#322

 長い坂を下り切ろうとしたところで、思わず足が止まる。

 橋の上――橋の欄干の上に、黒っぽい服を着た人影が見えた。

「……あんなところにいたら危ない、早く行かなきゃ」

 数秒経って我に返り、そう呟いて、走り出す。

 人影は一旦建物の影に隠れ、見えなくなる。

 ……次に橋が見えるようになったとき、そこには既に誰の姿もなかった。

「え⁉」

 道の脇のガードレールから身を乗り出して、下を見る。

 まだここからはだいぶ距離がある水面で、大きな波紋が広がっていくのが見えた。


 誰かが川に落ちたのだと、直感的に理解する。

 でも、一体、だれが。

「……なぎさ⁉」

 思わず、その名前を叫んだ。

 今、なぎさはちょうどあの辺にいるはずだった。

 昨日の放課後になぎさが言った「自分は『Ifの世界』でも同じ選択をする」という言葉が、頭をよぎる。

 ……もし、前回の今日、なぎさが死んでしまったのが事故ではないとしたら。

 しかし、まだそうと決まったわけではない。

 汗ばむ手を強く握って、再び走り出した。


 橋へ辿り着き、やっと足を止める。

 そこにあったのは、期待していた安堵などではなかった。

「……なぎさの、リュックだ」

 毎日、行きも帰りも見ていた黒いリュックサック。見間違えるはずがなかった。

 どうして、と声が漏れる。手に握っていた携帯の上に、ポタポタと水滴が落ちる。

 せっかく、戻ってきたのに。もっとうまくやれたはずなのに。

 ……もう一度だけ、チャンスがあれば。


 ぎゅっと、涙を振り絞るように、目を瞑る。

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