第7話 欲望
「だから、彼は家に帰ったんだって何度も言っているでしょう」
勇は「でも」と食い下がった。
「せめて電話とか、させてもらえませんか」
「だめよ。規則なの」
「なんで電話すらダメなんですか」
「規則だからよ」
江ノ本は取り付く島がない。
窓の外で、蝉の鳴き声が聞こえた。もうすぐ世間では夏休みに入る。でも、この学園に夏休みはない。入園してから卒業するまで島の外に出ることは許されない。仁と一緒に入園規則を呼んでいた時はそういうものかと深く気に止めはしなかったが、外界と一切連絡のつかない状況は刑務所の囚人と同じだった。
でもここでいくら江ノ本に噛みついたって、どうにもならない。彼女に規則を曲げる権限はないだろう。あるとしたら学園責任者、いやそもそも政府管轄だからもっと上の……。
「……すみませんでした。失礼します」
途方に暮れて頭を下げ、職員室を後にする。焦りばかりが積み重なって、どうしたらいいのかわからなかった。
「――いいですか、皆さん。超能力の源は、精神力です。精神力とはつまりは心の強さです。魂の強さとも言われています」
超心理学の男性教師である田竹は、やたら大きな声ではっきりと喋る。いつもは聞き取りやすくていいと思えたが、教室の外から聞こえる蝉の声と相俟って、やけにうるさく感じた。
田竹が白い電子ボードに、心と大きく書く。
「心の強さと言うとピンとこないかもしれませんが、わかりやすく言えば欲望です」
あけすけな言葉に男連中が何人か笑う。しかし田竹は大真面目な顔をしていた。
「実際に強い超能力を持つ人達は、子供時代につらい記憶があったりするものです。生きることへの欲望の強さが、彼らの超能力の源となったのです。もちろん、生まれつきの素養も必要ですが、己の欲望を見つめて受け入れることで、超能力をコントロールすることにも繋ります。いいですか、心が不安定なままでは、いつまでたっても自分の力を抑制することはできません……」
欲望。欲望……自分の欲望って何だろう。
それが強くなれば能力も強くなるのだろうか。仁に声が届くようになるだろうか。
欲望。水色の、地面に転がったランドセル。
「……っ」
ビクッと全身が震えた。目の前に、電子ボードの『心』という文字が見えた。心臓がドクドクと脈打つ。
気持ち悪い。吐き気が込み上げて、勇は思わず口を押さえた。ガタンと席を立つと、田竹が「お、どうした」と驚いた顔をする。答える余裕はなく、勇は教室を出ると、近くのトイレに駆け込んだ。個室に入り、込み上げたものを吐き出す。喉が焼けるような、嫌な感じがあった。
唇を拭おうとして、手が小刻みに震えていることに気づく。なんだ、これ。自分はいったい、どうしたっていうんだろう。
「伊原君? いるの?」
トイレの入口で、星見の声がした。勇は排水ボタンを押してから、個室から出る。星見は手洗い場の所まで入って来ていた。
「星見……ここ、男子トイレだよ……」
「伊原君だっているじゃない」
「僕は男だからいいんだよ」
ものすごく当たり前のことを言ったのに、星見はキョトンと目を瞬かせた。そういえばそうだったわ、とでも言いたげな雰囲気だ。あまり男らしい外見ではないのは自覚しているが、なんだかショックだ。手を洗って口を濯ぐ。
「そんなことより、大丈夫? また
「……なんでもない。ちょっと、嫌な夢見て」
「嫌な夢って……あのねえ、今は授業中よ」
星見は呆れたように言い、しかし心配そうにこちらを覗き込んできた。
「ひどい
「眠ろうとすると……仁のことばっかり考えちゃって……」
「心配なのはわかるけど――」
「わかんないよ。僕と仁のことなんて、誰にも……!」
つい荒れた口調になり、勇はハッとして「ごめん」と謝った。星見に八つ当たりしてどうするんだ。
星見は怒るわけでもなく、まっすぐこちらを見つめて言った。
「わかるよ。伊原君の気持ち、痛いくらい感じてるもの」
勇は迂闊にも、涙ぐみそうになった。
星見にはいつも、心配をかけてばかりのような気がする。男扱いされないのも当然だ。仁だったらきっと、こんな醜態を晒したりしないだろう。
「ごめん、なんかイライラして……」
「疲れが溜まってるのよ。
「……ちょっと医務室で寝てくる」
「付き添う」
「平気。先生にうまく言っといて」
星見は「それは別にいいけど…」と気遣わしげだった。勇は礼を言って、トイレを出る。
星見にはああ言ったが、医務室に向かう気にはなれなかった。外に出て、新鮮な空気を吸いたい。でも教師に見つかるのも嫌なので、勇は屋上に向かうことにした。
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