#332

 坂の中程から、橋を見る。

 小さく、のんびりと橋を渡るなぎさの姿が見えた。

 特にいつもと変わった感じはしないが、自分の考えが正しければ、このあとなぎさは道路に飛び出すか、川に落ちるかしてしまう。

 そこまで速くない自分の足に苛つきながら、走る速度を限界まで上げた。


 建物の陰でなぎさが見えなくなり、不安が増す。

 影から出て、まだなぎさが歩いているのを確認し、一瞬だけ安堵する。

 それを何度か繰り返し、とうとう橋の前まで来た。

 あとは、ただまっすぐなぎさを追いかけて、その背中を捕まえるだけだ。


 ……ガンッ!

「えっ⁉」

 突然、目の前がチカチカして、全身に痛みが走った。

 それから、自分が転んだことに気付く。

 慌てて体を起こし、前を見る。

「……なぎさ? なぎさ⁉」

 その時、なぎさは既に橋の欄干に登っていた。

 声に気づいたのか、驚いたように、欄干の上からこちらを見つめてくる。

「そら? 掃除当番じゃなかったの?」

 そんなところで話す内容じゃない、などと突っ込む間もなく、立ち上がって、なぎさのところまで急ぐ。

「なぎさこそ、何でそんなところにいるの⁉ 危ないよ!」

「うーん、何でだろうね? まあ、全部手紙に書いたから」

 なぎさはいつもと同じ調子で話している。

 まるで、そこに立っているのが当たり前だというように。

「ねえ、危ないから、早くこっちに来てよ!」

「危なくないよ」

「危な――」

 その言葉を、なぎさが、手で遮る。

 驚いて見上げると、なぎさは笑っていた。

 ……神様みたいな、笑顔だ。

「じゃあね、そら」

「待っ――」

 慌てて伸ばした手が空を切る。

 捕まえようとする手から逃れるように、なぎさはその体を後ろに傾けたのだ。

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