【1話2場】

 ハヤトは、革のジャケットとズボンを着ていた。ケーブルも提げている。


 今のオリガはハヤトの脳神経に住んでいる。1つの脳神経が機械化されても本人だった。すべての脳神経を機械化しても、それは変わらない。


 コンピュータと脳神経は、同じく「0」と「1」で構成されている。テクノロジーで、脳神経はインターネットに繋がれている。電脳は、世界に普及していた。


 偽造屋の店主は、国籍不明で、老齢の黒人だった。彼は浮世絵のシャツを着ていた。宇宙軍の帽子をつけている。「ヘンリー・ケイス」と偽名を名乗っていた。


 店内は、衣服からテックまで、様々なものに値段をつけている。ハワイアンの調度品だ。和楽器バンドのロックンロールを流している。


「お前の彼女さんは、きわめて危うい立場にある」


「そうなのか?」


 ハヤトは首筋を確かめた。オリガは電脳ポータルにインされている。彼女は、ヘンリーの話を否定しない。オリガは何かを隠している。ハヤトは眉をひそめる。


「彼女さんは、答えてくれているかい」


「全然。脳神経に何かしら挟まった思考だ」


 オリガの不快感も、大脳に影響している。プログラムはそれを隔離していた。


「彼女さんも交えて話そうぜ。仮想現実を用意するよ」


「一応、リテラシーとして安全を確認させてくれ」


 ヘンリーは了解した。


 オリガも賛成している。彼女は物理現実に肉体がない。


 コンピュータは唸り始めた。電脳空間の準備をしている段階だ。仮想現実はそこからさらにパッチを適用させる。電脳空間での接客は、仮想現実にするのが常識だ。


 ヘンリーは目配せした。ハヤトは、自身とコンピュータを、ケーブルで繋いだ。電脳空間におかしな点はない。仮想現実にするパッチにも不備はない。


 ハヤトは、ヘンリーに会釈した。ヘンリーはさきに仮想現実へ潜る。彼は椅子で仰向けになった。ハヤトも椅子に座ると、よりかかる。ハヤトは仮想現実に潜入した。


 仮想現実は、水中型だ。イルカが泳いでいた。水面には光が反射している。


 その仮想現実で、ヘンリーはアロハシャツを着ている。


 水の感覚はある。しかし口内と肺に、水はこない。これは当たり前だ。仮想現実から危機的情報が流れ込まないように、ハヤトの電脳はプログラムを走らせている。


 電脳空間とは、つまるところ、共有できる夢世界だった。共有はコンピュータともできる。仮想現実は、コンピュータに調整と安定を頼む技術を、土台としていた。


 ヘンリーは笑った。


「まず生体コードの偽造にも素材はいる」


 生体コードとは、別名を身体性データだ。意識に作用する肉体の情報だった。本人証明に使われていた。これと本人の意識は、共鳴しなくてはならない。


 電脳憲章。第2の自由。意識に関する個人の自由は、尊厳に抵触しない。


「ソビエト連邦まで、遠出しろとでも?」


「攻撃ヘリは前船市にあるわ。直接、飛んできたもの」


 ハヤトはオリガを見た。彼女の代わりに、ヘンリーが説明してくれた。


「件の攻撃ヘリは、全長10メートル超えのバトルマシンだ」


「それが島に飛来したなんて聞いたことない」


「前船市のハイソサエティが隠蔽したからな」


「隠蔽して何の利益がある。ソ連の兵器なんてトラブルのもとだ」


「人工意識は、テクノロジーの最先端だ。しかも宗教が絡む」


「宗教。テックカルトか」


 テックカルトとは、新興宗教だ。意識は、万物の根底に近い。


「テックカルトは、人工意識を崇めているわ」


「オリガは知っていたのかい」


「亡命の連絡口にしたの。そこからも逃げたけどね」


「生体コードは、盗みださないとダメか?」


「個々人固有の波長だ。偽造には元データがないと話にならない」


 ハヤトは「くそったれ」とつぶやく。


 オリガは、ハヤトの手をとる。仮想現実では、オリガの掌にも脈がある。これは贋作で、彼女は本物を盗みだしてほしい。なんともロマンチックな状況だ。


 オリガは、目尻を濡らしている。彼女はロマンチストだ。オリガは結婚したい。オリガは、試練に勝ちたい。オリガは、ハヤトと結ばれたい。


 ハヤトとしても、そうなると嬉しい。


 しかしハヤトはリアリストだ。ハヤトは、この島で生き延びたい。ハヤトは、親の借金で、絶海の犯罪都市まできた。しかし、ハヤトは生き延びるつもりでいた。


「カルトの手口は有名だ。奴らには、悪をそれと考えないクズもいる」


「しかし彼女さんの生体コードを盗むと、公共の利益にも繋がるのだ」


「興味ない。オリガ。帰ろうぜ」


「これは運命よ。私達のためにもなるわ」


 オリガは、ハヤトを抱きしめた。演算は、ハヤトの脳神経に、オリガの体温を送る。


 ハヤトは今感じている体温と脈の、本物を想い起こした。


 仮想現実で、ハヤトはオリガの身体性をさわる。背中に指を走らせると、彼女は小声をもらした。ハヤトは、彼女の目を見る。ハヤトは、オリガに接吻した。オリガも、唇と舌で、愛にこたえてくれる。仮想現実のオリガはふれられる。だがこれは贋作だ。


「生体コードは、本物だと思うかい」


「私は本物で、その要因も真実よ」


 ハヤトはオリガの目を見つめる。ハヤトはオリガと、もう1度、愛を確かめた。


 ヘンリーは視線を逸らしている。


 ハヤトは舌と唇で、オリガを感じた。オリガの肉体は、仮想現実に限定されていた。それでも、ハヤトは、今こうしてオリガを感じている。ハヤトの奥底で、氷が溶けてゆく。


 ハヤトは、オリガから舌を離した。


「しかし、どうやって盗む」


「私の使いと言えば施設には入れる」


「御神体を差しだせと言われておうじるテックカルトはいない」


「使徒様として警備に乱れくらいはだせる。大丈夫よ」


 ハヤトは考えた。ハヤトの脳は、万能感を発している。


「決まりだ。君の温もりを盗みだそうぜ」


「愛を奉じる一神教の儂も、恥ずかしくなってきた」


「私は恥ずかしくない。それで十分よ」


 ヘンリーは、イルカに目線を逸らしていた。


 ハヤトとオリガは、バカップルになっている。空気を切り替えるのに、時間を要した。


 ヘンリーは、商売人の口調で、要点をまとめた。


「カルトから、生体コードを盗みだすぞ。手段は、人工意識の御降臨だ」


 3人は、同時に頷いた。カルトの施設は、第3区画の片隅にある。カルトは、秘密結社なので看板はだしていないそうだ。ディストピアで、法は無力だ。

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