1.学祭前夜

前々日:水曜日

01 学祭迫る

 10月下旬。

 その時刻、私立明洋めいよう高等学校の校舎もグラウンドも、すっぽりと夕闇に包まれている、はずであった。しかし、校舎の窓からあふれる光源は、ごく一部とはいえ意外なほど、グラウンドに視界を保っている。その光の中で、あるいは暗闇の中で、何人もの生徒たちが、わやわやと騒いでいる。


「下校時刻を過ぎています。生徒のみなさんは、ただちに作業を中止して、すみやかに下校してください。くり返します……」

 不慣れなたどたどしい口調で、女子生徒の声が内外に流れるが、おとなしく従うそぶりの生徒はほとんどいない。例えば、校舎2階、ここ2年4組の教室も、校内放送の音声がまず聞こえないほどのやかましさだ。誰かさんが持ち込んだ携帯スピーカーから音楽が流れ、大工仕事の物音、打ち合わせと雑談が無秩序に重なり合い、とんでもない騒音になっている。もっとも、たいがいの教室が、負けないほど騒がしいに違いないが。


「角材足りないんじゃねえの?」

 誰かが声を上げた。

「んじゃ、もらって来よーぜ」

「待てっ、ちょい待て城之内じょうのうち! 本数も確認せんと!」

 クラスの総務委員にして学祭クラス委員という肩書を背負う男子生徒・妹尾せのお雅之まさゆきは、後先考えず条件反射のように飛び出そうとした同級生の襟首を、ぐいっとつかむことにかろうじて成功した。

「もう、生徒会も今日はそんな受付してねえよ」

「あ、そっか」

 てへ、と無邪気に笑う城之内の顔を見せられ、雅之は盛大にため息を放出して、彼の襟を放した。

「頭痛え……」


 2学期初頭、各クラスで委員が決定した直後、総務委員には「学祭クラス委員」なる肩書が、無条件でどすんと載せられた。要するに、学祭におけるクラスごとの責任者である。それが日に日に、肩がこるわ頭は痛いわ胃が重いわ、トンデモナイ重量であることを、雅之は身をもって実感している。3日間にわたって開催される学祭において、彼はもうひとりの総務委員、いや学祭クラス委員とともに、この2年4組をまとめなくてはならないのだ。3日目の体育祭はまだともかく、1日目2日目の文化祭の重圧たるや、おそらくこういう心境にさらされて胃薬が必要になるんだなと、オトナの世界を垣間見た思いの雅之であった。


 クラスの喧騒の中でひときわ、目を引く男子生徒がひとりいる。整った顔立ちで、ずば抜けて長身というほどではないがすらっとスタイルよく、陽性の表情で明るく笑う男だ。肩くらいに伸ばした髪を束ね、くりっと丸い目は躍動感にあふれている。が、造形もさることながら人目をひくのは、彼の衣服だった。タキシード、である。学祭の仮装ではない。彼は、普段から制服ではなくタキシードを着て登下校するという、おぞましいレベルの変わり者なのだ。当然、注意や説教は何度も受けているが、どうやら改める気はなさそうである。なぜそんな服を着ているのかというと。


「はいっ」

 タキシード男が軽く手をひらめかせると、赤いバラが一輪、その指の間に現れた。まるで、空気中の見えないところに隠れていた花をつかみ出してみせた、かのような手の動きだった。おおっ、と彼と話をしていた生徒たちから歓声と拍手が起こる。

「こんな感じで?」

「それを、ここと、ここと、ここと……」

「うーん、これは手品であってタネがあるから、デコレーションに使う量を取り出すのはムリなのよね」

 タキシード男――本名は木坂きさか麗人れいとという――は、とたんに世知辛い話を持ち出して、「飾りつけ用にもっと出してくれ(できれば無料で)」という要望をきっちり断った。今日はチョコレートブラウンのタキシード上下、ベルベットブルーのリボンタイとカマーバンド、グレーのシャツと、シックに決めており、これがまたよく似合う。彼はとっくに「卒業したら欧米で手品師になって、恋人いっぱい作るんだ」という大望を公言しており、「タキシードが似合わなかったら説得力ないから、今のうちに着こなし修行しなきゃ」という屁理屈で、年間数えるほどの日を除いて、制服を着ることを拒否する変わり者なのだった。学祭直前の準備期間、ジャージに着替えている生徒も珍しくはないが、タキシード姿は浮きまくっている。意に介さない神経の太さがなければ、そんな服装を押し通すことはできないのかもしれない。


 服装といえばもうひとり、このクラスには変なのがいる。向こうの隅で、残り少ない角材をのこぎりでガシガシ切断する作業をしている――Tシャツに迷彩模様のボトムス、しかもサングラスという、トンデモナイ恰好の男子だ。姓名を黒川くろかわはるかという。意外に細身なのだが、普段からの態度が太すぎる男であった。こちらは木坂麗人と違って、いかにも不愛想な表情のまま、横の男子に「もうねえのか」とたずねている。見るからに、こういう行事は「タルイ」とか言ってスルーしそうな雰囲気だったが、決まったことには意外に協力的で、めんどくせえなと言いながら割り当てられた仕事をきちんとこなしている。ちょっと驚いた同級生は少なからずいた模様だ。黒川もまた、こんな酔狂な恰好でほぼ毎日登下校するおかしな男であった。


 恰好や挙措が常識からはみ出しているこのふたりをちらっと見やり、雅之は軽く深呼吸した。まあ、こいつらのおかげなんだよな、とつぶやいて。

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