04

白紙。無限に広がる、巨大な画用の紙面。

 まだ、何も描かれていない。


 それが部屋の天井であると気付くまで、寝ぼけた意識では暫くかかった。

 

 「……せまい」


 急速に像が結ばれていく、現実の圧迫感。

 自分の呼吸と点けっぱなしのテレビの音声がいやに鮮明に聞こえていた。

 身体には根深いだるさが残っていたが、外の様子を確認するために起き上がる。

 カーテンを開ければ、空の端はすでに色づき始めていて、体感よりずっと長く時間が経っていたことに気付かされた。

 

 そういえば、この季節外れの騒動から久しく外に出ていない。

 雨のない今のうちに一度外を味わっておいてもいいと思い、ベランダに出た訳だが。

 そこに広がっていたのは、なんとも奇妙な環境であった。

 ぬるく、柔らかいような質感を伝えてくる気温。輪郭の曖昧な風に、窓ガラス越しではもはや視認もできないほどに微細な霧雨が降り注ぐ。

 私はそれとはじめて出くわしたものだから、それこそが台風の眼と呼ばれる現象であると即座には結びつかなかった。

 一瞬にして重くなってしまったTシャツを脱ぎ捨てて、キャミソール一枚になる。

 8日ぶりのシャワーだと思えば、汚いことがよく知られる雨水であってもちゃんと嬉しかった。なんなら、私の方が汚れているまであるのだから。


 ひと際大きく、強い風が奔った。

 開け放っていた窓の奥のカーテンがめちゃくちゃに煽られる。

 それによって僅かに、けれど確実に耳に届く音量となったそれが、こちらへ漂ってくる。

 

 「……奈川県在住の会社員女性、稲負 理緒さん 22歳とその娘の絵莉花ちゃん 4歳が昨夜部屋の中で倒れているのが発見され、その場で死亡が確認されました。詳しい死因は分かっていませんが、警察は密閉空間でのァンヒーターを長時間利用したことによる一酸化炭素中毒が主な原因と見て捜査を続けています。次のニュースです……」


 気付けばシャツを、風に攫われていた。

 聞き間違いだとか同姓同名だとか、他の可能性を探すよりも前に思い出していたのは、いつかの理緒の言葉だった。


『――あたしもあたしと同じ苗字を見たことがなくて。なんならネットでも出てこないくらい珍しいらしくて……』


 一言一句たがえぬどころではない。

 あのときの映像から匂い、声の特徴までのすべてを揃えた上で、彼女が語る姿を正確に結像することが出来た。

 だからこそ、そのリアリティが、報道のすべてを肯定し、彼女の存在だけを否定するように言っている気がして。

 それでも、信じるわけにはいかなかった。

 たかだか”気がするだけ”を、信じていいはずがなかった。

 

 スマホを取り出し、検索エンジンに文字を打ち込む。

 意外なことに真実を知ることへの躊躇いはなかった。


『神奈川 母娘 死亡』


「あぁ――」


 不思議と、私はそれを冷めた感情で見ていた。

 涙はおろか、実際驚きだってしたか分からないくらいだ。

 それは、報道を耳にした時点である程度確信してしまっていたのもあるだろうけれど、何かもっと、自分のするべきことをよく理解していたからというような理由が大きいと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

下見の金魚 夜 魚署 @yorushi_ra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る