奇色? やや?」

「……くつろいで茶が飲めんのかよ、その店」

「うむ、で、その演出に沿った仮装にしようかと考えているところだ」

「……和風の妖怪とか? 皿屋敷なら、江戸時代かな」

「いつもと変わらねえじゃねえか。こいつ普段着が袴だし」

「いや、そうではない、怪奇色と言ったではないか」

「怪奇と袴は両立すると思うけど」

「私が普段から妖怪の恰好をしているかのような言い方はやめてくれ。クラスの大半が、日本もしくは東洋の妖怪や幽霊の仮装を選ぶという心づもりらしい」


「で、エビらんは何の仮装するの」

「ふふ、私もまだ最終的に決めかねてはいるのだ。ただ、以前から一度やってみたい仮装があってな……お楽しみだ!」

 妙に力のこもった声で、江平は言い切った。はっきり決めてないなら最初からそう言えばいいだけなのにねえ、と内心で麗人は思ったが、これはお互い様というやつだろう。

「ふうん」

 あからさまに興味がない反応で、黒川はナゲットをかじった。


「それで、お前たち4組は、教室では何をやるのだ」

 江平がたずねると、なぜか黒川は少々憮然ぶぜんとした表情になって肩をすくめ、かわりに麗人が応じた。

「うん、まあうちも、飲食系かな。あ、オレ2日目の店長やるの」

「ほほう」

「それとねえ。オレと黒川で、2日目のステージ出るんだ。ヒマだったら、にぎやかしに来てくれると嬉しいな」

「黒川と? 手品か? 黒川を寝台に固定して胴体を切断する奇術などか」

「おれ絶対やらねえ」

「今年は手品はお休み。楽器をちょいとね……どしたの、エビらん?」

「…………自分で言って気持ちが悪くなった」

「胴体切断?」

「なんでそう、しょうもないところに想像力が旺盛おうせいなんだ、お前は」


 文化祭の体育館ステージは、1日目が各クラスごとのクラスステージ、2日目がクラブや有志によるステージとなる。去年の文化祭の有志ステージで、麗人はひとりでマジックショーを敢行した。1年生にして日ごろからタキシード姿で校内をうろつき、教師や生徒から白眼視されていたが、文化祭で堂々たるマジックを次々に披露し、「アイツは本当に大物マジシャンになるかもしれん」と多方面から絶賛されて、以後ちょっと麗人に注がれる視線の種類が変化したものだ。今年は、黒川と学祭らしい盛り上がり方をしたい気持ちもあって、手品と2ステージ分を学祭実行委員会に申請したが、「どちらか片方にしろ」とあえなく却下されてしまった。自称将来有望な手品師は、迷った末、「一度くらいはやっておきたい」という気持ちから、黒川との楽器演奏を選んだのだ。黒川の襟首をつかんで引っ張り出すのに「ファミレスのA定食」「いや焼肉屋」といった、水面下の交渉があったことは、まあどうでもいいことであろう。

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